第24話 一歩進んで二歩下がる、一歩下がって二歩進む。

 その日、私は庭木の手入れをしようとていた。

 夏の間に隆々と生い茂って、せっせと庭に日陰を作ってくれていた我が家の緑も、秋を過ぎ、冬に入ればその影が今度は文字通り我が家を冷たく覆うことになる。

 夏と冬では日陰もその意味が異なるのだ。そうでなくとも古い枝は樹病や虫害の温床にもなるので適度に切り落とすといい。地面に当たる光も適切でなければ庭がカビ臭くなる。

 さてと――

 庭の冬支度だ。野良着に着替えて車庫へ植木道具を取りに。

 棚から植木鋏を取り出し、奥にあるドラム缶に挿した農具や掃除道具から、八つ手を引き抜き、そして植木場へ――

 庭木の剪定は何気に大変である。上をずっと見上げることになるし、今年の新しい枝を残し、昨年の古い枝だけ切り落として、その上で幹と地面になるべく影が被さらないようしなければならない。さあ、早いうちに今日の分の作業を終わらせよう。日を分けて少しずつ、少しずつ作業を進めればそこそこ広い庭でも負担は少ないからだ。

 勤労意欲全開である。そこに、

「――ニャー!」

 ちょうど、お嬢さんが鈴を鳴らし小走りにやって来た。

 出鼻をくじかれた。なんともタイミングが悪い。

 車庫を出たすぐそこでとても親密気に足元にまとわりつき、額と胴、それから尻尾を蠱惑的に擦りつけてくる。

 そして、私の顔を見ることなくすぐ玄関へと向かった。もう本当に我が物顔である。

 今日の憩いの場に屋内を所望する様子だが、顔色すら窺わないとはどういうことか。

 まあ本当に慣れたものである。私も文句ひとつ言わずに脇の地面に植木道具を置き、その後姿を追って玄関口で佇むお嬢さんの後ろにしゃがみ込んだ。

 その後ろ頭を撫で、

「――お嬢さん、残念ながら、今日はこれから外で庭仕事をするから家には上げられません」

「ニャー! ニャー!」

 入りましょう! 遊びましょう!? と。

 おやおや、こんな時に限って言葉が分らなくなってしまうのかな?

 もう当然のように、前のめりに玄関の戸口をじっと見つめている。

 そのサッシの合わせ目を文字通り穴が空くまで凝視しようというのかな? すっかりお嬢さんは私が何でも言う事を聞いてくれると思っているようだが――

「――申し訳ありませんが、今日は我慢してください」

「……ニャァ?」

 分かったのか分らないのか、お嬢さんはしばし私を一瞥した後、しかしまた戸口を前のめりに見つめて待とうとする。

 うん――そうすれば、私がそこを開けてくれるんですね?

 だが違う。

「……さらばだ」

 私は無下に、お嬢さんを放って庭仕事へ向かった。

 後ろを振り返ると、まだそこに疑問げにポツンと佇むお嬢さんが見える。

 やや罪悪感に囚われながら、私はそうしてその日の庭仕事に手を付けるであった。

  


 次の日。私は昨日の作業の続きに励もうとしていた。

 本当は一日で片付けられないこともないのだが、それでは体力と気力の都合、途中で仕事が雑になる。少しずつ、少しずつ、その為のペース配分だ。

 また野良着に着替えて車庫に行く。と、お嬢さんが、

「ニャー」

「……こんにちはお嬢さん? 今日もまた一段とお綺麗な毛並みですね?」

 昨日と全く同じタイミングで、私の前に現れた。

 慇懃無礼――丁寧に見えるが人にしか分からない皮肉である。

 悪気が無いのは分かっているのだが、ここまで狙い済ましているようにしか思えない。

 それは、見る者に元気を与えるほどいい挨拶とキラキラの瞳なのだが、残念ながら、今日も明日も今このタイミングでは家に上げてやれないのである。

 せめて時間帯をずらして午後に来てほしかったと思う――それなら私も、今日の作業分を終え休憩に入っているのだが。

 本当はただ作業を午後に回わせばいいのであるが、そこまで思考が行かない。

 言いたくないが、私はこういうところで融通が利かない。

 一度決めたこと、特に前々から決めていたことは覆すのが苦手なのだ。いや、気が削がれるのを嫌うといえばいいのだろうか? こう、人が気持ちよく仕事をやろうと気分を整えていたときほど、どうしようもなく。

 不貞腐れた心で仕事をして生半な出来栄えになる、それが嫌なのでもある。

 本当に言いたくないが、私は厳密に厳格に見えて気分屋なのだ。だからこそ、その気分を出来るだけ自分で御しようと試みているのだが、結局は、嫌なことから逃げるような立ち回りが多くなるくらいに誠実ではない。

