sigh


「あの…、ごめんね」


 目の前で肩を落としている恋人にそう声をかけると、彼は少しだけ顔を上げた。


「いま、話しかけないで」


 そう言ったきり、彼はまた顔を伏せた。


 顔を上げた時に見えた、その目。

 何度も見合わせた、薄く灰色がかった綺麗な茶色い瞳が、わずかに潤んで、光っていた。


 震えた声。

 押さえつけるように自分自身の肩をぎゅうっと抱いて、俯いている彼は、黙り込んでいる。

 これ以上口を聞いたら私を傷つけてしまう、という、優しい彼の気遣いが窺える。


 今彼の頭には私のことしかない。

 私をどうしてやろうかとずっと考えているはずだ。



 背筋を、ぞく、ぞく、と甘く痺れが這う。

 きっと私の口元はだらしなく緩んでいるだろう。俯いている彼からは見えない方がいい。


 今までもそうだった。

 ある人は怒り狂い、ある人は泣き叫び。

 そのたびに、「ああ、この人はこんなにも私を思っているんだな」と実感できた。


 目前にいる、今の私の恋人は、あまりに静かに、しかし必死に、私への怒りを滲ませている。


 こんな彼の顔がただ見たいという理由だけで、好きでもない男と寝たこんなクズみたいな女のために。


 彼は、こんなにも必死に、こんなにも狂おしく、私のことを考えているあいしている


 私が恋人を作る理由は、その一瞬の輝きのようなものを、ただ見たいという、それだけだった。




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sigh @sigh1117

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