020「眼帯の理由」
「『奇形殺人』の次の被害者は、アーティストの
新聞の社会面、あまり大きくない記事だった。交通事故や地方公務員の汚職事件と同列に語られた彼女の事件は数年前から連続して起こり続けている一連の奇形殺人の一つとされた。
「奇形殺人」。その見出しが様々なメディアで取り上げられるようになったのはここ数年のことだ。異様な手口で進む連続殺人事件。その刺激的なニュースは、かつて連日のようにワイドショーを賑わせた。
犯人は誰なのか、単独犯なのか、組織的な犯行なのか、凶器は? 動機は?
様々な憶測が飛び交い、数多くの専門家たちが毎日のように意見を交わした。
さすがにメディアで死体の詳細が放映されることはなかったが、いわゆるアンダーグラウンドなサイトではどこからか被害者の死体の画像が流出していた。
その画像は本当にどれも悲惨だった。腕がねじ切れていたり、あらぬ方向に脚が曲がっていたり、鼻が異常に伸びてしまっていたり……。
ほんの少しでも人間的な理性が残っていれば思いつく事すらできないような残忍な殺害方法ばかりだった。
警察は当初、犯人を相当な精神異常者と断定し、「日本の警察の威信にかけて全力で捜査を行う」と宣言した。おそらく、その言葉に嘘はなかったと思う。
しかし、奇妙なことに、幾ら調べても彼らは犯人の影すらつかむことができなかった。
被害者は必ず完全に一人の時に犯行に巻き込まれており、目撃者は今までで一人もいない。人の身体を引き延ばしたり切断したりと大がかりな犯行であるにもかかわらず、凶器の一つもみつからない。ありとあらゆる事が闇の中だった。
最も奇妙な点は、死体の形状だった。死体は単に外部から痛めつけたというよりは、何らかの意図と目的をもって内側から自壊したような、まるで自らその姿になることを望んだかのような姿をしているらしかった。そんなことがそもそも物理的に可能なのか、そういう点も含めても謎の多い事件だった。
あまりにも手がかりがつかめなかったため、メディアは徐々にこの「奇形殺人」を大々的に取り上げるのをやめていった。危険な犯人が未だに平然と市中をうろついていると言う事実はパニックを引き起こしかねないという判断があったかも知れないが、単純に大衆がそのニュースに飽きたこともあっただろう。
でも、そんなことはどうでもよかった。
この世界に彼女がもういないこと。
それ以外のことは、ありとあらゆることがどうでもよかった。
最初、僕は事件のことを全く信じることができなかった。
彼女が何日も部屋に戻らなくても、警察から事件の事を報告された時も、事件前最後の目撃者として彼らの取り調べを受けている時も、ずっと性質の悪い冗談に違いないと思っていた。
「奇形殺人」なんてものはただのニュースであって、つまりは画面の向こうの、紙面の向こうの、僕らの日常とは何の関係もない世界。見ると少しだけ心が痛くなる、そんな存在であるはずだ。
彼女はただ自分探しの旅に出ただけで、それがちょっと長引いているだけで、きっとこの部屋で待っていればひょっこり戻ってくる。僕はそう確信していた。そう思っていなければ自分を保つ事が出来なかった。
ただ、現実は徐々に僕の心を蝕んでいった。彼女がもうこの世にいないという事実がひたひたと身体に染みこんでくるようだった。
それに抵抗するように、僕は何度も彼女が帰ってくる事を想像した。毎日のように彼女が一人で暮らしていた部屋に行き、彼女のアトリエに行き、彼女と巡った美術館をまわった。途中まで進んでいた就職活動も全て放棄して、どこかにいるはずの彼女を探し続けた。
何度も彼女が居ないことに落胆し、徐々に落胆することすらなくなって、ただただ彼女が居ないことを確認するだけの作業に変わっても、僕はそれを続けた。
家族も、友人たちも僕の事を心配したが、余計なお世話だった。もう諦めろなんてもっともらしく言う奴らが全員敵に見え、殴りつけてしまったこともあった。徐々に僕の周りからは人が減っていった。
それから約半年。秋にさしかかったある日。
僕はベッドから起き上がることができなくなってしまった。どんなに頑張っても身体に力が入らなかった。
理由は分かっていた。
彼女がこの世にいないことを、僕の全身が認めてしまったのだ。
その時はもう、涙すらでなかった。
それから僕は、なにもできない人間になった。ベッドから起きることができず、ひたすら天井を見つめ続けた。そして、延々と彼女の事を考え続けた。特に、彼女と最後に交わした言葉のことばかり考え続けた。
僕は、彼女になんて言ってあげられただろう。深く傷ついた彼女にどんな言葉をかけてあげればよかったんだろう。どんな言葉なら、こんな結末を防げたんだろう。部屋を出て行く彼女をどうして止めなかったのかのだろう。抱きとめなかったんだろう。彼女はどういうつもりで部屋を出て行ったのだろう。彼女はどうして僕に「全部あげる」なんて言ったのだろう。絵をやめてしまう気だったのだろうか。心機一転新しいことを始めるつもりだったんだろうか。それとも次の絵を描くために新しい画材を買うつもりだったんだろうか。
彼女はどうして僕に何も言ってくれなかったんだろうか。
僕に何ができただろうか。
仮に何かができたとして、彼女はそれを望んだだろうか。
本当に、僕らは恋人だったのだろうか。
その問いに、永遠に答えはでない。
「……」
その時、オレンジ色の光を感じたことを覚えている。
朝焼けなのか夕焼けなのかわからないオレンジ色の光が窓から差し込んできているのが見えた。その光は、僕を呼んでいるようだった。
