第5話 超強力エンジン

「やっぱり気持ちイイやん」

二階堂あやねにとって、久しぶりのロードバイク。久しぶりの全力疾走。

額から鼻先、頬から耳へと空気を切り裂いていく体感。

ランニングとは一味違う(もちろん、ランニングも気持ちよいけど)、自分自身が風になったような感覚。


スタートラインから第1コーナーへの下りに乗り、ローギアから一つ一つギアを上げて、ペダルを一つ踏むごとに、速度は上昇していく。

レナ・ジョブズ、神木祐希、花村かれんは、既に50mほど後ろにいた。

あやねは加速を終えて、一定のペースを維持する。巡航速度に入り、そのまま第1コーナーを右に曲がる。ポケバイの時の感覚を思い出し、あやねは右へと体重を移動した。イン側にべったりとはいかないけど、アウト側を大きく曲がっていく。

(あ、今。体重移動で曲がれた!)


大回りとはいえ、ハンドル操作による進路変更ではなく、体重の移動により曲がれた第1コーナー後にして、第2、S字、逆バンク、ダンロップコーナーへと続き、そしてデグナーカーブの第2コーナーの入り口が見えた。

「怖い!」思わず声を出しながらも、あやねは祐希から教わったサーキット走行の基本、アウト・イン・アウトで走行ラインを取る。それはもちろん、自転車にとって理想の走行ラインではない。しかし、アウト・イン・アウトはもっとも大きな円、すなわちもっとも緩いカーブで曲がれる走行ラインだ。


あやねはコースの左端を走り、デグナー第2のカーブの頂点であるクリッピングポイントへ向かって、体重移動を開始した。

ゆらりと右へ傾くロードバイク。すり鉢状になったコーナーの路面に乗って加速しながらクリッピングポイントへ向かう。

クリッピングポイントを超えてコーナー出口が見え、ペダルを請いで加速してデグナーカーブを脱出した。

「出来たー!」そう叫びながら、右手を突き上げたあやねだった。


ついさっきまで、茜色をバックに西の空を山の影が覆っていた。今ではすっかり暗くなってしまった鈴鹿サーキット駐車場。

陽の光が無くなり、気温も下がってきた。


ゼフのキャンピングカーの屋根からターフが広げられている。その下をランタンの明かりが照らし、冷たいけども優しい鈴鹿おろしがターフを静か波打たせていた。

ランタンの明かりは、一つではなかった。

急ごしらえのゼフのバーベキューコーナーの上に一つ。


PinkySpiceの四人が車座になって座っている、キャンプチェアーの上に一つ。

8名のピンキーサイクロンのスタッフの上に一つ。

遠くから見たそれは、真っ暗な宇宙の中にぽっかりと浮かぶ、砂漠のオアシスのようだった。


鈴鹿サーキットでの初めてのタイムアタックを終えたPinkySpiceは、ピンキーサイクロンのメンバーと、ゼフの料理に舌鼓を打つ。

「あやね。久しぶりのバイクはどないやった?」とレナ。

「うん。やっば気持ちイイね。ヘアピンとシケイン以外は曲がれたし」

「ええー。マジ!凄いじゃん!」と祐希が自分の顔ほどある肉を、フォークにぶら下げながら驚いた。


傍らにいた、エスキモーのような防寒服を来たかれんはと言えば、

「……」

「かれん。どないしんや。ずっと黙ったままやん」

「……」

「え?カレンちゃん大丈夫?」とあやねが心配すると、

「かれんなら大丈夫だよ。もう200グラムのステーキ3枚食べたよ」とゼフの言葉を聞いた、かれんがぽつりと言った。

「その防寒服なら寒いって事は無いだろうし」

「寒いどころやない。燃え尽きたんや」

「え?」

「燃え尽きたんや……。真っ白にな……」



「むむ。カレンちゃん。そのセリフは……」と言ったポップ山村が、焼肉のたれの瓶を逆さまに掴む。肝っ玉母さんのような温厚な顔には似合わない眉間に皺を寄せて、ランタンの明かりの真下に進み出た、ポップ山村。

