第18話 猫の寝相と、その職業。
――お嬢さんはよく寝る。
我が家に上がり込み間取りを内見していくのはいつもの事だが、その最中に、パタリ、パタリと、おもむろに寝始める。
気持ち良くて寝てしまうということがあるのは分っていたのだが。日溜まり、手の平、こたつ、ソファー――石の上、塀の上、木の上、庭木の下、テーブルの下、沓脱のサンダルの上、玄関前の石畳と、本当にどこででも寝てしまう。
だが、その唐突な就寝の中で一番心配になるのは板張りの床だ。なにせ一緒に歩いていると唐突にパタリ、ばたり、トサッ、と身を投げ出す。
どこででも寝るのは良いのだが、まるで眩暈に堪えられずふらっと逝ってしまったかの様子それは途轍もなく不安にならざるを得ない。
なので、今日も私はその安否を確認する。
今まさに、エビが水中を全身で蹴って跳ぶように、床に毛皮でスライディングした。
またダイナミックな寝入り方だが、まず息をしているか、胸の辺りの上下を見て、口元、鼻先に指を翳し、呼気があることまでを確かめる。
すると大概、スヤァ、という寝息が掛るので、とりあえずは安心するのだが。
本当に、勘弁してほしい、心臓に悪すぎる。せめてもう少しゆっくり、手順を踏んであーよっこいしょ、寝るから? と声をかけて欲しい、でないと心配してしっまう。
最近、夏らしくなってきたから、冷たい床との接触面から体温を下げているのか?
確か、猫は汗を掻かない――発汗による体温調整はしないのだとか? なので買い物用の保冷材の板にタオルを巻いて置くこともあるのだが。
まあこれは、お嬢さんがいよいよこの家に気を許してしまった証拠であろう、ここならいつどこで寝ても大丈夫――安心しているに違いない。
敵がいない、何回、何度見回りしても不審な輩は何も出てこない――
それも長期に渡って、私以外誰もいないことを確かめたのだ、だからこそどこでも寝れる、ということなのだろう。
うっ――パタリ。ふら――ドサッ。と。もう完璧に唐突な死亡シーンなので……その寝方が、あまりにも豪快過ぎて、少々面を喰らうわけだが。
今日もお嬢さんは我が家を内見していた。いや、もはやセカンドハウスを闊歩しているというべきか。
そして唐突に廊下で足を止めたかと思ったら、貧血を起こしたようフラリ、ゆらりパタンと横に倒れた。
魚河岸の冷凍マグロが滑って足で止められる際の勢いというか。
「――お嬢さん……ソファーや座布団がありますよ? そこまで行きませんか?」
五月蠅い、夏場はここでいいの、ここが最高なのよ――
と、尻尾で私を追い払い、もうスースーと寝息が響いている。
まあ、既に私もその寝心地はどうなのかと一応試してみたところ――これが意外にも、中々の涼しさである。
冷房を掛けた部屋のそれとはまた違う、夏の風情――では全くないのだが。
自然な涼感、固い床というそれもまた、寝過ぎず、ほどよく休まり凉が取れる。
流石は非常のスペシャリスト。
とはいえ、
「……よくそんなに眠れますね」
外猫は夕暮れや明け方近くによく動いている所を見かけるが、一応飼い猫らしい彼女はどうなのか。
しばらくして、ぱちりと眼を開け、くぁ、とあくびを半ば噛み殺すような仕草をしてよっこらせと腰を上げる。
その隣で腰を落ち着けていた私も腰を上げる。そして、
「――もういいんですか?」
「……ニャア」
昼寝にしては短く、居眠りにしてはなんとも大胆だが。
もしかしたら慢性的な寝不足なのだろうか? その後姿――休日のお父さんの背中である。
……そういえば、お嬢さんは我が家以外でどう過ごしているのだろうか?
以前にも考えたことはあるのだが。
家に篭らず、いつも外を出歩いているようだから、多分、ここに居ない時もよそで過ごしているには違いない。
となると、我が家の他にも懇意にしている家があるのだろうか? それとも、お気に入りの場所があるのだろうか?
