第五章・人魚姫

第29話 お誘い

「姫、起きて……」


 朝日の差し込むベッドの上、王子はそっとささやいた。


「うぅ……、まだ眠ぃ」


 姫こと姫路白鷺ハクロは寝惚けているのか、細い腕でギュッと抱きついた。

 

「ふふ、今日はお寝坊さんなのだね」


 初日は昼まで爆睡してしまった王子だが、本来は早起きさんである。


 早起きは三文の徳という。

 姫より先に起き、姫が起きる前に身なりを整え、そして姫が起きるまでその寝顔を堪能できる。


 枕ではなく、自分に抱きついてくれたらなお良いのだけれど。


 ハクロはガッチリと枕をホールドし、枕はハクロの心をガッチリホールドしている。そこに王子の入り込む隙はない。


 さて、どうしたものか……。


「姫、早く起きてくれないと……アガッ!?」


 不用意に顔を近づけていた王子は、突然起き上がったハクロとごっつんこして、顎を強打した。これは痛い。


 だがしかし、こんなことでめげるものか。


「ねえ、姫。今から私と、タノシイことをしようじゃないか」


 寝起きでぼんやりしているハクロの手に、王子は立派な竿を握らせた。


「あぁん? 何のつもりだよ」


 胡乱うろんな目で見上げるハクロ。

 ここで王子は、とびきりの王子様スマイルを発動した。


「釣りに行こう、ハクロ! 森で拾ったんだ」


 王子が見つけてきたのは、軽量で丈夫なカーボン素材でできた釣竿だった。


 いわゆるオーパーツというやつだ。

 おとぎ話の中には、ステキな魔法道具たちとは別に、こうしたものも時折登場する。


 例えば、シンデレラのガラスの靴。


 ガラスの靴と聞いて、こう思われたことはないだろうか――めっちゃ痛そう。めっちゃ重そう。踊るとか、走るとか、いや、ムリ!


 そう、この靴は「ガラスの靴」と呼ばれているが、実際には従来のガラスではなく、未来または異世界の素材でできているに違いない。


 当時の分類では該当するものがなく「透明で固めだし、とりあえずガラスってことにしとく?」というノリで『ガラスの靴』という名目になったのだ。


 閑話休題。


 王子は先日初めて釣りを体験してから、すっかりハマってしまったらしい。


「日焼けするから、ちゃんと長袖着て行けよ」


 出かける二人に、小人の赤松は水筒を持たせて言った。


「えー、暑いからやだ」


「おまえなぁ。色白いんだから、ちゃんと対策しとかねえと。また真っ赤になって、あとで泣くことになるぞ?」


 それは……ちょっと見てみたいかも、という邪心がよぎったことを王子は賢明にも黙っておいた。口は禍の元だ。


 でもしっかり想像はしている。



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