第23話 ならない鈴。②
鈴が、鳴らない――。
連日それは続いた。首輪をしてこないお嬢さん、そのお陰でお嬢さんが来ていることに気づけないことが偶にある。
いや、思いのほか結構ある。二日と空けることが無かった我が家への訪問――それが格段と減っている。運が悪ければ最大四日は気付かないこともある……ここ最近お嬢さんの出現は出待ちで固定されていたから、鈴の音を頼りにしていなかったのだが。我が家を通り掛かるだけの遭遇――鈴音が無ければそれだけはほぼ気付けない。
由々しき事態である。それほどまでに、首の鈴は絶大であったのだ。
とりあえずはお嬢さんが縁台で日光浴しているかを毎日暇さえあれば確認したが、しかしそれでもお嬢さんと共に過ごす日々は失われていった。
心にポッカリ穴が空いている。
……そのあまりの物足りなさに、私は今や一人黄昏ているのである。
とても大きな穴だ――それは、お嬢さんとの予定表に空いた穴でもある。
その日々は、もはや心の一部だったのだ。ああ、なんて彩り豊かな日々だったのか。
名前も知らない猫との日々、人と言葉を交わすわけでも、交友を深めたわけでもないそれなのに――どれだけ心に実りを授けてくれていたのだろうか……。
あの優美な毛並みを眺められず、瀟洒なひょうたんの曲線美を傍に置けず、触れられない日々は……どんな美女を傍に置くより豊かな日々であったのか。
失われて初めて知った、日々の輝きを失うとはこういう事を言うのか……。
――とまでは言い過ぎなのだが。
実際、あのモフモフの三角耳が懐かしいのは事実――
ぴくぴく、くるりと動いて、時々だらしない姿で毛繕いを始めて。
心を許してくれてからは結構な甘えたがりで図々しくて、その割りに遠慮も知り奥床しく、行儀正しく奥深い淑女――一緒に居てあんな楽しい娘はいないだろう。
猫にしておくのが勿体ないと何度思ったことか。
お嬢さんはもう本当に首輪と鈴を着けてくれないのだろうか?
まさか本当は本当に捨てられたのではないのか?
寝床に困っていないか、放浪しているのかちゃんと食べているのか――
縁台に座っている姿見る度、その毛並みと肉付きを確認してほっとする。
今はまだ大丈夫だが、この毛並みに陰りが出来たら一体私はどうするのか?
飼い猫に首輪をせず外に出すなんて保健所に確保されたら目も当てられない。いつぞや手術後間もないお嬢さんを平然と外へ出歩かせてしまうところも、飼い主さんの人格を疑わせる。その危険が私の胸中に一抹の不安を与えるどころか燃え上がらせる。
首輪をしなくなったそれが――本当に非難を避けるための偽装工作ならどうするべきか? 我が身可愛さにいずれ飼い主さんはお嬢さんのことを本当に捨ててしまうのではないか?
悶々とする。
ぐるぐるとしている。頭の中もそして家の中も――徘徊している。
一体どうすればいいのか。一体どうすれば、これまでと同じようお嬢さんに巡り合うことが出来るのか。
「……よし」
結論は一つだった。
――お嬢さんの首に、鈴を復活させる。
――どうやって?
というわけで。私はお嬢さんにプレゼントをすることにした。
もちろん鈴である――そしてそれに誂えたような首輪もだ。
こんなことするべきではないと分かっているのだが。勝手に《・・・》、家に来たお嬢さんへ《・・・・・・・・・》――プレゼントしてしまうのである。
ただそれだと
ちなみにその内容はこうだ。
『この方にはいつも庭に来て頂き大変楽しませて貰っています。これはその感謝の気持ちですのでどうかお納めください。――こちら、綺麗なお嬢さんへプレゼントです』
――と。どうだろうか?
