第25話 女優、モデル、そして悪女にして芸人。

 あれから、お嬢さんは特別――家に上がり込もうとしなくなった。

 その代わりに、私に抱きあげられようとして来る。

 どうも、お嬢さんは、先日の教訓から自分を可愛い猫扱いさせる悦びに目覚めたようである。

 話の分かる相手――言葉の通じる人間。という際まて特殊な距離感も維持しつつ。

なんとも期待感溢れるソワソワした顔で、反していじらしく、貞淑な所作で三つ指着いて私の前に佇むのである。

 まるで古い時代劇に出て来る、武家の嫁さん――もしくは新婚ほやほやの新妻が、玄関で初々しく手を重ねているかのようなのだ。

ほんのり熱っぽい期待の視線。

 自分の逸る気持ちを抑えようという小さくも性急な歩幅。

 終いにはゆったり、まるで目の前の男に気を遣うかのよう伏せがちな憂いの瞼。

歩き、私の三歩手前で立ち止まると何も言わずにスッと腰を下ろし、前足をピタリと綺麗に揃えて背筋をピンと張る。

 そしてはんなり小首を傾げてこちらに微笑んで来る。

 慎ましく、恭しく、華道、茶道、それに書道などで入念に整えられた姿勢に、静粛な動作――育ちの良さを滲ませる上品な表情は『最高に綺麗な私』を仕上げている。

 おまえ本当に猫か? と地声で訊ねたくなるのだが、その辺どうなのだろうか?

 正座もかくやという猫のお座りは、彼女のの切れ味鋭い肢体を如何なく魅せている。

 あざとい、という事すら魅力的に見えるほど――あざとい。

 女の悦びならぬ、猫の悦びに目覚めた彼女に対し、

「……お嬢さん。……今日も大変お美しいですね……?」

 私もなるべくロマンスを心掛け、紳士を気取り恭しくお嬢さんに接している。

 一歩前に進み、手の届く距離であえて、お嬢さんに声だけを掛け、顔を突き合わせ、手を差し伸べ見つめ合い、社交的に紳士淑女の笑みを浮かべ合う。

 するとニンマリ、お嬢さんは鼻高々、自慢げにほんのり仰け反った。

 うん、褒められることも甘やかされることも、もうお嬢さんは大好きなのである。

 毅然とした態度を貫くお嬢さんもそれはまあ素敵なものであったが、これもまた素晴らしい、にゃんとも可愛らしい。

 ――人語の詳細なんて理解できない筈だが。

 どうみても理解しているよう私が褒めるたびにキラキラと目を輝かせるのである。

 ……うん。お嬢さんが例え妖怪でも私はもう驚きはしないよ?

 ……だがそれにしてもだ。


 私は問い掛ける。

「……お嬢さん……分っていますね?」

「……ニャア~?」

 ……なんのことかしら? と、無言で微笑を深めてくる。

 お嬢さんの座るその位置――私から五歩くらい距離を置いたその場所は、人間から猫のキレイなお座りが一番いい角度で見えるポジションである。

「……怖いですねえ……そうやって男を落すんですか?」

言うと、ニヤリと口角が上がった。

 そう、お嬢さんは自分をより可愛くそして美しく見せるその手段を知っているのだ。

 恭しく、敬愛を込め距離を置いているように見えて。男の方に、自分の尻を追い掛けさせる――最後の一歩を巧妙に残しているのだ。

 如何にも敬虔に、貞淑を装っておきながら、男をどこまでも手玉に取ろうというその性根、まさに女帝である。

 そして怖い女と言われて嬉しそうにしないで欲しい。猫が猫を被っておきながら、その化けの皮を自らチラ見させるのはもはや怪談のクライMAXだ。

 この女――間違いなく悪女である。

「……いつからそんな女の子になっちゃったんですか?」

「……ニャア~?」

 さぁ? と。

 とぼけるつもりですか、なるほどなるほど。

 だが原因は分かっている、先日ついお嬢さんを可愛い猫扱いしてしまった所為で、人を惑わす魔性の猫になってしまったのだ。

怖ろしい、なんて怖ろしい怪物を育ててしまったのだ私は――

 見ている分には面白いから全く問題ないのだが。このままではいずれ、雄を言いなりにこの地域の頂点に君臨する生粋にして稀代の悪女に様変わりしてしまうかもしれない。

 

「……でもダメです」

 一瞬で虹彩が全開になった。

 ――えっ?

