②一ノ瀬九とは
「九、空の食器はこれで最後だ。シンクに置いておくぞ」
「ああ、サンキュ」
俺が厨房内に足を踏み入れると、年が同じのコック――一ノ瀬九は、目の前から視線を逸らさずに口だけで返事をした。
どうも料理の盛り付けをしているらしい。皿に乗っている拳サイズの肉塊と、付け合わせの野菜からしてハンバーグ定食だろう。
「何をそんなに真剣になってるんだ?」
「今が佳境なんだよ。ちょい静かにしてくれ」
ハンバーグを前に難しい顔をして立ち尽くす九が気になって問いかけたのだが、当人は至って真剣な様子だった。
ふとシンクの方を見てみると、先ほどから俺が運んできた大量の食器が一切手を付けてない状態で放置されていた。
ああ、またアレか……。
勝手に得心が行った俺は、相も変わらずハンバーグとにらめっこをする九を尻目に、山積みされた皿を一枚ずつ静かに洗っていく。
泡を纏わせた皿をスポンジで擦る。冷たい水が手に心地良かった。
冬場の皿洗いは苦行モンだが、今は真夏。疲れた体を癒す作業としては天国だ。
「よし、できた!」
ほとんどの皿を洗い終えた時分で、九は満足そうに声を上げた。
「まさに完璧! すべからく尊く! おしなべて美しい! 俺の美的センスには惚れ惚れするぜ!」
美的センスゼロの語彙力をまき散らしながら、今度はハンバーグの前で小躍りする。
何ができたのかさっぱりわからない。というのも、トレイの上は数分前の出来となんら変化がないのである。別に一品追加されているわけでもない。
いや……よく見たら、さっきと違う点が一つだけあった。
トレイの下の辺に合わせるように、スプーンとフォークが添えられている。
「見てくれよ駿一! この完璧な黄金比を!」
そう言ってその「作品」を、マジシャンのごとく両手でアピールする九。
ごめん、それくらいであんなに時間使ってたの?
九は極度に格好つけたがるということを、一年間バイトを共にした特典として俺は知っている。その片鱗として、変なところでこだわりを見せるということも知っている。
だけどそれは、いくらなんでも意味不明すぎるんだが。
見た目は割とイケメン寄りなのに、こういう残念なところが欠点なんだよな。
正直なことを言いたい気持ちは山々だった。
だが、ここは友人として、こいつの努力を立ててやることにする。
「ああ、いいんじゃないか。で、それは誰が頼んだんだ」
「いや、これは客のじゃない。お前の分だよ」
ちらりと時計を一瞥する。
「駿一は休憩だろ。これ、まかないな。皿洗いはやっとくから」
「そうか、ありがとな」
いいっていいって、みたいなうざい手ぶりをする九を視界の隅に追いやり、若干戸惑いつつトレイに両手を構える。
「これ、どうやって持っていけばいい?」
「どうやってって、普通に事務所まで持ってけよ」
今度は、変なこと言う奴だなと言わんばかりに、トレイを俺に渡してくる。
「あっ」すると俺が懸念した通りに、当然のごとくスプーンとフォークがずれた。
というか、九が雑に持ち上げるもんだから、他の皿もまあまあ位置が移動している。
「なんだ、どうしたんだよ」
「いや、なんでもない……」
なるほど、お前はその時々の瞬間だけで生きている奴なんだな。
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