焼肉のたれの瓶をマイク代わりにして歌いだした。

「サンドォ~♪バッグに~♪浮かんでぇ~♪消えぇぇるぅ~♪」

「さ、さすが山村さん!」

そう言ったゼフ・シュトロゼイン。山村の歌に袖で目を拭いていた。


「あちゃ~、山さんの特技が始まっちゃったよ」とあきれる祐希に井形ユリが言った。

「ホント。ゼフさんの料理は超美味しい」

「かれんの料理も最高だよ」との祐希の言葉に、かれんはにっこりと笑った。

キャンピングチェアーの背もたれにもたれて、かれんは夜空を見上げた。

叩いたらキンと音がしそうに冷えた夜空には満天の星。その光で、地上が明るくなりそうだ。


「あー、最高や!」そう言ってポケットの中のサイコロを指先で転がす。

(サイコロの言うことを聞いていれば、間違いないんや)

「そろそろ眠うなってきたな」

「れなちゃん。キャンピングカーの中でストレッチやって寝よう」

「さっきもやったやん」

「念には念を入れて。明日の朝、全然違うよ」

「そうやな。明日は朝早いうちに、タイムアタックやもんな」


翌朝。

「うぎゃあぁぁぁぁぁぁ」

「なんや!」

「ゼフさんが野生のニワトリ捕まえて、締めてるんじゃない?」

「ちゃうで~、かれんちゃんや」

ゼフのキャンピングカーにある2つの二段ベッドの上段で、花村かれんが絶叫していた。

「痛い~。私の人生終わったんや!」

「痛いって、それ筋肉痛だよ!」

「大丈夫かれんちゃん!」二段ベッドの上から笑い転げそうになった、祐希を抑えながらあやねが聞いた。


「かれん。私がマッサージしてやるから大丈夫や」とレナの言葉にあやねが答えた。

「レナちゃん。さっきからベッドに寝たまま固まっているよ。レナちゃんも筋肉痛じゃないの?」

「あの程度で、私が筋肉痛になるわけ無いやん」

「そうなんだ。じゃあ私がマッサージしてあげるよ」と祐希がレナの太ももをむんずと掴んだ。

「いたたたたたたたたたたた」


「朝飯出来たぞー」というゼフの言葉に、4人は何とか全員集合。

朝食のフレンチトーストを頬張った4人は、鈴鹿サーキットを3回タイムアタック。

その後、タイムの分析となった。


「やっぱり、あやねがトップやね」

「あやねちゃんの8分2秒って速いの?」

「うん。女性の中では速い方かな」

「だけど、二階堂さんは、ヘアピン、シケインは歩くように遅いねぇ」そうポップ山村が区間ごとのタイムチャートを見ながら言った。

「山さん。あやねは曲がれないカーブは、自転車を降りて押してるんだよ」

「そうか。じゃあそこを何とかすれば、7分50秒台は出そうだな」

「それに、コース取りも他のコーナーは大外回ってる」

「え?それじゃあコース取りを良くしたら、7分台そこそこは、出るんじゃないのか?」


「2位、ゆってぃ。8分12秒」と井形ユリ。

「3位、レナ・ジョブズさん。8分15秒」

「4位、花村かれんさん。8分51秒」

「負けたんや!私は負けたんや!」

「かれん。考えすぎやで!」

「はははははははは」

「そうやで、かれんちゃん。8分51秒でもかなり速いタイムやん」と、笑いすぎて椅子から転げ落ちそうになる祐希を支えながら、あやねが言った。


帰りのゼフのキャンピングカーの中。あやねを中心にミーティングが始まっていた。レーサーとしてのトレーニングがある祐希は、鈴鹿サーキットからTIFでミーティングに参加していた。


あやねが3人に説明した。

「これで、今の4人の実力が判ったね。はっきり言っちゃうと、今の4人では絶対に1位にはなれへん。男子のタイムは1周7分台前半やねん」

「ちなみに、昨日のブラスカのタイムは?」

「トップは6分39秒」

「速いなぁ!」

「でも、これはスプリントのタイムだから、8時間走るとなるともう少し遅いよ」

「8時間の耐久レース。毎週回、ペースを守って走り続ける必要がある」

「そう。さすが鈴鹿のKAMIKAZEの言う通り。8時間スピードを維持する、かなり厳しい戦いになるのは間違いないんや」


「って、言うか、戦いにすらならないやん!」と花村かれんが言って続けた。

「今のままだと、絶対に1位にはなれへんで。去年の優勝チームは、60周しているんよ。平均時速にすると43km/hになるんや。今、うちらで時速43キロ出せる人いる?時速35キロがせいぜいやん」

