第21話 ライバルは、虎柄・白足袋。

 髭と髭、猫と猫、しっぽと尻尾が主張する。熾烈な争奪戦。

 それは不意の遭遇戦だった。

 陽だまりと睡眠欲、誇りと快適な寝床を求めて争う二人の乙女。

 その長きに渡る決斗けっとうが始まっていた。


 あれはいつ頃だったか。

 確か、陽射しもほどよく、ひんやりとした空気が風となり、熱を持った体を適度に冷ます秋口の縁台――そこでぬるま湯に浸るよう、じっくり目蓋を閉じ、温もりを頭の芯まで浸透させようという最高の微睡まどろみが彼女の襟首に心地良く絡みつく――

 はらはらと庭木も落ち葉が舞い始める、そのほんの少しだけ前――

 人も草木も、そして猫だって衣替えを始める季節だった。我が家は庭木の選定を始め、夏服を仕舞い、コートやマフラーの陰干しを初めていた。

 お嬢さんは、夏の薄着から冬の厚着に毛を自前で入れ替え始めている。

 冬も夏も、ファッションは女性の努力と気合と根性の賜物なのだ。

 それはさておき、気合と根性を入れている女性がもう一匹――

いつの間にかそろっと紛れ込んでいた、我が家の新顔。

 茶虎の白足袋――お嬢さんに非常によく似た着こなしの毛皮――

 オレンジ色の縞模様、雉柄を色だけ明るい茶色にした――白足袋を履いた女の子。

 襟元から胸下、腹、前足へと繋がる白の配色も、お嬢さんと全く同じ割合の、ほんのり丸みを帯びた猫だ。

 なんとなく、着物仲間かな? という気はする。

 体型で云うならこの白足袋茶虎の方がふっくらぽっちゃり……グラマー系だろうか? 尚、お嬢さんは子顔でスリムな美人系で、お尻だけむっちり丸みを帯びた、私の好みの真ん中を射抜いている体型だ。

 まあ、そんな色違いの猫二匹なのだが、

「フシャー!」

「シャァアアー!」

「ウニャア~~ォ」

「ファアアァ~ォ」

 客間の軒下、ひさしの縁台にて、威嚇を繰り返している。

 昼寝の陣取り合戦である。

 毛を逆立てメンチ切るその経緯は、お嬢さんが縁台の座布団で優雅に昼寝しているところを目撃していたのだろうオレンジさんが、その座布団こそがこの庭で最も陽当たりが良く風も好い最高の昼寝スポットだと知ってしまったことだろうか?

 おまけにお嬢さんが自分の住処ならいざ知らず、堂々と他人様の家の軒下に佇むというそれから――この家の人間は猫を怒らないのだと気付いてしまった。

 そこで、そこの雉柄が寝ていいのなら、自分も。

 と――その瞬間、お嬢さんが偶々そこに来てしまったが為に――

 この仁義無き戦争が勃発したのだ。それからというもの、フシャア! ミギャア! 

『そこを退け』

『アンタが消え失せろ』

 と、女の戦いが繰り広げられているのだ。


 ……まあ純粋な猫同士、最高の昼寝を掛けた、ごくごく平和な戦いなのだが。

 ……ああうん、オレンジさんも女の子である。

 ……股間に何も無かったので。


 些末な問題はさておき、これは列記とした猫の縄張り争いである。

 どんなに極小の領有権であろうと、そこは領土問題、国と国の威信をかけた意地と見栄と権威の張り合い。それは今後彼女らの国勢の何に響くのか――

 多分何もない、不毛Of不毛、これぞマウントの取り合い――

 敢えて云うなら、そこに山があったから――この文化は猫社会にもあったのか。

 とりあえず、そこを治める主だった利権が日照権であることは間違いない。 

 ただの住宅地問題にまで戦いの規模が縮小したが。 

 お嬢さんは我が敷地で度々、庭木や家の角、屋内なら柱やなんかに顎を擦り付け自己主張マーキングしている。だがここでやはり、お嬢さんが我が家の飼い猫ではないことがネックになる。

