一話 独りきりの人生
①栗花落紘子とは――プラムレインにて
「ようやくピークが過ぎて落ち着いてきたな」
昼時は食事の客で溢れかえるため、先刻まで尻に火が付きそうな時間が続いていたのだが、今ではティータイムに入り、店内にいる客はまばらだった。
こうして溜息をつくのも何回目になるのだろう。
俺がバイトしているカフェ「プラムレイン」は、最寄りの駅を出て大通りを進み、三つ目の交差点を右折したところにある。駅からは多少離れているため、普段こそは常連客が大半を占めているのだが、夏休みの時期ということもあり、ここ数日は忙しい日の連続だった。
「センパイ、暇になったんで話し相手になってくれませんか」
俺が空になった食器を厨房に運ぼうとしていると、一切の疲れを感じさせない出で立ちで、二つ下の後輩――栗花落紘子が、臆面もなく話しかけてくる。
俺もこいつも給仕の恰好をしているわけだが、傍目からはどう見えてるんだろうな。事務的な話? 残念、ただの馴れ合いです。
「お前、いつから先輩で暇つぶしができるようになったんだよ。そんなこと言ってる暇があったら、テーブル拭いてこいよ」
「それも含めて、全部センパイがやればいいんですよ。私はちょっと面倒な客に絡まれて、心身共に疲れてるんです」
そう言って明け透けに緊張を失くす栗花落。どう見ても疲れている奴の態度じゃない。
「俺だって疲れてるんだよ。こういうのは役割分担だろ」
「ほら、精を出すのは男性の役目じゃないですか。私、女なんで」
「どういう意味だよ」
「女には一滴たりとも精は出せないって意味です」
「……」
出たよ、返答に困る栗花落の決まり文句。こいつの顔を剥いだら、そこそこいい年のオッサンが出てくるんじゃないかと思ってしまう。
「九に言いつけるぞ。栗花落が仕事さぼってたって」
「フッ、センパイって本当に子供ですね」
お前に言われたかねーよ。
まあ別に重労働ってわけでもないし、なんなら全部俺がやっておいてもいいんだけど、ここで言いなりになるのは先輩として格好悪い気がする。
「じゃあこれを厨房まで持っていくくらいはしてくれよ。清掃は俺がやっておくから」
「厨房まで……ですか」
「それくらいはできるだろ。清掃かこれを運ぶか、どっちかはやれ。選択権は与えてやる」
「センパイ鬼ですね。ソロで厨房に行かせるとかレベル高すぎますよ」
栗花落の余裕の表情が瓦解したのを俺は見逃さなかった。というのも、厨房に行かせる提案をしたのも、俺は栗花落の付け入る隙を知っていたからだ。
「ほらどうする。愛しの九に会いに行くかい?」
「ぐ、余計な形容詞は付けないでください! わかりました。清掃は私がやっておきます!」
ショートヘアの隙間から栗花落なりの睨みを利かせてくるが、頭一つ分小さいし、女としての武器のアレも貧相なちんちくりんなこいつがやったところで、むしろ微笑ましいくらいだった。
「じゃあ、頼むわ」
意気揚々と厨房へ向かう俺の背中に、力を取り戻した栗花落の一言が刺さる。
「任せてください。全身リップの勢いで済ませるので」
お前こそ余計な言葉付けんなよな。
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