第2話 アンダー・ザ・おこた
野木坂が一人暮らしをする、狭苦しい1Kのアパートに来客があった。
「野木坂君、久しぶりだね。私のこと覚えてる?」
「……」
女の質問に、野木坂は返事をしなかった。無言で相手を睨みつけている。
野木坂は礼節をわきまえた好人物である。その彼がかような態度を取るのには理由があった。
目の前の女に見覚えはあるが、名前を思い出せないのである。相手はすきまクラブのOGだと言うのだから、名前を聞きだす無礼は避けたい。
それにしても野木坂は不幸な男だ。この年代の女性といえば、流行のメイクによって画一的な『Kawaii』に自己を押し込めがちである。ほとんどが同じ顔をしている。ヒヨコ鑑定士ばりの洞察力がなければ、個人を判別することなど不可能だ。
だが、そこは野木坂である。事態を解決する策を既に練り終えた。
「名刺をいただけますか?」
野木坂はボソリと言った。
「あ、ごめんね。まだ慣れてなくて」
客の女は慌てた様子でハンドバックを漁った。膝立ちになって、こたつ越しに名刺を渡す。
「机越しに失礼します」
野木坂は両手で名刺を受け取った。勝ったな、と心の中でほくそ笑んだ。つかの間、そこに記された名前を見てがくぜんとする。
〈名刺〉
あなたの人生の応援団長
〇〇生命 ライフアドバイザー 三田亜紀
送り仮名が降っていない。『みた』なのか『さんた』なのか、これでは判断できない。あるいは、それ以外の読みという可能性もある。
しかしまあ、統計的に言えば七割方『みた』だろう。三割の例外のために無関心を告白するのは馬鹿げている。野木坂は決意に満ちた表情で口を開く。
「ミタさん。つまり……」
「サンダです」
「すいません。サンタさん」
「サ、ン、ダ、です。サンダアキです」
「……サーターアンダギーさん。つまり」
「すいません。お手洗いをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ……」
野木坂の完敗だった。三田はハンドバックをわしづかみ、机の天板を支えにして立ちあがる。
部屋に残された野木坂は足を崩した。こたつの下で相手を蹴らないようにとインディアンデスロックを喰らっている体勢で座っていたので、足が痺れていたのだ。
ふと、野木坂は怪訝な顔をした。足先に何かが触れたのだ。足の裏で探ってみると、やはり何かある。五本指靴下の指先を使いこなして引き寄せる。
取り上げてみると、女性物の
野木坂が焦ったのは、彼が童貞だからではない。手の中にあるものがTバックだったからである。突如としてコタツの中にTバックが現れる怪奇現象を経験をした者など皆無であろう。
(まさか三田さんが? 熱さに耐え切れずに脱ぎ捨ててしまったのか……)
野木坂は状況を整理する。
(俺は三田さんのスカートの中を確認したか? いや、していない。ならば、このTバックが三田さんのものである可能性は否定できない。そういえば三田さんはストッキングを履いていなかった……)
野木坂はストッキングの上にパンツを履く女と出会ったことがなかった。つまりパンツを脱ぐには、先にストッキングを脱がなくてはいけないというロジックが成り立つ。裏を返せば、三田がパンツを脱ぐためにストッキングを脱いだとも言えるのだ。
(これは新手の営業手法かもしれない。保険外交員恐るべし……)
野木坂は自身の推理を補強するために現場の確認に向かう。ポケットに証拠物品をねじこんでコタツの下に潜り込んだ。
(せまい、熱い……クソッ!)
熱線が頭皮を焦がして集中できない。状況を打破すべく、野木坂は心頭滅却する。
(gaps which they will fill up with You――君が満たすだろう隙間――)
原因と結果は常にセットである。両者を結びつけられないのなら、情報を集めればよい。欠落した論理のすきまを埋める物が情報だ。そして野木坂はすきまクラブの一員である。そこにすきまがあれば、埋めずにはいられない。
野木坂はコタツの電源を切った。意を決して、コタツ布団の中に頭から潜り込む。
あらためて現場状況を確認する。三田が座っていた座布団に触れると異常なほど湿っていた。こぶし大の水風船が一つ二つ割れたあとのような惨状だった。
(上は大火事、下は洪水……まるで、風呂の逆だな)
野木坂は自身の考察に引っかかりを覚える。
(風呂の逆? お風呂、Ofuro。その逆は……or UFO。または未確認飛行物体だと!?)
恐ろしい感性である。不十分な情報から、解決への糸口を導き出していた。
(これはTバックではない。次元の狭間を超えてきた未確認飛行物体なのだ。つまり、ここには宇宙からのメッセージが込められている)
「ごめん、野木坂君。どこかに書類が落ちてなかった?」
野木坂はコタツから顔を出した。三田がもどっていた。
「知りません」
「困ったな。企業秘密が書かれてるんだけど……」
野木坂はポケットに入れたTバックのことを思い出した。
(もしやこれが書類なのか? 情報漏洩を防ぐためにパンツの姿でごまかしているとでも? そこまでして隠したい企業機密とは……クソッ!)
厄介ごとに巻き込まれることは目に見えている。野木坂は、世界を救うヒーローになりたいのではない。明日もこたつで任天堂をしたいだけなのだ。三田のほうを睨みつける。
(三田さんがパンツを履いている場合、これが書類である可能性は否定できない。履いていなかった場合には、これは高確率でパンツであると言える……。パンツを二枚重ねて履く女はいるだろうが、Tバックを上にして履く女は皆無だろう。三田さんが履かない派の人間である可能性もあるが……)
野木坂は悩んでも仕方ないと思った。まずは状況を確かめるのが先決である。この際にシルエットから、下着の着用の是非を推測するシースルー法は選択しなかった。ボトムスの生地によって精度が大きく左右されるし、下着線が出にくいTバックを見落とすからだ。
野木坂はローリング法――体を回転させるようにして幽体を離脱させる技術――を用い、幽体離脱を決行する。全長を11.2cmほどに縮めて、すきまへの侵入を試みる。
①開け放たれたすきま……
――ガンッ!
野木坂は衝撃に目をむいた。なんと、幽体離脱が跳ね返されたのだ。
幽体離脱を妨害する方法はいくつかある。たとえば離脱者の肉体に衝撃が与えられ、集中力を損なった場合などだ。他には離脱者の精神に干渉をおこなう何者かがいて、半強制的に幽体をしまわされる場合もある。
野木坂が驚いたのは、今回のケースがどちらにも該当しなかったからである。
(まとっている精神力だけで防御しやがった……)
野木坂の驚きは尋常でなかった。三田は、能動的な力の行使もなく、ただそこにあること――just being――で拠点防衛を成しとげたのだ。
「おかしいなあ……デスクを確認したいから今日は帰るね」
呆然とする野木坂を置いて、三田は部屋を後にした。
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