第12話 冬の楽園。
あくる日、お嬢さんが私の家を訪れた。
もう既に冬の季節も半ば、セーターの上に上着を羽織ろうとも、私は震えが走り耳が切り裂かれるような寒気に襲われるそんな中、天然の毛皮を着こんだ彼女は平然と外を歩いている。この季節ばかりはその毛皮が実に羨ましい、私は少しでも体温を上げようと半纏の袖の中で手を交差させるくらいなのだが。
「今日、外は寒くありませんでしたか?」
「――ニャア」
大丈夫よ? と。 まあ今お嬢さんは冬毛で厚着していて、更に体の肉付きも増し、そのプロポーションはぽっちゃり感漂うタプタプのむっちり具合だ。
明らかに冬太りしている、といっても人間における肥満ではなく健康的なものだ。
夏の時期は逆にほっそりスレンダーさが増していた。
どちらが好みかと言えば、見た目では夏、触り心地では冬だ。それはもう肉感的であるグラマーなお尻もむっちりな物腰に、豪勢な毛皮のゴージャスボディだ。
挨拶がてらこうして指先でその内部をムニムニさせて貰うが、このふわふわの下のタプタプ感、プニプニ感が堪らない冬季限定突きたてホカホカのお餅様だ。
その毛皮に埋まった指先から伝わる熱も――炬燵の丁度良い熱さといった風情である。
「あぁ……、温かいですねぇ?」
「ニャー?」
可愛く小首を傾げているその体を思わず抱き上げ、服の中に入れてしまいたくなる。
とはいえ、やはりその表面は流石にヒヤリとしている。外気に接するそこだけは天然ものの毛皮でもどうにもならないのだろう。地面の上の肉球や身体の端々なんぞはさぞ冷えているだろう。
そこで私は、
「――炬燵にでも入って行きますか?」
「ニャー!」
提案に、快い返事をするお嬢さんである。
そう、このお嬢さん、最近『炬燵』という便利家電を覚えた。
それがとても暖かいということも、この上なく寝心地がいいと言う事も――既に知っている笑顔である。
そして、猫も一旦潜り込んだら出られないという事実も、世に溢れる数多の資料と同じであると私は理解していた。
一度そこに潜り込んでみれば……下半身をヌクヌクと包み込む、冬の炬燵の魔力には抗い難く軽く二時間そこに居座られてしまった。最初は布団が被さった狭く四角い空間に酷くそそられたようだったが。昨今、我が家に滞在する中その時間も徐々に伸びていて、もう既に女性的な時間感覚で軽くお茶してく程度に暇を潰していたそれが一気にその最長記録を更新してしまった程だ。
これを繰り返していく内に、お嬢さんは我が家に住み着いてしまうのではないかと危惧を抱いている。そして私はお嬢さんの飼い主を前に言うのだ『――貴方の猫ですが、今、私の隣で寝ていますよ? それはもうとてもだらしない恰好でね?』と、何も嘘をついていない感じで。
まあこれも寝取ったと言うのだろうか? それはさておき。
ただ今日はちょっと、長らく席を外していて炬燵の火をずっと入れていない。
なので誘っておいてなんだが、今その中は下手な床や地面よりひんやりした空気が漂っているだろう、そこに足を突っ込んだ瞬間身震いするほどだ。
とりあえず家の中へ上げてしまったがさてここからどうするか。
とりあえず、そこに在るストーブを焚いて階段に腰掛け談笑するか?