「かれんちゃん。今はこれが現実、これが私たちの精一杯や。これから、皆が自転車に慣れてタイム伸びるかも知れないし、強力なメンバーが見つかるかも知れないやん」

「そうや!あやねの言う通りや!やってみなきゃ判らん。他のチームが全部、棄権するかも知れん!」

「レナ。それは無い」と祐希がつっこむと、全員が再度大爆笑した。


「それにしてもかれんちゃんは、分析博士やな。作戦参謀はかれんちゃんでどう?」

「それや、あやね。かれんで決まりや!」

「そうだね。かれん。勝つためにどうしたら良いか、作戦考えてよ」

「私?」

「うん。かれんが最適。ただ、一つ気を付けてほしいのは、バイクの8耐と同じで、ライダーの交代があるからそこを忘れないように」

「それにしてもかれんちゃん凄いね。過去の成績まで調べて」

「うん。こういうの好きやねん。ゆってぃに一度痛い目に会いそうになったけど…」

「え?私が何か?」

「何でもないで。馬の分析も得意やねん」

「馬って?」

「あ、違った。花や!」

「かれん。何言ってるんや(笑)」


PinkySpiceの明るい笑い声が、スピーカー越しに運転席のゼフにまで届いた。

「勝たせてあげたい。何としてもこの子達を勝たせてあげたい」

しかし、男子バスケットボールのNBAと女子バスケットボールのWNBA。そのパワーや身体能力には、圧倒的な差があった。

「そうだよなぁ……」とゼフは呟いて、大阪に向かってハンドルを切った。


20××年2月14日午後7時。シンディアス食堂はアスリート達で賑わっていた。

現代スポーツにおいて、食が勝敗を喫するといっても過言ではない。そのため、シンディアスでは24時間365日、食事ができるようになっている。


「バレンタインディやゆうのに、皆、ストイックなもんやなぁ」

「レナちゃん。試合が近い選手は仕方ないよ」

「まあ、あやねも現役選手やからなぁ。気持ちは判るんやろうな」

「うん。やっぱ勝ちたいやん。そのためには犠牲にするものは出てくるのはしゃあない」

「いややわ~。犠牲なんて絶対にいやや」そう言いながら、花村かれんがレナ・ジョブズと二階堂あやねに、分析結果を見せて説明を始めた。


「過去の成績や、今判る情報から分析した結果がこちらや」

「うちら4人が、鈴鹿8時間自転車耐久レースで1位になる確率……0.000001%」

「0.000001%って事は?」

「100,000回大会に出ると、1回優勝できるかも知れないって事や」

「え?年1回の大会だから、10万年かかるって事?」

「そうや」

「ははははは」打ち合わせに、TIFで参加していた神木祐希が大爆笑した。

つられるように全員が笑いはじめ、レナが言った。

「これは笑うしかないやん」


「でも、あやね以外はド素人なんだから、こんなもんしゃないやろ」そう言って、かれんは説明を続けた。

「この確率は、この間の鈴鹿サーキット走って、うちら4人のタイムから速度を出して、その平均速度から出してるんや」

「それって何キロ?」

「31キロ。優勝するチームは平均時速43キロで走っている」

「え?1時間走ると12キロも差が出るんだ」と祐希が言い、目を伏せて考え始めた。

「って事は、8時間で1位とうちらは、距離にして96キロの差ができるって事か。そりゃあ1位になるのに、10万年はかかるはなぁ」とレナは言って、天を見上げた。

「女子の初心者が混じって、平均時速31キロってかなり速いんだけどなぁ。もっとパワーを付けるしかないのかなぁ?」