 いつも家に居ないから、領土を守るための防衛力が常に保持されない。

 その隙を突き、オレンジさんは悠々と住民権と日照権を主張し惰眠を貪りに来るのだ。

 しかし猫たちに人の法は適応されない、よって互いが互いの正当性を――昔の蛮族宜しく力を以って証明するのみなのだ。

 それが、

「ミギャ~ッ!」

「シャァァァ!」

 これである。分り易く翻訳するなら、

『――その座布団から退きなさいよ?!』

『いやよ! これは私専用よ!?』

 と、いうわけである。


 良心話し合いで解決できるのなら戦争など起こらない。

 資源、環境、国土、利権、ありとあらゆる問題は各個のエゴと理念と思想――他を廃絶するそれで出来ている。

 だからこそ戦争は終わらない。

 これはもはや対岸の火事ではない、ましてテレビの中でもなく、既に我々の心身を蝕み、未来永劫まで続いていくのだろう……今この場所こそが最前線なのだ。

 ――猫のお昼寝の。と付く。

 どんなに激しく罵り合っても人の目から見てそれはニャンニャンのモフモフ。

 血は飛び散らず唾が撒き散らされ、奇声が飛び交い毛玉が転がりゆくだけ。それも極めてクリーンなファイト。両者ともに決して試合相手と接触はせず、ファイティングポーズと空振りの素振りで己の実力を示し、威嚇射撃のみを繰り返している。

 そこはやはり女の子同士なのだな。

 なんというか、手を出したら負け――

 上品エレガントではない。暴力に縋った時点で女の子失格? 暗黙の了解。

 ただただ視線と気勢をぶつけ合う、不良女どもレディースの戦い。

 だが本来、この土地及び建築物の所有権は私が所持しているのだが――そこは完全に無視である。

 なので私は、図らずともこの民族紛争の舞台を提供してしまった責任を取る為、彼女らにラブ&ピースの精神を以って介入するのだが、

「……二人とも、もうちょっと仲良くできませんか? ほら、半分ずつとか――」

『『フシャラァアア!?』』

「あっ、はい。お邪魔でしたね?」

 邪魔すんじゃねえと。舐めんじゃねえよと。

 そうですね、これは女の闘いでしたね? ――男は余計な口を挟みませんとも。

 

私がそんな所に座布団を置いた所為なので、それなりに罪悪感もするのだが。

 私は、その喧嘩を静観することにした。

 することしか、できなかった。

「ウニャァアァア!」

「フシャァアアア!」

 今日もまた、平和な木漏れ日の傍ら――眼光が激突し、火花を散らしている。

 気炎を噴き付けるような罵り合い、それをみた雄猫はビクンと固まり遠巻きに後退あとずさって行く有り様である。

 やばい、関わったらヤバイ――そんな風によりにもよって雄たちに思われるなんて。

 あなた達、それでいいんですか? なんかもう、エレガントも糞も無いくらい、獣(オス)にケダモノとして見られているんですけど。

 風も冷たくなり始めたこの秋の終わり――既に冬の始まりに本当に元気なものだ。

 いや、だからこそか? 本格的な冬が始まる前に、暖かい場所を確保しておくつもりか?

 子供は風の子、それに劣らず我が家の庭を風になり二人は駆け抜けて行く。


 激しく口論をし、最後は駆けっこで決着を付ける。

 堰を切ったように走り出し、追い掛けられて、追い掛け回して、回り込み、回り込まれて、待ち伏せされて疾風怒濤――飛び掛かっての殴り合いも今日で何日目か。

 とりあえず、指では数え切れないほどだ。

 だがほぼ毎日、お互いの日照権を主張し合う不良ヤンキーもかくやの意地張り合いは極道者の縄張り争いだ。そろそろ仲良くなるか上下関係というものを着けて欲しい。

 しかし、この二匹、ぜったいに大けがをするような取っ組み合いだけはしないのだから不思議だ。絶妙に切りがいいというかケジメのタイミングを弁えている。

 あくまで追い払うだけ――それ以上のことはしないと二人で決めたかのようだ。

 路地裏で繰り広げられる血みどろの銃撃と殴り合いにはならない……二人には、派手な着物とサラシ布が似合うかな? 似合わないか。

 そろそろ妙齢と言っても差し支えない猫年齢の筈なのだが、落ち着きがあるんだかないんだか。

 ともかく、

「フシャァアア!」「フカァァアァ!」「カァアア――ッ!」「ぅにゃ~~ぉ……!」「ンナァ~~ォ……!」「フナァ~~オ……!」「ンナァ~~ゴ……!」「ンナァ゛~~ォ゛……」

 謎の一拍。

「カァァ゛~~……」

「シャァ゛~~……」

 ほぼほぼ毎日これだと、結構五月蠅い、万が一に備えてレフェリーストップに、声が聞こえ始めたら傍に控えるようにしているが、そろそろなんとかならないものだろうか?

