第20話 出待ちは文化?
「うぉ!?」
「……ニャア?」
私は足を引っ込める。思わず蹴ってしまいそうになった。
洗濯物を取り込もうと、居間の障子を開け、突っ掛けサンダルで外に出ようと、ガラスの掃き出し窓も開けたら、そこにお嬢さんが寝転びくつろいでいた。
庭を眺めながら、私がここを開けるのを待っていた様子である。
最近、お嬢さんが私を出待ちをしている。
偶然、私達が通りすがりに通り掛かるのを待つのを止めて。
お嬢さんは、私の出没場所に待ち伏せするようになったのだ。
おかげで、出掛かりに前を向き下を疎かにしていると、危うくこうしてお嬢さんと不幸な事故が起きそうにあるのだ。
サッカーボールも非難するだろう、足の甲ではなく、爪先がずむりと。
実は一度だけ、ぶにゅりとしたその感触を靴裏に感じげに怖ろしい思いをしたのだが。あのときは中身が飛び出る事態にならなくて済んだ。
それでも懲りずに。お嬢さんはこうして、我が家の扉が開く瞬間を待ち侘びているのだ。
幸い、ここは陽射しも良いし、小さいながらも緑咲き誇る庭園の景色も悪くない。待つのには手持ち無沙汰になるくらいが丁度良いのかもしれない。
しかしほんのちょっと心臓に悪いのが……ついでに、そんな風に常日頃から女性を待たせていることそれ自体がちょっとした罪悪感もたげさせるのである。
とはいえ、お嬢さんはそこを気にした風ではなく――ただのんびりと、腰を落ち着け私を待っている。
ほぅ、とヒゲで風と太陽を感じ、瞼で白い光と微睡を楽しみ、しっぽを横に蓄えて。
なんとも堂に入った、もう立派なこの家の主の風体を漂わせているのだが。
私は、歌劇団の
ともかく、
「――お待たせしましたか?」
「ニャァ」
そんなことないわよ? と心地良い笑顔を浮かべられる。
開店準備が遅い喫茶店、もしくは行列の出来るパン屋にでもなったような。
そこで上半身を起こし、姿勢を正して座り直して――さあ、私を家に上げなさい? と。
私に目で微笑み口角を上げ催促して来る。くそ、可愛いし本当に綺麗だ。おのれ、もちろん開けますとも
いらっしゃいませ、白足袋雉柄、猫の着物も今日も綺麗ですね?
そんな熱烈なファンを毎日――石の上に待たせておくのは本当に申し訳なく思う。
そこで私は座布団を用意した。
もちろん、一番日当たりと風のバランス、そして適度な日陰をつくる客間の縁台に。
こうなれば、最高の座席を作ろうと。
御持て成しは、朱とトキ色を混ぜたよう燃える桜色だ。
陽射しで熱くなることも念頭に、綿の厚みは薄く、しかししっかりとした裏打ち、そして凉感漂う滑らかな手触り――お客様用、しかし機会無く使う宛に困った箪笥の肥やし。
それを客間のひさし――特別長く誂えたその下にある、小さな縁台に置く。
そこへ、庭に訪れたお嬢さんに顔見せし、
「おいで?」
まず私が座布団の横に座り、それから、お嬢さんを座布団へと手招きする。
私に、今日はそこから入るの? とやや疑問げにする彼女へと、ポンポンと座布団を叩き、ここだよ? との私の招待に応じ、ほんのり目で首を傾げるような表情と、恭しい足取りで縁台に飛び乗った。
トッ、としなやかな着地。
一瞥、そこにある柔らかな平べったい膨らみを見て――なにこれ? と、更に私を一瞥。
それから座布団の周りを一周し、更に立ち止まって一瞥し、私の意図を眼で探ってくる。
それに応じ、
「――どうぞ?」
再度薦める。
なるほど、ここに座れと。その意図を理解したようお嬢さんは視線をやった。
だが、何故だかお嬢さんは素直にそこに座らず、その脇の縁台の地肌部分に腰を下ろす。
そして、嫌に行儀よく前足を揃えて畏まったよう背筋を伸ばし、ご遠慮いたしますと態度で表してくる。
……何故に?
「いや、どうぞ?」
「……」
ここは私の座る場所じゃないわよ? と眼が、言っている。
「いやいや、どうかご遠慮なさらないで」
いいえ? これは私が座って良いものじゃないわ。と、体の位置を変えて縁台に直に座り直し、再度眼で訴えて来るのだが。
「――どうぞどうぞ」
――そんなこと言われても。
「……お気に召しませんでしたか?」
いいえ? ……そういうわけじゃないんだけど。
と、じっと座布団を見つめて来る。
「――気が引けるんですか?」
ふいに庭を眺めてみて。
……そういうわけでもないけれど。と曖昧におっしゃられて。
「そうですか……」
あ、そんな顔をさせるつもりはなかったのに。
気遣いに気遣い、気付いて気遣われて気疲れして。
……と、二人して視線を地面に落した。
やっててなんだろな? と思いつつ。
それから、なんとも言えない表情で佇み、その日は終わった。
――の、であるが。
その後日、
「……気に入ったんですか?」
「……」
置きっ放しにした座布団に、さり気なく腰を置き丸まっている。
その顔は、いかにも眠たげに目を閉じた、寝顔未満の
なんだかんだでお試しになったのか、その後気に入ってるんですか?
多分、使ってみたら地面より遥かに寝心地がよかったことは間違いない。
それとも、本当は嬉しくて、気後れしていたんですか?
それとも、それは人が座る場所だと思って遠慮していたのか。
女心と秋の空、とは云うが、猫の心はどの空に喩えればいいのか。
春、夏、秋、冬……眠気を誘う春か? 涼しげな秋も、木枯らしの吹く冬も、夏の木陰も捨てがたいものだが……結局どの空の下でも寝ているので変わらない気もする。
だが、とりあえず一番好きなのは、こんな気持ちのいい晴れの日であることだけは間違いないであろう。
そしてこれ以降、お嬢さんは季節問わずにそこで私を待つようになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます