⑭人質は自分

 素早く首を左右に振り常連客の姿を探す。

 平日の昼だっていうのに人が多い。これも世間が夏休みの影響だろう。

 目を凝らして、前と同じように交差点の中に目標がいないか精査する。

 たしかグレーハットの持ち主は、スーツに身を包んだ若い紳士のような男性だったはずだ。週に一回のペースでしか来ないが、その出で立ちがあまりにも整っていてよく記憶に残っている。

「……あ、いた」

 まもなくして、その紳士をロックオンすることに成功する。だが、どうやらハットの発見が遅かったそうで、当人はすでに交差点の向こう側の人混みの中だった。

 このままでは間違いなく見失ってしまう。

「仕方ない。今度こそ上手くいってくれよ」

 本来は百発百中の成果を見せる俺の能力だが、前回失敗していた手前若干の不安を抱かずにはいられない。

 俺は目を見開き、遠くに見える紳士の後ろ姿を注視した。

「……っ!」

 次の瞬間、眼球の奥は眩い光を放ち、それと同時に俺の意識は百メートル以上の距離を飛び越え、紳士の肉体の中にその意識が収まり――、

「よしっ、できた!」

 気づいたら、俺の周囲の景色は変わっていた。首を一往復させただけで、直前まで立っていた場所と明らかに違っていることがわかる。

 それは俺の能力が正常に動作したことを示していた。

 どうやら今回はすんなりと発動できたようだ。

 踵を返して「プラムレイン」に戻る。

 早く戻らないと。俺の体は糸の切れた人形になっているんだからな。

 スーツを着ているせいで若干走りにくいのが気になったが、何となく身体能力が高いのは感じられて、案外動きやすい体という印象だった。

 はっきりと俺の体が視認できる距離まで戻ってくると、その傍らで、空っぽの体を抱きかかえる女の姿があった。

「ちょっとセンパイ! しっかりしてください! 何があったんですか! 返事してください!」

 いつも俺の前ではクールぶっている栗花落が、かわいいことに取り乱しているのである。

 様子が気になって外に出てみたら、さっきまで勇んでいた先輩が倒れていたってところか。へぇ、あいつにもああいう人間らしさがあったんだな。

 そんなことを思慮しつつ、同時にもう少し様子を見ようかという邪なことも考えてしまう。のだが、

「こんなところでイッちゃうだなんてダメですよ! そんな、外でイクだなんて!」

 何故だか俺には、栗花落が俺を馬鹿にしているように見えてきたので、早々に用事を済ませて元の体に戻ることにした。いや、まあホントに心配してるのかもしれないけどさ。

「すみません、大丈夫ですか?」

 あくまで紳士に成り切りながらそこに近づくと、きょとんとした栗花落が顔を上げる。

「申し訳ありません。忘れ物をしてしまいまして……」

 気を失っている男(俺の体)にはあえて触れないようにして、その手に握られているハットに手を伸ばす。

 すると急に、どこからともなく電気が流れたのか、俺の体が動き出した。

 ……て、え、動き出した?

「あ、センパイ、平気なんですか?」

「……」

 俺の体は一言も発することなく、だがしっかりと人間の動きで、手を着いてからゆっくりと立ち上がった。まるでその肉体の中に誰かがいるかのように。

「……」

 俯きながら、右手を前に差し出してくる。

「あ、ありがとう……ございます」

 危うく戸惑いが言動に露呈されそうになったが、ギリギリのところで、自然にハットを受け取った。

 ……なんだこれ、どうなってる? こんなこと初めてなんだが。

 脳内に浮かぶのは幾多もの疑問ばかり。

 俺はそれらの内どれから解消すればいいのかさえわからなかった。

 そのとき、すっと「俺」は顔を上げて、

「……え?」

 ニィと不敵な笑みを浮かべた。

「……っ!」

 そしてそのまま、回れ右をして、明後日の方向に駆け出してしまう。

「ちょっとセンパイ! どこ行くんですか!」

 一部始終を見て、脳内で整理して、あらゆる可能性を熟考して俺はようやく理解する。

「おい! 待ちやがれ! 乙裏!」

 後方で「きのとり」って誰? と呟く栗花落の声が聞こえたが、その相手をしていられるほど悠長にしている場合ではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る