私の常日頃からのお嬢さんへの感謝と親密さが伝わるだろう。
尚、私の住所氏名は記載していない、送り先である飼い主さんの人物像が見えないので万が一――悪用されない為だ。
文面からは決して不審者には見えない筈だ。
「こんなもんかな?」
準備は整った。まず、私が用意した御礼の手紙を――首輪に結びつけておく。
その首輪は、朱の組紐、それに桃と梅の花のつまみ細工をあしらった帯留めのような意匠だ。雉柄と白のお嬢さんにはこうした明るい色も映えるだろう、何より上品な気質にも合うはずだ。美人のお嬢さんなら十分に着こなせるだろう、
鈴は、小さな金のそれが中央に揺れている。総じて以前に身に着けていた和柄ものにセンスを寄せて選んだつもりである。
が、飼い主さんの好みに合うだろうか? 少々見た目が華美な晴れ着のようだが。
まあ第一印象に全てを賭けて、真っ先に飼い主さんの目に綺麗とカワイイで好印象を持って来させようという策なのだが。
パタパタパタり、便箋を綺麗に折り畳んで神社のおみくじの様に結び付ける。
さて、あとはお嬢さんが遊びに来るのを待つだけである。その後は、その自由な首に付けさせて貰うだけだ。
早速と客間から縁台を見に行く――障子を開けると居た。
見事、日溜まりの座布団に座って丸を描くお嬢さん――窓越し、くるりと首だけで振り向き「ニャー」と鳴くお嬢さん、私はその後ろから掃き出し窓を開け、その隣でサンダルを爪先に突っ掛け腰を降ろした。
「――ニャー」
「――ええ、今日もいい気持ちですね? ところでちょっといいですか?」
昼寝優先か、腰を据え家に上がり込もうとはしないお嬢さんが『なに?』とまた首をくるりと向けて来る。
その前に、私は手の平に乗せたプレゼントの首輪を差し出し、これから貢がせて頂くその衣装を確認させる。私の手と同じく、そこに乗った首輪を見やり、お嬢さんは鼻を近づけスンスンと匂いを嗅いだ。
首輪だと分るだろうか? 分っているのだろうか?
それから私の顔を見上げて――
「……」
「――どうでしょうか? お嬢さんへのプレゼントなんですが」
「……ニャァア」
意図を問われる視線に答えると、分っているのかいないのかまたお嬢さんは手の上の首輪をじっと見つめ始める。
そして……興味があるのかないのか、しばらくしてふいと首を戻し、腰を上げ姿勢正しく座布団に座り直した。
そして、私をじっと見つめて来る。
……真剣なお話なの? と問い掛けられているような気がするのだが。
「……もし好ければ、そこに着けさせて貰えますか?」
トントンと、毛並みの凹みをなぞり上げる。
すると指を払うよう首を頭をしゃくって、再度、私にじっとした視線を送ってくる。
妙に真剣だ。そして神妙でもある。
「……」
「……じゃあ、少しだけじっとしてくださいね?」
「……ニャアァ……」
貢物を受け取ってくれる、と?
どことなく、待ちの姿勢に入ったことを確認し、私はそっと、和柄の
もしものとき、簡単に首から抜けるよう隙間を作り結び付ける。されど木の枝や何かに引っ掛からないよう隙間が出来過ぎないように。
留め具で固定する。右から左から、出来栄えを確認して着付けが完了し頷いた。
切れ味ある美人のお嬢さんには、少々可愛過ぎるきらいもあるだろうか? しかし、これまでにない華やかさがその美に加わった。
「……うん、中々似合いますね」
ぶっちゃけ、女っ気という点で、地味というジャンルが枕詞に来る第一印象でもあったため、丁度良いチャームポイント――可愛らしいと愛らしいを同時に持ってくるにはうってつけのアイテムだったかもしれない。
そんな新たな装いを、お嬢さんは左右に首を動かし自分の首回りを見ようとする。
そこはやはり女の子――自分に似合うか気にしているのか? 笑顔でもしかめっ面でもない平淡な表情なのだが――塩反応? それとも単にいまいち気に入らないのか? 可もなく不可も無く――?
いや……すっきりした首がまた鬱陶しくなったのか?
そこで、
「……お嬢さんが嫌なら、外しましょうか……?」
気を遣って提案したのだが――
(あ――そういうこともあるのか?)
言いながら、そこで今更――その可能性に気付く。
お嬢さんが、首輪を嫌がったから。
元よりお嬢さんは、首輪の下を頻繁に掻いて欲しがるくらいには負担があった。それを思い、お嬢さんの為に?
お嬢さんの為に――お嬢さんの飼い主も、首輪を外したのではないのか。
彼女が嫌がっているから、首輪を外して生活させているのではないのか?
私はお嬢さんの飼い主のことを何も知らない――ただ、あまり良くない飼い主だと思っていた、浅慮な立ち回りをする、頭の緩い人間だと思っていた。
手術後の外歩きやら、近隣住民との会話に頭を持っていかれていたが。
――しかし、本当は?
飼い猫への善意であったなら?
