002「ワースト・インプレッション」

 大曲おおまがりななみが、僕、千曲川ちくまがわあきおが所属する「黄昏運送」にやってきたのは、今から約半年前である。


 それまで、「黄昏運送」は僕と社長の曲淵まがりぶちさんだけで経営されていた。零細企業らしく毎年新卒をとるようなことはしておらず、時々社長が気まぐれでどこぞのフリーターを採用することがあったが、みんな弊社のあまりの得体の知れなさに一か月と持たずに姿を消した。


 無理もない。あまりにも胡散臭い業務内容に、ほとんど来ない客。一塊のフリーター風情が感じる「お先真っ暗」と弊社の直面している「お先真っ暗」はその闇の濃度が段違いである。逃げの一手が最善手であるのは言うまでもない。


 大曲おおまがりがやって来た時もそんな感じだった。社長が「面白そうだから拾ってきた」と事務所に大曲おおまがりを連れてきた時、僕の胸に去来した感情は、捨て猫を拾ってきた我が子を見る母親の気持ちにほど近かった。


 本当に僕が社長の母であるなら「まーたそんなの拾ってきて! もとのところに戻してきなさい!」と慈愛を込めて一喝するところだったが、むろん、僕は社長の母ではない。社長は社長で、僕は社員だ。むしろ僕も拾われた猫側だった。僕は黙って現状を受け止めるしかなかった。


「とりあえず今日は挨拶だけで、明日から本格的に働いてもらう予定だよ」

「……そうですか」


 朗らかな声で僕に大曲おおまがりを紹介する社長に、僕は生返事をした。


 上司に対してかなり無礼な態度をとった自覚はある。が、その時は大変珍しいことに、いくつかの案件が重なっており、僕はお客さんにその日中に渡さなければならない報告書の作成に追われていた。そんな中突然どこの馬の骨とも分からないヤツを採用してくる社長にも問題があるだろう。


「じゃあ、後よろしくね」


 社長はそれだけ言うと、事務所からしれっといなくなってしまった。連れてくるだけ連れてきてあとは丸投げとは、本当に捨て猫を拾う小学生と同じである。「結局世話するのはお母さんなんだから……」とぼやきたくなるが、もちろん僕は社長のお母さんではない。社長は僕より年上だったし、僕の雇用主だった。余計に質が悪い。


「あの……」


 残された新入社員が心細そうな声を出した。若い女の声だ。


「あー。大曲おおまがりさんだっけ? 悪いけど今日はもう帰ってもらって大丈夫だよ。明日から色々教えるから」


 報告書から顔も上げずに、僕はおざなりにそう言った。今から思えばかなり態度が悪かった。少なくとも不安でいっぱいの新入社員に対する接し方としては0点の対応だろう。


 ただ、報告書の提出期限が迫る中、僕自身も焦っていたし、これまで社長が採用してきた連中同様、この子もすぐにここからいなくなるであろうという諦めもあった。


 ちょっとぐらい冷たくしても大丈夫だろう。どうせこんな会社、すぐに辞めていく。


 しばらく無言の時間が続き、事務所には僕がノートパソコン(僕が自費で購入し持ち込んだものだ。この会社にこんなハイテクな備品は存在しない)をパタパタ叩く音だけが響いていた。


「あの……、千曲川ちくまがわ、さん?」

「……まだいたの? ちょっと申し訳ないけど本当に今日は忙しくて……」

「いえ、そうじゃなくて……!」


 妙に切羽詰まった声がするので、思わず声の主の方に顔を向けた。


 そこにはリクルートスーツに身を包んだ、背の高い女が立っていた。目鼻立ちの整った、薄い化粧がほどこされているその顔は、少し上気しており、視線はどこか熱っぽい。まるで、恋する乙女のような……。


「……なに?」


 どこか異様な雰囲気に押され、思わず僕が返事をすると、目の前の女は、一つ大きく深呼吸した後、


「……一目惚れ、です。あたし、千曲川ちくまがわさんのこと、好きになってしまいました」


 頬を紅潮させて、恥ずかしそうにもじもじしながら大曲おおまがりはそう言った。


「………………は?」


 あまりにも突然のことだったので、彼女が何を言っているのか、僕は理解できなかった。


 全く状況が飲み込めずに僕がフリーズしていると、


「ご、ごめんなさい。変なこと言って……あ、明日からお願いします」


 とだけ言い残し、大曲おおまがりは逃げるように事務所を出て行った。

 取り残された僕は、完全に混乱していた。


 もしかして、いや、もしかしなくても「告白」か? この子が? 誰に? いや、この部屋には僕と彼女しかいなかったから、僕だろう。え、僕に? なんで? 今日初めて会ったのに? 僕に一目惚れ? どこに? 顔もほとんど見ていないはずなのに? 眼帯か? 低めの身長か? それ以外に僕の外見に取り立てた特徴などないように思うけれど……。