僕はベッドから起き上がり、誘われるままに表に出た。
外の世界は、明らかにいつもと様相が違う。
奇妙な姿形の怪物が、至るところで奇妙な動きと叫びを垂れ流している。
身体の一部が極端に大きくなったり、数が増えたり、歪な形になっていたり。一目見るだけで、今、自分が異常事態に陥っていることが分かる。
でも僕は全然気にならなかった。そんなことはどうでもいいことに思えた。
誰かが僕を呼んでいるような気がする。
呼ばれるがままに足を動かすと、その先にひときわ奇妙な姿の怪物がいた。
目があるべき場所も数も無視して、顔中に浮かび上がっている。顔は次々と目を作り続けていて、顔に収まりきらない目はぼたぼたと地面に落としながら、その怪物は歩いていた。腕は巨大な筆のようになっていて引きずっていく道に奇怪な模様を描き付けている。口は見当たらないが、どこからともなくうわごとのようにつぶやいている声がする。
「分カルヒト、ジャナクテ、誰カジャ、ナクテ、アナタニ、分カッテ、ホシイ、デモ、ダケドソレダケジャナクテ、ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。モットモット。描カナクチャ、見ナクチャ、カカナクチャ、ミナクチャ、モットモットモット……」
当時の僕は、ここが【黄昏】と呼ばれることをしらなかったし、未練を持った死者が集まることも知らなかった。
ただ、目の前の怪物を見て、はっきりと分かった。
「……
姿形は変わってしまっていても、なぜか分かる。この怪物は、
僕の尊敬した人であり、憧れた人であり、愛した人だ。
どんな姿になろうとも、間違いようがない。
僕の声に、彼女は一瞬足を止め、大量の目玉で僕を眺めた。
「
「……」
彼女はじっと僕の事を見た。そして、何かに気がついたようにすべての目が見開かれた。
「覚えてて、くれたか?」
僕は心の底から安堵し、一歩ずつ彼女に近づいた。
ずっと彼女を探していた、虚無の日々が無駄でなかった事に歓喜しながら。
ほら、やっぱり。まだ彼女は生きていたじゃないか……。
そっと手を伸ばす。もう少しで、彼女に触れられる。
その、ほんの直前……。
「あなたは、ここに来ちゃ、ダメ」
彼女の声がした。
さっきまでのうわごとじゃない。真っ直ぐで、芯のある声。
出会った時からずっと聞いてきた、僕の大好きだった声だ。
声がした直後、彼女はものすごい勢いで、僕から遠ざかった。
足なのか触手なのかわからない身体全身を使って、僕から離れていく。
「お、おい!」
待って、待ってくれ。
このままお別れなんてイヤだ。
もっと彼女を知りたい。
彼女が何を求めているのか、どうしてこんな姿になっているのか、あの時なんて言えばよかったのか、最後の言葉はどういう意味だったのか……。
もっと、知りたい。もっと見たい。
彼女のことを、モットモット彼女ヲミテイタイ……。
僕の強い願望に呼応して、僕の視界が少しずつ広がる。
普段ではあり得ないくらい遠くまで見える。
なんだか頭がふわふわしてくる。とても心地良い。
何でもできるような、全能感がじわじわ身体に広がっていく。
「……そのぐらいにしておきなさい」
どこからか、年老いた男の声がする。
邪魔をするな。いま、良いところなんだ。
「やれやれ……これじゃ彼女が浮かばれないな」
何をごちゃごちゃと……
いや、今は彼女の姿だ。
モット遠クマデ、モットハッキリト……
「仕方ない、荒療治だけど勘弁してくれよ?」
「……?!?!?!?!?!」
男がそういう声が聞こえた瞬間、僕の身体中に強い衝撃が走った。身体が内側から裂けてしまうのではないかと思うほど強い、雷のような痛みだ。
「ぐ、ぐあぁぁぁああああ!!!」
あまりの痛みに僕はその場に倒れ伏し、しばし気を失った。意識が途切れる直前に見えたのは、僕から一目散に逃げていく、彼女の姿だった。
「……大丈夫かい? 手荒なやり方で申し訳なかったね」
「……」
遠くからさっきの男の声がする。徐々に身体が覚醒していくのを感じる。
「君がさっきまでいたのは【黄昏】……。あの世界で望みを持つ者は、生者であろうと死者であろうと、もう元の姿では居られない。誰もが自分を見失う、【誰そ彼】の世界だ」
目を開けると、ひどく世界がボンヤリと見えた。いや、ボンヤリ、という言い方はおかしい。なんというか、脳が視界を上手く処理出来ていない。奇妙な感覚だ。右目と左目で見ているものが違うような……
「生者の場合、自分が望む理想の姿に肉体が追いつかずに、身体を極端に歪めてしまって絶命することがほとんどなのだが……」
気分が悪い。目を動かしているつもりがないのに視界が揺れている。酷く酒に酔っている時のようだ。じっとしていても吐き気がする。目を閉じようとしても上手くいかない。何だ、何が起きているんだ?
「君は本当に運が良い。右目一つで済んだのだから」
ふと、自分の身体の前に何かひものようなものが垂れ下がっているのを感じる。なんだろう、これは。僕の身体とつながってる? 髪の毛? それにしては随分と太い。それに、先端に何かぶら下がっているようだ。
なんだ、これ……。
そっと手で触れようとした瞬間。僕は唐突に全てを理解した。
「う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!」
身体の前にぶらさがっていたもの。
それは、僕の眼球だった。
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