我が家で中々の時間を過ごすのだが、それと同じくらい余所でも過ごすのか。
それとも大人しく自宅に帰っているのか。
狩猟か縄張りの見回りか、他の猫と交流しているのか――
分らない、だが、猫は寝るのが仕事という。
それでも慢性的な寝不足となると、やはり、副業持ちか――
お嬢さんのお仕事――そこで思い浮かべるのは、ただ一つ、
「……風俗関係にでもお勤めですか?」
聞くなり私をギロリと睨んで来るのですが止めて頂きたい。
いや、冗談ですよ? しかしながら――お嬢さんは大層な美人あらせられる。いかにも華奢でスラッとした細身、なのに出るところはムチッと出ている雌猫らしいセクシー加減と、女の子がうらやむような整った美顔である。
毛並みの柄こそ平凡だが、その割、眼鼻顔立ちは煌びやかで一つ一つ整っていて、地味に見えて、良く見れば磨き込まれた美貌というそれも、取っ付きやすく親しみが湧くのにどこか近寄りがたい高貴さも漂うのである。
ただ高値の花というのではなく、親しみ易さ、人を安堵させる容貌というのが何よりの売りだ。
清楚の具現――百合の花のような女の子だ。
お高い指名料をふんだくれる蝶々さんである。いや、本当に失礼ながら、睡眠不足になる職業は他にも沢山あるのだが夜の蝶それが真っ先に思い浮かんだのだ。
ただ貞淑、潔癖なのではなく、それは『この人は自分に優しくしてくれるかもしれない』という予感を与えてくれる。
そして実際触れてみると、清廉とした印象通り凛としていて、だがしかし、その奥から少しずつ、少しずつ、期待していた癒しが滲み出て来る。
これほど夜のサービス業で引く手数多の素質は無かろう。客を惹き寄せ、引き留め、客がその心を開かせようとする内に、気付けばその心内を明かしてしまい、それを奪うどころか逆に捧げさせられてしまう。その時客は客ではなく、親愛なる隣人として彼女に会いに、そして貢いでいるのだ。
そう――今の私である。
いや、何も貢いでいないが、その体を健全にお触りして――親しくしているだけが。
まあそんなお嬢さんの普段の立ち居振る舞いを見ていると、どうしても、夜の交通整理やら警備員は似合わないように思えるのである。他にも汗水垂らして働く工場の夜間製造ライン、トラック、バスの長距離運転手もなく……その清潔感から看護師などは似合いそうだが、この気高さと自由さは、やはり夜のサービス業しか似合わないだろう。
他に夜の生き物といえば――もういっそ素直に妖怪猫又でもいいような気がする、が、それは職業ではなかった。でもきっと美人に化けて出てくれるだろう。
黒髪を結い上げて、やはり上品な着物美人で――カワイイと綺麗が同居した美人が……。
下らないことを考えてしまった。
お嬢さんは猫、猫は猫――それ以上でもそれ以下でもない。
そんな私の隣人――
それは今、居間の座卓に潜り込み、そこでまたパタリと体を倒した。
「……しかしよく寝ますね」
私も近くに腰を下ろす。
下を覗き込んで、ぶつからないよう足を伸ばし、静けさと同居する。
「……」
「……」
そうするしかないという暇、手持ち無沙汰を弄んだ挙句、私はお嬢さんの真似をし唐突に横にゴロ寝し、そこに居るお嬢さんを真っ直ぐ見つめた。
畳が壁に。
壁が天と地になった。
重力がおかしくなり、真っ逆さまに滑るような景色の先――
座卓と、畳との間の、本当に狭い空間で――
猫がペタリと、重力を無視して緑の畳に張り付いている。
私はそれに近づこうと、寝たまま座卓の下に顔を突っ込んだ。
かなり狭いという感覚――しかし、不思議と空気は楽で、いやに涼しく、その狭さに反し窮屈どころかどことなく安心した。
不思議な空間だ――そこを満喫し、お嬢さんは寝ていた。
小動物らしく、やはり狭くて薄暗い場所が安心するのか……いやそれなら、私もほんのりこの狭さと薄暗さに安心するのは何故か。
いま私は猫なのか――猫の隣人なのか。
お嬢さんが徐々に人間臭くなっていたように、私も徐々に猫臭くなっているのか。
お嬢さんは、やはりこの家が居心地いいのか。
想像する。
目を閉じて、思い返す。
……。
やはり、お嬢さんの気持ちは分からなかった。
とりあえず、私達は今日も平和である。
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