本当はただの偶然――
隣人との世間話も、単にそれと時期が重なっただけで、私の中だけでの妄想――空想の冤罪ではないのか?
……だとすれば今私のしていることは……。
…………。
――これは、……やってしまったか?
眉間に皺が寄った。
お嬢さんにも飼い主さんにもとんだ失礼を働いてしまった。
やはりこの世で一番人を狂わせるのは正義なのだろう、どうしよう、私はどうやら正気を失っていたようだ。
おお、善意とはなんと怖ろしいのだ。早計だった、恥ずかしい、穴があったら入りたい。こんなことお嬢さんにセクハラかましていたそれと合わせてもう二度目ではないか。
ああどうしよう――勝手に自分の飼い猫にプレゼントしついでに飼い主に猫越しに手紙を送るだなんて送られた立場はふつうに怖くなかろうか?
手紙の内容それ自体はお嬢さんの来訪を歓迎し彼女をベタ褒めするものであるが。
見ず知らずの他人がそんな熱烈な好意を見えない所から差し出していくるなんて――もうちょっとした
「――よし、止めよう!」
突然の声にお嬢さんがビクンと顔で振り向いた。
何やらしきりに座り直し、角度を変えて新しい首輪と自分の容姿を確認していたようだが。そう、新しい首輪も鈴も手紙もまだお嬢さんのその首にあるのである。
幸いこの毛むくじゃらのメッセンジャーは出発していないのだ、気の迷いが気の迷いで済むうちに、その配送のお仕事だけはキャンセルしなければ。
私は縁台の上で畏まって、お嬢さんに揃えた膝を向け、
「……それじゃあ、お試着の方は終わりという事で――」
私は再度お嬢さんに断りを入れ、恐怖の首輪に手を伸ばした。
次の瞬間――
えっ、という疑問符を浮かべ、お嬢さんは身を引いた。
手が追う、お嬢さんは即座に腰を上げそしてヌルリと私の手を滑らすよう回避した。
おや? お嬢さんは乗り気ではない? だが私は速やかにプレゼントの首輪をその首からクーリングオフのキャストOffしなければならないのだ。
手を伸ばす、スルリと躱される。
顔を合わせる。
じっと睨み返される。
手を伸ばす、避ける、手を伸ばす、避ける、手を伸ばフカッ! ペシペシペシ!
「……いや、ちょっと……あのね?」
「シャ~ッ!!」
これはもう私の物よ! との眉間の皺である。
「……えええ?」
もうどうしたらいいのか、鉄壁の防御である。
そんなに気に入ってしまったのか、お嬢さんも女の子だから身を飾るアクセサリーが好きなのだろうか? まさかそんな執着を見せるとは。
困った。せめて首輪に括りつけられた手紙、それくらいは回収させて欲しい。しかしお嬢さん身体から迸る気炎が明らかに流血沙汰をその未来に告げている。
「……あの、せめてその手紙だけでも」
「フシャアアァ~~……!」
これは絶対返さないわ! ――と。
かつてない戦闘態勢だ。オレンジさんや蛇と対峙した時以上ではないか、これは。
もう、こうなったら仕方がなかろう。
「……じゃあ、そのお手紙も、よろしくお願いしますね?」
「……」
お嬢さんはフンと鼻息を荒げると、トンッと縁台を降りそのまま庭を出て行った。
ブンブンと振り回される雉柄の尻尾――それに合わせるように、チリンリンリン、と.
新たな鈴の音が遠ざかっていく。
やはり、お嬢さんには鈴の音が似合う――
そんな中思う。
「……そういえば、何気にこれが初めてのプレゼントですね……」
私はこれまで餌付けの類はしていない。ずっと指先一つで触れ合って来た。
お嬢さんがここに居着いてしまわないように――隣人としての節度を保ってきた。
だけど、どうしようか、これから私は、果たしてお嬢さんの飼い主さんから危険人物に見られてしまうのだろうか?
それとも――お嬢さんは、これからも変わらずここに来てくれるだろうか?
そんな心配も余所に。
しばらくして、お嬢さんは私の家に何食わぬ顔をしてやってきた。
手紙が功を奏したのか、それ以外の何かがあったのかは分らない。お嬢さんの首には私が挙げたものとは違う新たな首輪と鈴が巻かれるようになった。
これは、私の推測が当たっていたのか――それとも、全く関係ないことなのか。
その真相は分からない。しかし、私達を引き合わせる鈴の音は、またこの庭に響き始めた。
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