014「受取人・大貫彩乃」
病院から出た
たったそれだけなのに、ものすごく絵になる。写真集の撮影だ、と言われたら信じてしまいそうなほどだ。
僕らは茂みに隠れ、様子をうかがっていた。
「うっひゃー……やっぱりめちゃくちゃな
憧れの女優を街中で見つけたときのようにはしゃぐ
「ああ、それに、見たところ生前とほとんど姿が変わってない」
まだ【黄昏】に来て日が浅いこともあるだろうが、
とはいえ、彼女がどんな未練を持っているか分からない以上、いつ他の住人たちのようになってしまうか分からない。下手に刺激しすぎないように慎重に接触しよう。
「よし、
いつの間にか隣から
慌てて周囲を見渡すと、既に
「そこのお嬢さーん! 可愛いね、どこ住み? ラインやってる?」
「またそれかよ!」
気に入ってんの? ヒトデナシの真似。
ていうかなんだ「ラインやってる?」って。やってるわけねえだろ。死んでんだから。
僕は全速力で
「いだぁ!」という、うら若き乙女が出してはいけないような野太い声を出しながら、
「なにするっすか!」
「それは僕の台詞だ。勝手な行動は避けろ。【黄昏】ではぐれたらシャレにならないことになるぞ」
「もうすでになってるっす……。どう考えても歳下の女の子にする仕打ちじゃないっす……」
ぶつくさ言いながら
確かに同僚の女子にする仕打ちではないが、悲しいかな僕と
「そういう時だけ低身長主張するのは汚いっすよ! ほんとせんぱいは身長だけじゃなくて器もチb……」
「は?」
「……スマートサイズっすね! そんなんじゃモテないっすよ!」
自分で言うのと、人に言われるのは全然違うから。気をつけて欲しい。
まあ、さすがに今のは僕も悪かったと思うけど……。
「あ、あのう……」
言い争う僕らの背中越しに、おずおずとした声がした。
振り向くと、困惑顔の
「あのう、私になにか御用でしょうか……」
じっと僕の顔を見つめてくる。
近くで見ると、思わずたじろぐくらいの美人だ。何の意味も無いのに緊張で背中に冷や汗が流れる。
「え、ああ、その、なんでもないです、いや、なんでもなくはないんですけど、なんでもないんです」
「は、はぁ……結局どちらでしょう」
いかん。情けないことに全く口が回らない。自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきた。
「せんぱい! 挙動が安定してないっす! 美人にビビってるのバレバレっすよ! 陰キャが隠しきれてないっす!」
腹立たしい。人をゆびさすなんて行儀が悪いぞ……。
気を取り直すように、一度咳払いをした。
「……ええと、お嬢さん、あなた『
僕の言葉が聞こえると同時に、
「……
そして、しばらく迷った後、はっと、思い出したように言った。
「
「ええ! 自分のお名前、忘れちゃってたっすか?! 大貫ちゃん、まさかの天然キャラ?!」
「ご、ごめんなさい。長らく名前を呼んでもらってなかったから、ちょっと忘れちゃって……」
困ってハの字になった眉毛も、何故か整って見える。
彼女が名前を忘れてしまったのも無理はない。繰り返しになるが、【黄昏】の住人同士は交流をしない。会話がなくなれば、当然自分の名前を呼ばれることもない。
名前は呼んでくれる誰かがいて初めて意味を持つ。呼ばれないまま何か月も時間が経てば、自分の名前だって忘れていってしまう。
「……急に話しかけてしまって申し訳ありません。僕は
僕がそう言うと、
「あたしは
だろうな。それがどっちなのかが問題なんだがな。
いや、別に知りたくもないけど。
「あ、わたしもです」
笑顔で答える大貫さん。
でしょうね。僕もそうです。
口もとを抑えてクスクスと笑っている。結構ノリのいい性格をしてるみたいだ。
「ごめんなさい。私、人と話すの久しぶりで……正直、ここがどこなのか、なんでここにいるのか、はっきりしなくて……自分が死んでしまったことは分かってるんですけど」
「そうでしたか……。ここは【黄昏】。生と死の狭間の世界です」
「【黄昏】……生と死の狭間……」
「はい、あなたは亡くなった後、肉体を失いながらもこの世界に精神だけ残したのです。急にこんなこと言われても受け入れがたいかもしれませんが……」
僕がそう言うと、大貫さんは僕と
「それでは、あなた方お二人も、お亡くなりに……?」
大貫さんの顔が悲しみでさらに歪む。自分が置かれている現状よりも、初めて会った僕らの心配をしてくれるなんて、
「いえ、我々はまだ生きています。生きたままこの【黄昏】にもぐりこむことができる特異体質なんです」
僕が説明すると、
「ああ、それならよかった。失礼なことを聞いてしまって申し訳ないです。でも、お二人とも若いから、もしそうだったら悲しいな、と……」
「すいません、余計な心配させてしまって」
大貫さんの優しさに、心が浄化されるような感覚を覚える。最近は
「せんぱい、なんか失礼っすよ! あたしとの会話だって心地いいはずっす! 針治療みたいで!」
「お前の針は痛いところをついてくるから嫌いだ」
「いやいや。治療はちょっと痛いくらいが気持ちいいっすよ。あと、この世には若い女の子にいたい思いをさせてもらって喜んで金払う輩が一杯いるらしいっす!」