 とりあえず――意訳すると。

『おう、そこの場所空けぇや?』

『あぁん? ここはワイの特等席じゃ』

『お天道様は誰のものでもあんめぇ』

『そんなんいつだれが決めたんじゃ?』

『そんなんお天道様がお空に浮かんどる時からじゃ』

『ならここが私の場所なんも、私がここに居る時からじゃ』

『なら今はここがウチのもんじゃ』

『なんやて?』

『あぁん? なんかようかこの二番煎じ』

『この糞アマ……』

 なんて言ってそうであるが。猫の日溜まり抗争なので絵面の危機感がイマイチである。

 最近はマンネリですしね。

 そして、

「…………」

「…………」

 謎の沈黙。これ、なんなのだろうか? 罵り合いの最中に必ず唐突に訪れる、棋士たちの長考のような。いったい何なのか? テレパシーで会話でもしてるんですか?

 しばらくしてもう一度、

「……フカァァア(言うてもそれ以前にそこは私のもんじゃけえ、とっとと居ネやぽっちゃりさん)」

「……シャアァ(なんや痩せっ扱き、これはグラマーいうねん、己の貧相な見てくれみてもの言えや)」

「フカァァア(これはスリムっちゅうんやで? このデ太り)」

「フシャァア(ああん? どこがやこの万年小娘――やんのかごらぁ?)」

「シギャアァ!(おどれは本気でここがどのシマだと思うとるんじゃ?)」

「フミ゛ャァアアァア゛!(だぁから今ここは私のシマやろが!)」

「フギムィギュルァァアア!?(どこがじゃいてこましたろかい?!)」

「フシュルルィヤァアア!?(おうおうしてみせろやぁ!?)」

「ッカァアアアアアアアアァ~~~~~~ッ!(やんぞゴラァ!?)」

「ッシャァアアァァアアァア~~~~~~ッ!(やったろかい!?)」

「……」

「……」

 覚悟完了。

 後、

「――ミャッ!(覚悟しいや!)」

「――フカッ!(覚悟しいや!)」

 多分二匹の中で。心の声が一致した。


肉球が振り上げられ、モフモフの腕が急速に弧を描く――


 その前に、私は一人紳士らしく声をかける。

「こらこら、陽だまりはそんなに小さくないんだから、仲良く二人で一緒に――」

『フシャァアァ?!?!(だから雄がしゃしゃり出てくるんじゃねえわよぉ!?』』

「……ええ。はい……そうですね……」

 私はただ一人すごすごと撤退した、般若の面もかくやという形相だ。

 そして、地面を肉球が叩き、土煙を上げ猛烈に走り出した。

 塀の向こう――叫び声が遠く、微かに聞こえている……。

 

 ……しばらくして、とぼとぼと二匹して戻って来た。


 両者とも、肩で息をしのろのろとしている。

そして、先に戻ってきた方が勝ちなのか、先住民の権利であるのかお嬢さんが座布団に座り、もう一匹は、その下の地べたのコンクリートに寝そべった。

 ……こうして近くで眠りもするのだから不思議なものだ。

 これも女の友情、それとも上下関係なのだろうか、しかし、

「……」

「……」

 瞼を閉じながら、髭と耳がピクピクとしている。

 まるで、空気を一枚隔てているような。

 それで、互いの在所を確認しているような。

 ……まあ、うん。

 交互に、尻尾でペシペシ隣を叩く。

 そんなにお互いのことを気にしているのなら、もう好きにすればいいと思う。

 喧嘩しても何しても、離れず傍に来るなんて、それはそれで素敵な関係じゃあないですか。

 ねえ、お嬢さん方――

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