「あやねちゃん。スピードって馬力はそれほど関係しないよ。私が乗っているバイクのGP1マシンは、200馬力で最高速度が350キロ」

「速いなぁ~」

「自動車のF1は800馬力」

「じゃあF1の最高速度は、4倍の時速1,400キロかいな!超速いやん!」

「ハハハハハハ。あやね、時速1,400キロって。音速を超えてるじゃん。実際にはF1も最高速度は時速350キロ程度だね」

「なんで?」

「空気抵抗だよ」

「空気抵抗?空気が邪魔するって事かいな?」

「そうだよ、かれん。空気抵抗は、速度の二乗に比例して増える。時速30キロなら空気抵抗は、900キロになる」

「時速30キロなら、900キロの空気の壁。時速40キロなら1,200キロの空気の壁。たった10キロしか違わないのに、しんどいもんやな」とレナが呟いた。

「つまりスピードに影響するのは、馬力よりも空力なんだよ」

「そういうもんなんか」


その時、レナのTIFの画面に、シンディアストレーナーのWindowが開いた。

「レナさん。今、FTP(機能的作業閾値パワー:Functional Threshold power)で凄い記録が出ましたよ!」

「なんや?それがどないしたん?」

「その、とんでもない記録を出した女性が、PinkySpiceに入部したいと言っているんですよ!」

「マジか!誰や?」

すると、華やかな女性がTIF Windowに現れ、にこやかに挨拶した。


「こんには~。佐藤えりかですぅ~」

「なんやあんたか!」

「PinkySpice入部希望でぇーす」

「佐藤えりかさんって、この間、食堂にいた、須賀安蘭社長秘書だよね?」とかれんが聞く。

「そうです。以前からトライアスロンはやってみたかったんですぅ」

「FTPはいくつなんですか?」

トレーナーが興奮気味に、話しに入ってきた。

「9.5ですよ!9.5!」

「9,5!!あやねちゃんでも8.1なのに」

「しかも、へらへら笑いながら余裕で、測定器こいでです」

「へらへらしていてごめんなちゃい」と佐藤えりかの言葉を聞きながら、花村かれんは「負けた……」と呟いていた。


「で、どないする?」トレーナーのTIFのWindowを閉じて、レナ・ジョブズが二階堂あやね、花村かれん、神木祐希に聞いた。

「どないも何も、入ってもらうしかないやん」とあやね。

「せやけど、佐藤えりかは絶対に須賀安蘭のスパイやで」

「レナちゃん。スパイかも知れないけど、強力メンバーだよ」

「佐藤えりかが例えスパイだったとしても、勝率には影響はない」と花村かれんが説明を始めた。

「ようするに、PinkySpiceの平均時速を上げることが、勝率を上げることになるんや。佐藤えりかさんが加入して、平均速度が上がる事があっても下がる事はない」

「そうだよ。4人より5人だよ」と神木祐希が続いて話した。「それに、今のうちに、須賀安蘭にバラされて、困ることなんて一つも無いじゃん」

「ありゃ」とレナの言葉に、「じゃあ決まりだね。私から佐藤えりかさんに、連絡しておくね」とあやねが答えた。


自宅のワンルームマンションに帰った、花村かれんは一人、独自で開発した予想システムと格闘していた。

「やっばり、男子相手には勝てへんのかな……」

PinkySpiceのメンバーに佐藤えりかのFTPデータを追加し、天候、気温、湿度、路面状況、自転車の交代時間、自転車の故障率など、様々なパラメーターをいじりシミュレーションを繰り返す。