 それなので、

「今日もごめんね?」

 と、お嬢さんのお誘いを迷うまでも無く断り、その正面から立ち去ろうとした。

 しかし、

「――」

お嬢さんは何も言わず、玄関へと向かわず――

 私の前に回り込み、距離を置いて、綺麗に前足を揃えて座った。

 そして、小首を傾げるよう微笑み私を見上げて来る。

 ああ、

「……いい子にしてるんですか?」

 そうよ? 私、とってもいいこなのよ? と、黙して語らず慎ましやかにニコリと見つめて来る。

 ――あえて、うんともスンともニャーとも言わない。この女……出来る!

 だがしかし、私はその行動の裏に潜むもう一つの心理を紐解いていた。 

 お嬢さんは昨日――私に何か嫌われるようなことをしてをしてしまったと誤解しているのだろう、別に好き好んで行儀良く振る舞っているのではない。

 お嬢さんは、昨日家に上げて貰えなかったのは、お嬢さんの無遠慮で図々しい態度が原因だと思っている。その所為で私が怒ったのだと。あのとき私にロクに窺うことなく玄関へと向かったから――今回は行儀よく私の機嫌を覗おうとしているのだろう。

 これは、したたかなのではない。

 あざといのでも、可愛いのでもなく……もっと心の繊細な部分で、私に接しているのだ。


 私はお嬢さんの利発さを、そして何よりその純粋さを見誤っていた。体は大きくなったかもしれない、その上自由で奔放で、神経が図太そうで……でも、人知れず非常に繊細な女性なのかもしれない。

 私はその前にしゃがみ込む。

「……嫌いになったわけじゃありませんよ?」

「……ニャァァ……?」

 本当に? と、気遣わし気な視線で問い掛けて来る。

「ほら……大丈夫、大丈夫……」

 私は、その頬から耳裏までを優しく撫でた。気持ち良さげに目を閉じ、頬を任せ、手の平にこつんと預けて来る。……まだ、不安なのだろうか?

 綺麗に前足を揃えたままにして、そこから動こうとしない。

 ああもう一体どうすれば伝わるのか、私はお嬢さんのことを嫌いになりはしないのだが。

 少しばかり逡巡して、私はお嬢さんに、彼女が収まるくらいに小さく両手を広げる。

 そして、私は初めて、

「――おいで?」

 お嬢さんは戸惑っていた、多分この行為が何なのか知っているのだろう。もしかしたら飼い主さんにして貰ったことがあるのかもしれない。

 私達は仲良くなった――礼儀正しく、節度を以って。

 しかしそれはあくまで良き隣人としてだ。私はこれで一応、お嬢さんの事を愛玩動物やただの猫として扱わないことにしている。お嬢さんもそれを分かっているかのようどれだけ親しくなっても飼い猫や愛玩それとして振る舞おうとはしなかった。

 それを一つ反故にしようと思う。これはお嬢さんを明確に猫扱いする行為であり、そして私達のこれまでを否定する事でもあった――それでもこんな事でお嬢さんと縮こまった付き合いになるのは嫌だった。

 私はお嬢さんに自由でいて欲しい、私のつまらない事情や都合なんぞで生き方を変えて欲しくない……その自由な心を縛られて欲しくない。

 いや、これをしたところで、お嬢さんと私の中にあるものは変わらない筈――

 そう信じて、私はお嬢さんに、

「――おいで?」

 もう一度、熱を込めて誘った。

 するとお嬢さんは、幾何か何かを恐れるように、私におずおずと近付き、その両手の間に体を収めて――

 そして、私に静かに抱き上げられてくれた。

 

 胸板へ、脇から両手で掴んだそれを、片手で足場を作り後足をしっかり支えて、もう片手で背中を包みしっかり抱えて撫で直す。

 初めてなのに、案外うまく出来た。

 お嬢さんも、どことなくおっかなびっくりで緊張していたようなのに、よく応えてくれた。

 クレーンゲームではなく、初めてお嬢さんを抱き上げたが、彼女は本当に温かい。

 その腰と背中を、ポンポンと軽く叩く――じっくり、じっくり、優しく背中を叩き、撫で梳く。

 小さな声が聞こえて、私は腕の内側に目を向けた。

 そこでお嬢さんは、小さな瞳を揺らして、ゆっくりゆっくり爪を立て、自分から私の胸に顎を置いた。

 

 お嬢さん、これからも気儘に、好きなように、付き合いたいだけ付き合いましょうね?

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