⑫久しぶりの怒り

「表野君の方こそ大丈夫なのって感じだけど。ケガしてない?」

「はい、僕の方は無事です。お客さんはどうなりました?」

「ちゃんと会計して帰っていったよ。最近の若い子は止め方も大胆だねーって笑ってた」

「そうですか……」

 怒ってはいなかったんだな。なんか見透かされたような発言の気もするけど。

「これって、しばらく大人しくしてろってことですよね」

 俺は店長の指示により事務所で待機するように言い渡されていた。

 あくまで休憩しろとのことだったが、その裏に隠された意味はそうであるに違いない。

「考えすぎだって。私より先に表野君を休憩させたってだけ。私、まだ終わってない作業があるんだよね」

 文月先輩のさり気ない気遣いに感謝する。今はその気持ちに甘えておこう。

「文月先輩は平気だったんですか。あんなにベタベタ触ってきて」

「そりゃ平気じゃないよ。でも向こうに悪気はないみたいだったし、上手く受け流さないとなーってね」

「すごい演技力でしたね」

「女は生まれたときから女優なんだよ。あれくらいでへこたれてどうすんの」

「あれくらい」で済むもんなのか、あれ。

「じゃあゆっくり休んでてね」

 そう言って事務所のドアが閉じられる。

 まもなくして、まかないで渡されたオムライスの匂いが部屋に充満した。

 仕方がないので、黙々と一人で食事を摂っていく。

 些細なことじゃ俺は動じたりしない。それは自負しているつもりだった。

 けど、このまま「これ」を放っておいて、また他人に迷惑を掛けるのはダメな気がする。

 度が過ぎるようなことがあってからじゃ遅すぎる。

「なぁ、乙裏さん。お前、どういうつもりなんだよ」

『えと……ど、どうというのは?』

「お前は幽霊らしく人に危害を加えたいの。それとも俺を貶めたいの」

『そんなつもりは………』

 言葉に詰まる。やはりはっきり言うべきなのかな。

「だからさぁ、何もするなって言ってるだろ」

『……』

「俺は何度もそう言ってる。大人しくしてろって。俺は普通の生活を送りたいんだよ。お前のしていることはただの迷惑なんだよ」

『でもこのままじゃ……』

「「一人にしてくれ」って言ってんだよ」

「え……?」

 そのとき、三つ目の声が事務所内に静かに響いた。

 誰かと思ってドアの方を見ると、マグカップを抱えた文月先輩が立ち尽くしていた。

 中に入っているのは、はちみつコーヒーだろうか。それを渡すために戻ってきたのだろう。

「あ、あれ、私もしかして邪魔しちゃった……?」

「え、いや、そんなことは」

「ごめん、良かれと思って淹れて来たんだけど、そんな切羽詰まってるとは思わなくて……」

「だから、違うんです……」

 え、なんだよこれ。

 なんでこんな展開になった。

 まさか、乙裏さんとの会話に夢中で、文月先輩の存在に気づいていなかったのか?

 文月先輩はわかりやすく目線を逸らす。

 室内の空気はまともに吸えるようなものじゃなくなっていた。

「失礼するね……」

 文月先輩の消え入りそうな声と共に、再びドアは閉じられた。

 拳に力が入る。

 こんな感情は初めてだった。どう形容すればいいのかわからない。

「いい加減俺の前から消えてくれ乙裏。お前がいても邪魔なんだよ」

 正直な気持ちを全部ぶちまけたら、胸のつっかえが取れた気がした。

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