「ダメや~。えりかさん入れても、勝率は9万分の1にしかならへんわ」

そう嘆いているかれんのスマホのTIF Windowが開いて、ゼフ・シャトロゼインが話かけてきた。


「かれんちゃん。夜遅くごめんね。今、大丈夫?」

「大丈夫です」

「そうか。仕事中じゃないのに、すまんね。妻を医者へ連れていきたいので、明日なんだけど、休んでも良いかな?」

「え、もちろんです。ゼフさん。奥さん大丈夫ですか?」

「うん。心配らいないよ。どうやら、できたみたいなんだよ」

「できた?おできか何かですか?」

「ハハハ。そうじゃないよ。子供だよ」

「ええ!おめでとうございます!」

「ありがとう。だけどまだ皆には内緒にしてくれ」

「もちろんです。明日は全然大丈夫です。任せてといてください」


「判った。ありがとう。ところで……、今日の食堂で打ち合わせしていたみたいだけど」

「はい。8時間自転車耐久レースについてです」

「どうだい?1位になれそうかい?」

「それが……」

「やっぱり無理か……」

「ええ、かなり難しいですね」

「バスケットボールでも、男子と女子では圧倒的なパワーの差があるからなぁ」

「私は競輪を外した事がないから……。この差は埋めようがないですね」

「競輪の予想?」

「いえいえ、別にそういうんじゃ無いんです。……。友達とふざけて予想をしたりしてました」

そう話した後、何かを導かれるように、かれんは質問した。


「そうだ!ゼフさんのNBA時代の話聞いても良いですか?」

「いいよ」

「自分よりもパワーがある相手の時は、どうやって戦っていましたか?」

「私よりもパワーのある相手は、いなかったよ(笑)」

「それはそうですね。では、ゼフさんが自分よりもパワーが無い相手から、やられて嫌だったことは何ですか?」

「う~ん、どうかな?ほとんど想定内だからな」


「何かあるでしょう。ちょっと手こずったみたいな」

「手こずったか……。ああ~、それならトリプルチームだな」

「トリプルチーム?」

「そう。トリプルチーム。一人に三人マークがつくことだ。普通はダブルチームと言って、一人に二人付くことはあるが、二人だと私を抑え込めないので、三人マークがついた」

「そうか。さすがのゼフさんも、三人相手ではきつそうですね」

「うん。相手もNBA選手だからね。三人付かれたら、かなり手こずった。だけど、他の選手のマークが手薄になるから、試合の勝率は高かったね」


「トリプルチーム、ダブルチームか……」と呟いた花村かれんの目がぱっと輝いた。

「ゼフさん、ごめんなさい。切ります!」

花村かれんは慌ててスマホのTIFのPinkySpice会議室Windowを開いた。

「皆、聞いて!勝率を90%にまで上げる方法を思いついた!」

直ぐに、レナ・ジョブズの顔が会議室Windowに写り言った。

「90%って、1位になる確率?ほんまかいな?」

「ほんまやで!」

二階堂あやね、神木祐希、そして佐藤えりかの顔がTIFのPinkySpice会議室に次々に映しだされた。


「どうしたの?」

「あやね。かれんが勝率を90%にする方法を、考えたらしいんや」

「えへへへ。なんかこういう会議って良いですね~」

「えりか!それ部屋着かいな?」

そうレナが指摘するのは無理もない。えりかは、まるで、ベルサイユ宮殿の貴族のような部屋着を着ていたのだ。

二人のやりとりを無視して、バイクの作業場であろうと思われる工場から、作業着姿の祐希が言った。


「勝率90%って事は、2位以下になる確率は、10%以下って事?じゃあ、存続決定みたいじゃん」

「ゆってぃ!そのとおり!存続決定や!やったー!」

「れなちゃん。だから、その方法を考えただけで、PinkySpiceの存続が決定したわけではないんや」

「かれん、冷静やん」

「私はいつも冷静やん。でさ、勝率を90%にするアイデアを説明するで」

「うんうんうん」

「と、その前に!」

「なんやねん!お約束か!」

「あ、ごめん。お約束じゃなくてマジや。まず、勝率を90%にするとはどういう事かを説明するで。

 去年までの優勝チームの平均速度が時速43km。これは途中でピットインして交代も入っているんやから、実際には平均時速45キロ~48キロぐらいで走っていると考えられるんや」


「なるほどなぁ」

「と、言うことは、平均時速50キロで走ったら1位になる確率は70%ほどや。もしも平均時速52キロ以上で走れたら、勝率は90%になる」


「時速52キロ……」そう言って、あやねは目を丸くした。

「52キロ……。そこまで太るのも、大変やん」

「えりか!あんたほんまマイペースやな。時速52キロなんて絶対に無理やん」

「そうや。普通にやったら絶対に無理や。そこでや……」


「あ~、コーヒーの良い香り!コーヒー入ったからちょっと待ってや」とえりかがTIFのWindowから消えてしまった。

「なんやねん!」と怒るレナを無視して、祐希が言った。

「ははははは。えりかさんって面白いね。でも、こういうマイペースって耐久レースじゃ、大きな武器になるんだよ。放っておいて、話進めようよ。かれんどうするの?」

「うん。平均時速52キロを出すために……二人乗りや!」

「二人乗りかいな?」

「そう。二人乗りや」

「ニケツって事?」

「ゆってぃ。ニケツってなんや?」

「自転車二人乗りの事だけど?ニケツって言わない?」

「あんま聞かんなぁ」

「あやね!あれよ、あれ!なんて言うんだろ?二人乗りで二人ともこぐ乗り方」

「中国の王様になる漫画?」

「それはキングダム」

「バッファローズの本拠地」

「ゆってぃ。それは大阪ドーム」

「かれん、判ったで!自転車を赤く塗って三倍の速度が出せる!