「僕を手遅れマゾヒストに仕立て上げるな」
ほらみろ。隙なんざ無くても攻撃してくるじゃないか。
「お二人、仲がいいんですね」
「どこがですか……」
僕らの会話を聞いて、楽しそうに大貫さんが笑う。勘弁してくれ……。
「ごめんなさい。ちょっと楽しくて。私、ここにきて初めて誰かと会話したかもしれません。ここにいる皆さんは話しかけても無視、と言いますか、何かに夢中になっているみたいで、私とおしゃべりしてくださらないんですよ……」
心底楽しそうだ。そんな楽しそうに言われると、こちらも話し甲斐があるというものだ。調子に乗って、余計なことまで喋ってしまいそうで恐ろしい。多分、彼女は生前もこんな風にいろんな人の話を聞いていたのだろう。天性の聞き上手だ。
「みなさん、何に夢中になっていらっしゃるのでしょう? 中には自分の身体をいたぶるようなことをされている方もいますし……。止めた方がいいのでしょうか」
「ああ、【黄昏】に来る人々は、みな未練をもっているんです。その未練をどうにか解消しようと、躍起になっているんですよ」
「なるほど……。それでは私にもなにかこの世に未練がある、ということになるわけですか」
飲み込みも早い。話に聞いていたとおり、頭の回転も速そうだ。
「そういうことになりますね。何かお心当たりはありますか?」
「うーん……。思い浮かばないですねぇ」
大貫さんが首をかしげる。嘘をついている様子はない。
本気で自分の未練が何か、分かっていないみたいだ。
「せんぱいせんぱい」
こそこそと
「なんだ
「そんなこと、あるっすか? 【黄昏】に来たのに、自分の未練に気づいてない、なんてこと」
「たまに、な。【黄昏】に流れ着いてから日が浅いとそういうこともある」
レアケースではあるが、単純に自分の置かれている状況に困惑していたり、本人は意識していなくても、記憶に蓋をしてしまっていたりすることもある。未練に気づき、執着するまで、つまりは完全に【黄昏】の住人になるなるまでには、少しのタイムラグがあるのだ。
「あれ、そう言えば、お二人は何をしにこの【黄昏】にいらっしゃったんですか? 御存命なのに未練も何も……」
不思議そうな大貫さんの声で、自分の仕事を思い出す。僕は手に持っていた風呂敷包みを丁寧に大貫さんの前に差し出した。
「いえ、僕たちは仕事で参りました。
「……お届けもの?」
「はい。我々、『黄昏運送』は、現世にいる方々のお荷物をお預かりし、【黄昏】の方々にお届けすることを生業としております。今回、
そう言って、風呂敷包みを両手で手渡す。きょとんとした顔のまま、大貫さんは僕らの顔と荷物を交互に見つめた。
「ええと……分からないことが沢山あるのですが……ともかく、この包みが私宛の荷物なのですね?」
「はい。そして、お受け取りいただけたら、こちらの『配達依頼書』に判を押していただければ我々の仕事は完了となります」
「なるほど……
「いえ、ご依頼人の意向で詳しくはお聞きしていません」
「ご依頼人……荷物を送ってくださった方……。どなたなのでしょう。正直心当たりがあまりなくて……」
色々混乱しているようだ。自分の名前も先ほどまで忘れていたような状態だったんだ。もしかすると桂木さんの名前も忘れているかもしれない。
思い出してもらえるように説明すべきだろうか……。しかし、公園に差し込む日の光が大分弱くなっている。あまり時間は残されていない。
僕は手元から桂木さんが書いた「配達依頼書」を取り出し、
「こちらが依頼内容となっています。ここに書かれている以上のことは我々もわかりません。ご自分でご確認いただき、ご納得いただければ押印をお願いします」
「は、はあ。でも、印鑑なんて持ってませんが」
「拇印で結構ですよ。インクはここに」
流れるように話が進み、
「とりあえず、『配達依頼書』をご覧になってください。もしかしたら思い当たる節があるかもしれません」
僕がそう言うと大貫さんは「わ、わかりました」と手元の書類に目を通し始めた。
意外なほどスムーズに事が運んでいる。後はこのまま印鑑さえもらえれば取りあえず依頼は完了だ。
「せんぱいせんぱい」
大貫さんが書類を読む間、
「なんだよ」
「あたしたちの仕事って、毎回こんな感じっすか?」
「……今回はかなりラッキーだ。まだちゃんと会話が成立する段階だからな。これが完全に【黄昏】に染まってしまった後だと、そうはいかない。全く話を聞いてもらえなくて、依頼失敗としてお客さんに荷物を返却することもある」
「ふーん……大変っすねー」
他人事のような言い草だ。自分もその当事者であるという意識が足りないらしい。もう仕事は終わりそうだし、軽く説教でも垂れてやろうかと思ったちょうどその時だった。
「あ、れ……?」
大貫さんが、ぽつり、とつぶやいた。
そのつぶやきは、穏やかだった湖面にひと粒の雨が落ちたかのような、この先の嵐を予感させるような不吉な響きを持っていた。
そして、とても残念なことに、その予感は的中することとなった。
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