002「ワースト・インプレッション」
それまで、「黄昏運送」は僕と社長の
無理もない。あまりにも胡散臭い業務内容に、ほとんど来ない客。一塊のフリーター風情が感じる「お先真っ暗」と弊社の直面している「お先真っ暗」はその闇の濃度が段違いである。逃げの一手が最善手であるのは言うまでもない。
本当に僕が社長の母であるなら「まーたそんなの拾ってきて! もとのところに戻してきなさい!」と慈愛を込めて一喝するところだったが、むろん、僕は社長の母ではない。社長は社長で、僕は社員だ。むしろ僕も拾われた猫側だった。僕は黙って現状を受け止めるしかなかった。
「とりあえず今日は挨拶だけで、明日から本格的に働いてもらう予定だよ」
「……そうですか」
朗らかな声で僕に
上司に対してかなり無礼な態度をとった自覚はある。が、その時は大変珍しいことに、いくつかの案件が重なっており、僕はお客さんにその日中に渡さなければならない報告書の作成に追われていた。そんな中突然どこの馬の骨とも分からないヤツを採用してくる社長にも問題があるだろう。
「じゃあ、後よろしくね」
社長はそれだけ言うと、事務所からしれっといなくなってしまった。連れてくるだけ連れてきてあとは丸投げとは、本当に捨て猫を拾う小学生と同じである。「結局世話するのはお母さんなんだから……」とぼやきたくなるが、もちろん僕は社長のお母さんではない。社長は僕より年上だったし、僕の雇用主だった。余計に質が悪い。
「あの……」
残された新入社員が心細そうな声を出した。若い女の声だ。
「あー。
報告書から顔も上げずに、僕はおざなりにそう言った。今から思えばかなり態度が悪かった。少なくとも不安でいっぱいの新入社員に対する接し方としては0点の対応だろう。
ただ、報告書の提出期限が迫る中、僕自身も焦っていたし、これまで社長が採用してきた連中同様、この子もすぐにここからいなくなるであろうという諦めもあった。
ちょっとぐらい冷たくしても大丈夫だろう。どうせこんな会社、すぐに辞めていく。
しばらく無言の時間が続き、事務所には僕がノートパソコン(僕が自費で購入し持ち込んだものだ。この会社にこんなハイテクな備品は存在しない)をパタパタ叩く音だけが響いていた。
「あの……、
「……まだいたの? ちょっと申し訳ないけど本当に今日は忙しくて……」
「いえ、そうじゃなくて……!」
妙に切羽詰まった声がするので、思わず声の主の方に顔を向けた。
そこにはリクルートスーツに身を包んだ、背の高い女が立っていた。目鼻立ちの整った、薄い化粧がほどこされているその顔は、少し上気しており、視線はどこか熱っぽい。まるで、恋する乙女のような……。
「……なに?」
どこか異様な雰囲気に押され、思わず僕が返事をすると、目の前の女は、一つ大きく深呼吸した後、
「……一目惚れ、です。あたし、
頬を紅潮させて、恥ずかしそうにもじもじしながら
「………………は?」
あまりにも突然のことだったので、彼女が何を言っているのか、僕は理解できなかった。
全く状況が飲み込めずに僕がフリーズしていると、
「ご、ごめんなさい。変なこと言って……あ、明日からお願いします」
とだけ言い残し、
取り残された僕は、完全に混乱していた。
もしかして、いや、もしかしなくても「告白」か? この子が? 誰に? いや、この部屋には僕と彼女しかいなかったから、僕だろう。え、僕に? なんで? 今日初めて会ったのに? 僕に一目惚れ? どこに? 顔もほとんど見ていないはずなのに? 眼帯か? 低めの身長か? それ以外に僕の外見に取り立てた特徴などないように思うけれど……。
いや、
そんな取り留めのない思想が僕の脳を完全に支配した。
結果、その後報告書が全く手につかず、お客様にこっぴどく叱られたことは言うまでもない。
そして翌日、僕はかなりドギマギしながら
なんにせよ告白をされたわけだから、男としてそれなりの返事をしなければなるまい。
まず、自分に好意を持ってくれたことにお礼を言わねばなるまい。しかし、流石に初対面で告白なんてすべきではないということを優しく言って聞かせ、そのような関係を職場で構築するとお互いに仕事がやりにくくなるから避けるべきだと諭し、それでも気持ちがおさまらないということであれば、お友達からならばこちらもやぶさかでないという意図をそれとなく、あくまで紳士的に、下心など微塵もないように伝える必要がある。
モテる男とは、かくも辛いものなのか。魅力がありすぎるのも考え物だ。
「ち~っす。今日からお世話になるっす~」
僕の心中をよそに、その日、
前日のリクルートスーツとは打って変わって、作業着なのかジャージなのか分からない、オシャレさのかけらもないダルダルな服装。顔にはおそらく化粧らしいことはしておらず、口調も昨日の新入社員らしい初々しさは完全に消え去り、癪に障るのんきな声に変わっていた。
「あ、あの、
その豹変ぶりに面食らいながら僕が呼びかけると、
「……誰っすか?」
「……………………は?!」
「なんであたしの名前知ってるっすか! さてはあたしのファンっすね! いつも応援ありがとうっす!」
「な、何を……」
「いやぁ。世界のどこかに一人くらいあたしのファンがいてもおかしくないと思ってたっすけど、まさかこんなところで会えるとは! これは熱いっす!ファンヒーターっす!!」
「めちゃくちゃサムいこと言うな……」
ヒーターのくせに、なんて、僕までつまらないことを浮かべてしまった。
「僕の名前は、
「……? あ。思い出したっす。せんぱいだったっすね! そういえばそんなことした気がするっす!」
「そういえばって……」
告白って、そんなに思いつきでできるもんなの?
次の日になったら忘れちゃえるもんなの?
恋愛感情とか一切なくても言えちゃうものなの?
今時の若い子ってそんなもんなの?
……なんか、色々思い悩んでたのが無茶苦茶恥ずかしくなってきた。
様々な疑問符と羞恥が頭の中で浮かんでは消えるなか、僕はうわごとのように「どうして、一目惚れだなんて……」とつぶやいた。
すると、
「え、だって、そっちの方が面白いじゃないっすか」
「…………」
絶句、である。
面白いとか、そういう問題ではない。
これが、僕と
この恐ろしい一件以降、僕はこの
しかし、本当に恐ろしいのは、これほどのことがあったというのに、
そのことを、読者諸君、ゆめゆめ忘れないでいただきたい。
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