「レナちゃん。それは、ガンダム。しかもシャアや!判ってるくせに間違えるの止め!」

あやねとゆってぃとレナ、そしていつの間にか戻っていたえりかが笑い出した。


「ごめん。判ってるよ。タンデムでしょ」

「それそれ!タンデム自転車!」

「『スプリント』でもタンデムあったよね?」

「ゆってぃ良く知ってるね。二人乗っているから、男子なら最高速度は60キロ以上出るよ」

「あやね!やったで!それやったら100%1位やん!」

「でも、私はタンデム自転車には乗った事ないなぁ」

「え?なんでや?」

「だって乗らないやん。普通」

「確かに普通でも競技でも乗らんなぁ」

「それにタンデムって、二人の呼吸が合わないと、一人乗りよりも遅くなるんや。一人で二人分の体重が乗った、自転車を漕ぐことになるんやから」

「あ~、コーヒー美味しい」

「なんや、えりか!私もコーヒー飲みたくなってきた」

珈琲を一口飲んだ佐藤えりかが、ため息を一つついて言った。


「うちらの作戦参謀は、かれんちゃん」

「そうや」

「そのかれんちゃんが考えた作戦でしょう?」

「そうや」

「だったら、かれんちゃんが考えた作戦で、うちらはやるしかないんちゃう?」

一瞬、全員が沈黙した。そして、えりか以外が大爆笑!