 いや、たで食う虫も好き好きという真言もある。人の好みは複雑怪奇だ。僕の顔が彼女の性癖に刺さったのかもしれない。もしかすると、長所をひけらかさないことを良しとする日本文化に傾倒するあまり、自分でも所在が分からなくなっていた僕の知性やら品性やらを一目で発掘する心眼を彼女が持っていたのかもしれない。何にせよ、よっぽどの理由が無ければ初対面の人間に告白などするはずがない。しかし、あまりにも突拍子が無さすぎる。そんなうまい話があるはずがない。自分にそこまでのポテンシャルがあるとも思えないが、いやでも、しかし……。



 そんな取り留めのない思想が僕の脳を完全に支配した。


 結果、その後報告書が全く手につかず、お客様にこっぴどく叱られたことは言うまでもない。



 そして翌日、僕はかなりドギマギしながら大曲おおまがりを待った。


 なんにせよ告白をされたわけだから、男としてそれなりの返事をしなければなるまい。


 まず、自分に好意を持ってくれたことにお礼を言わねばなるまい。しかし、流石に初対面で告白なんてすべきではないということを優しく言って聞かせ、そのような関係を職場で構築するとお互いに仕事がやりにくくなるから避けるべきだと諭し、それでも気持ちがおさまらないということであれば、お友達からならばこちらもやぶさかでないという意図をそれとなく、あくまで紳士的に、下心など微塵もないように伝える必要がある。


 モテる男とは、かくも辛いものなのか。魅力がありすぎるのも考え物だ。


「ち~っす。今日からお世話になるっす~」


 僕の心中をよそに、その日、大曲おおまがりは間延びした声を出しながら、事務所の扉を開けた。そこに現れた姿は、本当に同一人物なのか疑いたくなるほど昨日の様子とかけ離れていた。


 前日のリクルートスーツとは打って変わって、作業着なのかジャージなのか分からない、オシャレさのかけらもないダルダルな服装。顔にはおそらく化粧らしいことはしておらず、口調も昨日の新入社員らしい初々しさは完全に消え去り、癪に障るのんきな声に変わっていた。


「あ、あの、大曲おおまがりさん?」


 その豹変ぶりに面食らいながら僕が呼びかけると、大曲おおまがりは心底不思議そうな表情で僕の顔をまじまじと見つめた。


「……誰っすか?」

「……………………は?!」


 大曲おおまがりの表情には一切の疑いも、悪ふざけの雰囲気もない。幼い子供のように純粋無垢な疑問を僕に向けている。その事実が、僕をひどく動揺させた。


「なんであたしの名前知ってるっすか! さてはあたしのファンっすね! いつも応援ありがとうっす!」

「な、何を……」

「いやぁ。世界のどこかに一人くらいあたしのファンがいてもおかしくないと思ってたっすけど、まさかこんなところで会えるとは! これは熱いっす!ファンヒーターっす!!」

「めちゃくちゃサムいこと言うな……」


 ヒーターのくせに、なんて、僕までつまらないことを浮かべてしまった。


「僕の名前は、千曲川ちくまがわ……いや、っていうか、大曲おおまがりさん、君、昨日、確か僕に告白して……」

「……? あ。思い出したっす。せんぱいだったっすね! そういえばそんなことした気がするっす!」

「そういえばって……」


 告白って、そんなに思いつきでできるもんなの?

 次の日になったら忘れちゃえるもんなの?

 恋愛感情とか一切なくても言えちゃうものなの?

 今時の若い子ってそんなもんなの?


 ……なんか、色々思い悩んでたのが無茶苦茶恥ずかしくなってきた。


 様々な疑問符と羞恥が頭の中で浮かんでは消えるなか、僕はうわごとのように「どうして、一目惚れだなんて……」とつぶやいた。


 すると、大曲おおまがりは何を考えているか分からない、ヘラヘラした笑顔で言った。



「え、だって、そっちの方が面白いじゃないっすか」


「…………」


 絶句、である。

 面白いとか、そういう問題ではない。


 これが、僕と大曲おおまがりの出会いである。


 この恐ろしい一件以降、僕はこの大曲おおまがりの発言の一切を信用しないことを強く心に誓ったのであった。

 

 しかし、本当に恐ろしいのは、これほどのことがあったというのに、大曲おおまがりはこの時のことを、ということだ。


 大曲おおまがりななみは、徹頭徹尾、その場のノリとテンションだけで生きている。

 そのことを、読者諸君、ゆめゆめ忘れないでいただきたい。

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