④文月帆花とは――夜の帰り道にて
「今日は大変だったね」
すでに日は暮れており「プラムレイン」はクローズし、俺と文月先輩は二人で帰り道を歩いていた。街灯に照らされ、地面には二人分の影が伸びている。
「あの子、無事だといいんですけどね」
救急車を呼んだあの後、別に俺はあの子の知り合いというわけでもなかったし、あとのことは病院に任せて店へと戻った。安否を気遣うなら付いていくという選択肢もあるが、一端のカフェの従業員がベッド横に付き添ったところで、目を覚ました際相手側が戸惑うだけだろう。単純に俺にできることなんて特にないわけだし。
「病院を信じるしかないよ。表野君にできることはやったんだから」
「ですよね……」
口ではそう言っていても、不安は拭えないままだった。
それよりもなんだか嫌な予感がしていたのだ。何より、俺の能力が一切の発動もしなかったことが未だに解せないでいる。
いや、まさか……厄介ごとに巻き込まれたりしないよな?
「もう、表野君ってば暗いなぁ。せっかくの夏休みなんでしょ。大学生はもっと楽しくしていないと」
仕事中はハーフアップにされていた長くて艶やかな黒髪が、今は自由に垂らされており、それが月光できらきらと輝く。
「まあ、そうですよね」
せっかく文月先輩と一緒に帰れているんだ。こんな幸せ真っ只中に、暗い表情をするなんて勿体ないだろう。
ここで一言完結に宣言しておくと、俺は文月先輩にほの字なのである。
だってそうだろう? こんな容姿端麗で、かと言って高飛車ではなく、他人を気遣うことができるなんて非の打ち所がない。
「ねぇ、表野君ってさ、最近そうやって帰りに何か飲んでるよね。それ、何飲んでるの?」
俺の手元にはストローの刺さったプラスチック容器が携えられている。その中には「プラムレイン」で淹れてきた俺の好物が入っているのだ。
「はちみつコーヒーです。最近のマイブームなんですよ」
「へぇ、はちみつとコーヒーを混ぜるんだ。うーん、予想できない味かも……」
「案外いけますよ。アメリカじゃそれなりに流行ってるみたいですし」
「私にも一口飲ませてよ」
「えっ、別にいいですけど……」
俺がおずおずと容器を差し出すと、文月先輩は何のためらいもなく、中身をストローで啜り上げた。間接キス、とかいう童貞感丸出しの言葉は滑らせないようにしておく。
「ん? ……んー、私は好みじゃないかな……。もっと甘い方がいいかも」
「そうですか? これでもはちみつ多めですよ」
「私はコーヒー自体苦手かも」
「ああ、そういう感じですか」
まあ、容姿とかそんな話は置いといて、こういう人懐っこいところが俺は好きなんだよな。
「じゃあまた」
「はい、夜道には気を付けてくださいね」
「いつもそれ言うよね。だったら私の家まで付いてきてよ」
「冗談でもそういうこと言われると、本気にしちゃいますよ」
「あはは、冗談じゃなかったりして」
愉快そうに表情を緩ませる文月先輩。今日はいつもと比べてどうも陽気だ。もしかしたら、あんな事件が起きたせいで気が緩んでいるのかもしれない。
というかそもそも、女性が「家まで来て欲しい」って自分で言うのがどういう意味なのかわかっているのだろうか。……よし、ちょっとからかってやろうか。
「……」
俺は意識して真剣な面持ちを維持したまま、じりじりと文月先輩に歩み寄った。
俺の圧に押されたのか、当人は少しずつ後退する。
「……ど、どうしたの、表野君?」
目を丸くする文月先輩。その背中が背後にある塀にぴたりと張り付く。
俺はあえて乱暴な動作で、緊張しているその手を引っ張り出すように掴んだ。
「ちょっと……急にどうしたの?」
声色に普段のような溌溂さが感じられない。この後の展開を危惧しているようだ。
「男が本気を出せば、女性一人を襲うなんて簡単なんですよ」
「……」
「俺が怖いですか、文月先輩?」
沈黙。
さすがの文月先輩も、自分が軽はずみな発言をしてしまったと反省したらしい。
……ま、いたずらをするのもここいらでやめておくか。
「じゃ、俺は帰りますね」
できる限りの柔和な笑みを浮かべ、文月先輩の手を解放する。
身を翻し自分の家がある方向へ歩みを進めると、数歩してから後ろから声が掛かった。
「私は別に怖くなかったよ……?」
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