「キャハハハハハハ。怖いわぁ~。えりかが初めて、まともなこと言いおった!」

「ははははははは。でも、えりかの言う通りや!」

「そうそう。えりかちゃんの言う通り。かれんのタンデム作戦で良いじゃん。これで行こう!」

「満場一致やな。あやね。タンデム自転車ってどこかに無いんか?」


そうカレンが言うとあやねは「あ……」と言ったきり固まってしまった。

そして、全員の笑いは止まりかれんが言った。

「ん~、タンデム自転車?その辺の自転車屋に、あるんちゃう?」

「そうそうそう、わいも昨日、近所の自転車屋で見たでぇ~って、えりかちゃん。ある訳ないやろ!」そうカレンが言ったとき、祐希が言った。

「そうでも無いんだよね」

「なんや?」


「レナちゃん。実はポップさんに、うちらのスペシャルマシンを作ってもらっているんや」

「あやね!ホンマか!」

「キャプテンのあやねには話してあって、今日、発表する予定だったんだ」と祐希が説明し続けた。

「山さんの実家は、自転車屋とバイク屋をやってんだよ」

「そうか、ゆってぃ!ポップさんのスペシャルマシンは、タンデムにしてもらうってことやな?」

「うん。作ったことあると思うし」そう言いながら、祐希はスマホで電話をかけた。

「もしもし、山さん。スペシャルマシンは、タンデムにしようって」

電話の向こうで、ポップ山村が答える。

「タンデムか!なるほどねぇ。ダブルエンジンだね」

「うん。ダブルエンジンなら、最高速も伸ばせるでしょ」

「最高速?」

「女子と男子じゃエンジンが違うからさ。最高速度も巡行速度も違うんだ」

「そうだろうねぇ。判った。ダブルエンジン面白いね。最高速も巡行速度も男子以上にしてやろう!」

「うん。そう、判った、送る」

「なんやて?」


「全然大丈夫。山さんは超乗り気だったよ。あ、そうそう。私たらの3Dデータを送ってくれって」

「3Dデータ?シンディアスの水着開発部門に行けば、すぐに取れるけど、なんに使うねん?」

「スペシャルマシンに乗ったら、直ぐに判るよ。シェイクダウンを楽しみにして」

「マックシェイク飲みたくなってきた」という、えりかのボケを無視してカレンが言った。

「よっしゃ!決まりや!後は二人乗り自転車に乗る練習やな」


「ブウラスカに、スプリント用のタンデムがあるから借りてくる。ロードレース用に改造すれば練習に使えるで」

「あやね。それはやめた方が良いんちゃう?ブウラスカにばれたら、タンデムで出場してくるかも知れないやん」そう言ったのは、佐藤えりかだった。

「そうか。ちょっと待って」そう言った祐希が再度、ポップ山村へ電話した。

「うん。判った。山さんありがとう」

「何やて?」

「今、作りかけの一人乗りスペシャルマシンを練習用のタンデムに、改造してくれるって」


「決まりや!」

「しかしやで。タンデム女子と一人乗り男子が、8時間もレースをした記録なんてあるんやろか?」

そのカレンの言葉を聞いて、レナがスマホに向かって語りかけた。

「MARO。自転車タンデム女子と自転車一人乗り男子が、8時間もレースをした記録ある?」

「無いデスマルク。ただし、自転車タンデム女子の競技は、パラ競技パシュートにあります。世界記録は3:21:06」

「MARO。2つの記録を時速に直してや」

「自転車タンデム女子パラパシュート3000mは、平均時速53.72km/h。男子パシュート4000mは、平均時速58.48km/h」


「お!女子タンデムで、平均時速53.72km/h出てるやん!」とかれん。

「男子は58キロ……。体重58キロなんて、絶対嫌やわ」とえりかが呟く。

「ゆてぃ。レースで考えたらどないや?」

「レナちゃん、これは3キロと4キロの平均速度でしょ。それで、4.77km/hの差。8時間走ったら、37.6キロの差が出る」

「似たような話を前にも聞いたで」

「そう。だけど、100mの話じゃない。3kmと4km走って、世界記録での速度差が、たった4キロしか違わないんだよ。男子一人乗りよりも、女子二人乗りの方が速く走れそうな気がするじゃん」

「そうやん。男子の記録はプロを交えての世界最高峰の記録や。女子のタンデムはアマチュアの記録や」そうカレンが言うと、

「希望が出てきた!何とかなる!行くでー!PinkySpice!」そういうとTIF Windwoのレナが手を前に出した。

そして、あやね、かれん、えりか、祐希がレナと同じように手を前に出した。さしずめバーチャル円陣とでも言ったところだ。


「あやね。PinkySpiceのえい!えい!おー!みたいのあったやん」

「うん。やるよ!」

円陣を組んだ全員が、あやねに集中した。

「Go!」

「ああ!そうだ!」と大声で祐希が叫んだ。

「なんや?ゆってぃ!」

「タンデムでしょ?ダブルエンジンでしょ!PinkySpiceスペシャルマシンに、めっちゃ強力エンジンが積めるじゃん!」

「めっちゃ強力エンジン?なんやそれ?」とかれんが言うと、祐希が答えた。

「めっちゃ強力!世界一強力エンジン!」

「世界一……」そうかれんは呟いた後、レナとあやねがTIF Windowの中ではっとする。

「ああ!」そうレナが叫ぶと「そうか!」とあやねが叫んだ。

「何かあったん?」と映ったえりかの手には、マックシェイクがあった。


祐希が言った。

「そうだよ!世界一強力エンジン!パワーリフティング世界チャンピオン、蒼以みるかさん!」

「タンデムなら、後ろに乗ってもらえば、目が見えなくても大丈夫や!」

「あ!もしもあやねがカーブが克服できないなら、あやねも後ろに乗っても良いやん!」

「良いこと尽くめ!」

「ちょっと待ってや。勝率を計算しなおす」そう言ったかれんが、ノートPCに向かいPinkySpiceの勝率を計算し直すと……

「かれん。どないや?」

「ポップさんの作るタンデムスペシャルマシンに乗り、蒼以みるかさんが加入した場合。一位になる勝率は……97,99%」

「勝てるじゃん!」


その時、マックシェイクを一口飲んだ佐藤えりかが、ふーとため息をついてつぶやいた。

「この大会も、そうやな」

「ん?なんや?」

「この大会もそうやなって」

「そうやって?」

「私、出た大会は全て、1位やったんよ」

「マジか……」

「私、敗戦しないので」

「Dr.スランプかいな!」

「かれん。それを言うならDr.Xじゃん」

3人のやり取りに、笑顔で答える佐藤えりなの顔は、世界女王の貫録に溢れていた。

(今のこの4人の中には、3人の勝負師がいるんやなぁ)

そう、かれんは心の中で呟いていた。

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