私が一考している内に、お嬢さんはさっさと居間の戸をその目で凝視してしまっているのだが、さていったいどうしたものか……。
「……ああ、そうだ」
思い出す。光熱費不要、時間も掛らず既にホカホカの熱気が蒸れる世界が、この家の中に一か所だけ、他にもあることを。
私の呟きに、なに? とお嬢さんが顔を上げ振り向いていた。その目は既に若干おかんむりで、私に早く炬燵に案内しろと眉間の皺で催促しているのだが、
「……今日は、炬燵より、もっと良い所に案内しましょうか?」
「……ニャァ?」
何? いいから早くして。と言っていそうな瞳であるのだが、
「――もっと温かくて、お昼寝が気持ちいい所ですよ?」
その
私はそれに笑みを返し、恭しく手の平を仰向けに横に滑らせお嬢様をリードする。
「まあ立ち話も何ですから、とりあえずこちらへどうぞ?」
「……ニャァ、……ニャー」
渋々、お嬢さんは後ろ髪を引かれるよう居間の戸を眺めるが、やがて先行する私の背を追い掛けトコトコ歩み寄ってくる。
うん、最近気づいたのだが、気位が高いように見えてこのお嬢さん、かなり素直だ。
「――こっちこっち」
何かな? とキョトンと目を丸くし、お嬢さんはまた素直に私の後についてくる。
「――おいでおいで?」
「……? ニャア、」
何? と、そしてどことなく期待感を寄せた目が私の背中を追い掛ける。
そこで私は我が家の一階、西にある客間へと向かった。
本来、来客の宿泊時に使う部屋だ。といっても概ね、家を出た家族が泊まるときに使うのだが、その用途で使われたことは一度も無い。畳敷きの十二畳――
母屋から突き出たその上に二階は無く、構造的には渡り廊下の無い離れである。
その戸口を開けると、広々と、そして閑散とした和室が広がる。
奧には床の間、脇には押し入れと天袋。隅に避けた座卓と茶道具。積まれた座布団。
そこを横切る。なにも何も無いここでくつろごうというわけではない。
私は静か畳のきしむ音も懐かしく、お嬢さんを背後に床の間すぐ横の障子戸へと向かった。
その先が目的地だ。
「ここです」
品は良いが、そこはかとなく陰鬱さを滲ませている部屋の先――
ただの和紙が、今にも熔けるのかという輝く気配を滲ませている。
さっと開けた瞬間、足に纏わりつくほどの温風が、ゆるりと流れ出す。
掃き出し窓の大きなガラスが四枚並び、燦々と太陽光が降り注いでいた。
猫のヒゲが上下に揺れた。
障子戸を開けた瞬間、冷えた空気と温められたそれとが混じり合い、光の流れを歪め透明な濃淡が湯気のよう揺れている。それほどの温度差に蓋をしていた障子戸が開けられた先は――
見た目、旅館の窓際にある、あの空間だ。
あの空間だ、狭いというにはちょっと広く、そして、椅子と小さなテーブルが置かれた。四畳有るか無いかのそこは、一度足を踏み入れれば暖かさの楽園だ。
広い縁側、略して
もっとも、ここには椅子もテーブルも無い。その代わりあるのは敷き詰められた敷布団と寝具の数々――隅に
今ここはちょっとしたガラスの温室――ここだけ『春』といっても過言ではない陽射しと熱の吹き溜まりとなっている。
その足元に敷かれた、温かな敷布団――
そう――温かな敷布団。
「……!」
どうみても、寝る為の場所……!
猫のカッ広げられた瞳孔がそう物語っている。
お嬢さんは、まるで催眠術にかかったかのようゆらりと歩き出した。
なにより程よい手狭さと、心にゆとりが出来る緩い広さ――
猫が好きな要素が満載万歳である。もう昼寝するしかあるまい。その光のシャワールームは思わず目を細め人の私でも思わず気持ち良く頭の中がクラクラするほどだ。
そしてその通りに、お嬢さんは無言で場所を確保し前足を組んで腰を下ろした。
まずはお腹で、その寝心地を確かめている、やはり冷えていたのだろう前足を肉と布団で挟み込み温めているのかもしれない。ここに入った瞬間からお嬢さんは一言も喋っていなかった、その時点で既にその心は鷲掴みにされていたのだろう。そして程よく温まったのか前足を伸ばし後足を投げ出し、緩く弧を描くように横這いになった。
もう完全に腰を据えて寝るつもりである。
「――どうですか? 当方自慢の昼寝場所は」
「…………」
ここにいるだけで服を一枚余計に着ているよう温かさは、猫の心を蕩かしているらしい。
パタリと倒れ込み、そのまま目を閉じ寝息を立て始めた。早過ぎである、横になって三秒と経たなかったのではなかろうか?