 というこの表情、ハイライトの消えた瞳孔――ガーン、という写植が入れられそうなこのモノクロの絶望感。

 この――適度なオマヌケ具合。残念ながら、彼女は生粋の悪女ではない。

 彼女の魅力はそんなところに留まらない。多分私だけがそれを知っている。

 とっておきの綺麗なポーズが撃沈したお嬢さんは、しばらくその場で固まっていた。

 するとややあって、お嬢さんは、うろうろ、うろうろと、自分のステージ上の立ち位置を確認したかのように、改めて、

 ――シャキーン! と綺麗なお座りをし直した。

 それは先程とは若干別角度――構図が違うそれだった。

 自信あり、しかしそれでも私が無言でニコニコしていると、またキャットウォークを練り歩き、シャキーン! シャキーン! と連続で魅せ角度を変えポージングした。

 いつからショーの会場になったのかここは。

 どうしよう、ちょっと面白い。そしてそのポージングはいつまで持つのだろうか。

 うろうろ、うろうろ、――シャキーン! うろうろ、シャキーン! ……足を崩して投げ出し、うっふ~ん? その場に寝転がって、あは~ん? 上半身を腕で支え、見返り気味に足と肝の裾を乱した流し目で……ちょっとだけよ?

 ごめんよお嬢さん……もう明らかに綺麗でも可愛いでもない……面白い猫だよ君は。

 そして持ちポーズが尽きたのか私のニヤニヤが意味の真相に気付いたのか、はたと目を据えその眉間が『いい加減にしろよ?(怒)』と皺を寄せ睨んで来くるので、

「――どんなポーズでも美人さんですねお嬢さんは」

「ニャァ~!」

 ふふん――そうでしょうそうでしょう? とニッコリご満悦である。

 ここまで来ると、もうどうしようもないダメ猫という肩書さえ背負ってしまいそうなのだが。

 そこはさらりと流して。

 さて、お嬢さんから綺麗なポーズという接待サービスを受けたので、私はその正当な報酬を支払わねばなるまい。

 私はお嬢さんを抱き上げる。

 ゆっくり、びろーんと意外に伸びる小さな体は意外とずっしり重たい。

 そのお尻を尻尾ごと、くるりと撫でるよう足場を作り、片手で足を、片手で腰を――そしてお嬢さんに前足と爪でしっかり胸板にしがみ付いてもらう。

 そして背中を撫でる。このモフモフの手触り、腕の中に寄り掛かるお腹のぷにぷにの弾力と、じんわり日溜まりを溜め込んだ体温はなんとも温かい。お嬢さんからみて人の体温と手触りはどうなのだろうかと思うが、私と抱き合ながら鼻でスンスン匂いを嗅いでいるのでその辺りもポイントなのだろうか?

 撫でるのを止め、腰の辺りを軽くポンポンと叩く。

 それが余程気持ちいのか、グゥグゥと喉で鳴き、手を止めると、如何にも物足りなさげな鳴き声で催促を受ける。

「――ニャァー?」

 私はマッサージ機なのか。

「はいはい」

 甘やかせばいいんですね? 分りましたよ。


何はともあれ、人目も憚らずに私達は抱き合った。

 これが同種族とか、恋人同士ならまたロマンス情緒溢れる景色なのだが。

 如何せん、人と猫――その見た目はみるからに、ただ平和な世界なのであった。

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