日溜まりの縁側――これに勝る猫の昼寝場所は他に存在しないのだ。
今――最高の笑顔、至福! と綺麗なニンマリで口と目尻を垂らしている。
女神、菩薩さまに聖母様まで萌えと言うかもしれない微笑みだ。多分お嬢さんは今、世界一幸せな猫であろう。
――うん。
いい絵である。
陽だまりで猫が丸くなり寝ている、ただそれだけで、世界一の名画の予感がする。
見ているこっちまで、心までほこほこと温まって来る。
実際、気持ちいいのだろう、その寝心地は、他の何にもたとえられない陽気の筈だ。
乾燥も湿気も無い、風がある外、埃っぽい地面では絶対味わえない寝床だ。
そこで、ゆったり胸を上下させているのであるが、あえて訊く。
「……お嬢さん……気持ちいいですか?」
――ペシペシ。
尻尾の先だけを器用に動かし、布団を二度叩いた。
うん、なんとも横着な返事だ。それだけその寝心地が良いのだろう。そして完全に無視しない辺り律儀でもある。それにしても完全に眠っているように見えたが起きていたのか。
見た目では分からないものである。そこで再度、
「……お嬢さん……そこは温かいですか?」
――ペシペシ。
尻尾が布団を二度叩く。うん、これはどうやら肯定の意のようだ。
それにしても起きる気が全くない、そんなにか、そんなに気持ちいいのか。
このままいつまで寝るつもりなのだろうか? ……ちょっと不安になる。
……それにしても、
「――お嬢さん、ホントは起きていますか?」
ペシペシ。
って起きてるのか。
「でも、気持ち良くて動きたくないんですか?」
ペシペシ。
やはり横着だな。
「じゃあ、しばらくここで寝ていますか?」
ペシペシ。
だろうね? そんな気がしていたよ。
……ていうか、もしかしてとりあえずで頷いてる?
実は、話を全く聞いていないのではないか、という疑念が鎌首を持ち上げる。
それならばと、
「……お嬢さん……、うちの子になりますか?」
……シーン。
あれ? 引っ掛からなかった。どうやらいい加減な相槌ではなさそうだ。
そしてこれが『いいえ』と――んん? いや、というか――
この猫、もしかして、
「……お嬢さん、気持ちいいですか?」
ペシペシ。
「温かいですか?」
ペシペシ。
「もうそろそろお家に帰りますか?」
――シーン。
……これ、もう間違いないと思うのだが。
この猫もしかして、
「……お嬢さん……あなた、分っていませんか?」
「……」
「……本当は、人の言葉が……分っていませんか!?」
ユラリ、ユラリ、と尻尾をゆっくり横に揺らした。ここに来て『Yes』でも『No』でもないという答えであるがいやこの雌猫もう完全に分かっているだろう、今のは明らかに『ふふ、さあ? どうかしらね?』と誤魔化しているじゃないか。
私の疑問が確信へと変わる。
「――そうなんでしょう? ……貴女本当は、私の言葉が分かってるんでしょう?」
ペシペシ、ユラリ、ユラリ。うん、翻訳するなら『はいはい、返事ぐらいするけどそこまで詳しく分かってるわけじゃないわよ?』といったところだろうか。
「――完璧じゃないですか」
いやもうこれ、的確に対応してるじゃないですか。以前からどことなく、繰り返し使っている単語は覚えている風ではあったがこの雌猫――もはや文章読解すら可能としているのではなかろうか?
小さい頃は、もっと、身振り手振り、仕草と前後の状況から気持ちや都合をお互い推し量っていた筈だがいつからこうなった? もしかして騙されていた?
本当は人の言葉なんてとっくに理解していた? 理解したうえで知的な可愛い猫の振りをしていた? 嘘だろう?
お嬢さんはもう、絶対に理解している?
お嬢さんは! 人の言葉を! ――理解しているのだ!
暖かい日の光が降り注ぐ。
……。
……………うん。
私は人知れず握り込んでいた拳を解いて、だらりと立ち尽くした。
「……まぁ、いいか……」
そうそう。とでも言うように、お嬢さんは布団を尻尾で叩いた。
私もそれに無言で相槌を返す。うん、別にどうだっていい――
温かい、眠い、気持ちいい。だからそんなことは別にどうだっていいのだ。……だってここは今――最高の昼寝場所なのだから……、
「……ふぁ、……ぁあぁ……っ」
私も、いつのまにか――そこに満ちる温かな空気に、頭の中まで温かな光に満たされていた。うつらうつらと、瞼が帳を降ろそうとする。
ついウトウトと――
横を見る。あまりにも、気持ち良さげに揺れる――その雉柄の尻尾に――
催眠術にでも、掛けられたように。
気持ち良さそう――その本能に従い腰を下ろした。
寝よう、お嬢さんの真似をして、その横に腹ばいのうつ伏せで寝転がり、そこからゴロンと横に転がり天井を仰いだ。
背中に柔らかな熱を感じる。ああ……どうしてこう、お日様に干した布団は気持ちいのか……。
「……あぁ、気持ちいいですねえ……」
ほっと一息、そして深呼吸、それからゆったり溜息を吐く。
ペシペシ。
――うん、そうですね?
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