第7話 長いもの同士。

 その日、偶然通り掛かった長くてニョロッと尻尾と一体化した足の無い奴が来た。

あの、アレだ。物語の中ですべからく悪役であることが多いあのアレ――

 長くてニョロニョロして、舌がチロチロしているあのお方――それがよりにもよって我が家の前でお嬢さんと鉢合わせしていた。

 にょろにょろ、ニャラニャラと、長い尻尾と尻尾が揺れている。

 場所はただの塀と塀の間、所謂門扉の無い門の前、群青も煤けたアスファルトの路上だ。

 両者共に、フットワークによる体幹の移動、重心と立ち位置、構え、視線を交差させ見合って見合って地を這うような姿勢で眼光をぶつけ合っている。

「シャーッ!」

「シャ~ッ?!」

 どっちがどっちか、ニョロッとした雰囲気で分かるだろう。

 小動物同士、鱗と毛の一大決戦である。


 私が見た時には既に始まっていたそれは、おそらく不意の遭遇戦だったのだろう。

 見慣れない生き物が、見慣れない生き物と遭遇して――お互いに生存本能と闘争心がみなぎってしまったのである。

 助けるべきか、仲裁に入るべきか、いや、野生の戦いに手を出していいものかと悩んで私はそれを硬直気味に観戦していた。

 そんなことお構いなしに、二匹の小さなケダモノ共は死闘を繰り広げている。

 まずはフェイントから、左右に体、顔を振り、長い方が果敢に足のある方を幻惑する。時折り長い手を鞭のようしならせるかのよう首を伸ばし、シャ! シャ! と鋭い牙を突き立てようと気勢を上げるがしかし、足のある方もそれに負けじと腰を据えての鋭いジャブを何度となく繰り出し牽制しつつ距離感を計っている様子だ。

 睨みを切らさず、巧みに立ち位置を調整し、一進一退の陣地取りをしている。

 二手、三手先を制する闘い、これを制した者がその牙と爪を相手に突き立てるのだろう。両者まだ一度もクリーンヒットはない。

 卓越した技巧と力量――否、野性の勘で、お互いの何が危険なのかを察し合い、それが届かないように立ち回っている。

 致命の一撃を持つのは毛の無いニョロッとした方だ。その牙には毒がある。

 ――かもしれない(どの蛇で毒持ちかどうかなんて知らない)。

 だが、片やフサフサの方も、その膂力は容易くニョロニョロを生の蒲焼に捌けるだろう。

 種族的に、互いの体そのものが既に必殺の武器なのだ。生者必滅――いつこの拮抗が崩れるかは分らない、そのときはお互いに、タダでは済まないだろう。

 どちらかが死ぬと言った方がいいかも知れない。

 昼下がりの住宅地でまさかこんな熾烈な生存闘争が繰り広げられるとは――


 いやつい野生の戦いに魅入ってしまったが。私は遅れて血相を変えて、段ボールと竹箒を車庫から持って来た。

 そして速やかにその場に割って入る。

 レフェリーストップだ。

 ニョロニョロは偶々通り掛かっただけ、モフモフも同じだが、しかしモフモフの方は私の掛け替えのない隣人なのである。

 私も割と決死の覚悟でその死闘に介入した。

 かなりの及び腰で――段ボールで両者の間に壁を築く。

 突如、眼前が茶色いのっぺりとした城壁で遮られ、困惑したニョロニョロの奴をすかさず竹箒で掃いて転がし、横にゴロゴロと移動させ蓋のない側溝へと滑落させる。

 私に反撃する間もなく、城壁越しに転がされ、途中、戸惑いながら悲鳴を上げるようなつぶらな目をしていたが。

 ごめんよ極端な胴長さん――君の体が長くてニョロっとしているのが悪いんじゃない、君に罪がないのは知っている。けれど我が愛しのモフモフの為には背に腹は代えられなかったんだ。それに下手すれば、君がお嬢さんの生存本能と食欲の餌食になりスプラッターにお腹の中に納まっていたかもしれない。

 ――この前、庭でトカゲを咥えて完全に野性に還るお嬢さんを見てしまったのだ。

 あれは理性を完全に捨てていた。――その後、彼の姿を見た者はいない、なんてナレーションをお持ち帰り《テイクアウト》されたそのトカゲに入れざるを得ないほどだった。

 尻尾切りもできなかったのだろう、それを見た私のなんともいえない気持ちが分るだろうか? あまつさえ乾いた風のSE付きである。


 ――その危機は去った。


 だが残心。極端な胴長さんが側溝から這い出て来ない事を入念に確認する。

 既に闇の中を移動し始めたのか、盾を間に置きながら底を覗き込み、そのニョロッとした長さが存在しないことを目視してからようやく残心を解く。

 私はまず一息――段ボールと竹箒を塀の門に立てかけ、同時に、お嬢さんが目の前で長くてニョロニョロな奴に散華することも無くなった現状に心底ほっと胸を撫で下ろす。

 ――いやまだだ。

 私は背後に振り返る。私が見た時からは噛まれていなかっただけでそれ以前のところでもう既にということもありえる。

 注視すると、お嬢さんはやり場を失った闘争本能にギラギラと双眸をひん剥き全開にしていた。これは危険だ、今手を出せばその余熱で即座に私とも開戦してしまうだろう。

 人対猫で第二試合開始なんてしている場合ではない。

 なので、私はその理性を呼び戻す為、

「――お嬢さん、お嬢さん……ちょっといいですか?」

 いつも通りの挨拶をする。ただしいつもよりちょっと遠間に。

 咄嗟の行動を、咄嗟の行動で上書きする。ルーチンワークで培った反射的行動を期待して、お嬢さんに人差し指を差し出す。いまだ闘争心全開の瞳だが、これまで幾度となく繰り返した行動は思惑通りお嬢さんに反射で首を突き出させ、そして私の指先の匂いを嗅がせた。

 スンスン、スンスン――やがてハッと眉間が広がった。

 全力で全開の瞳が半分のサイズに戻った。うん、落ち着いたかい? だがまだちょっとだけ逆立った毛のファイティングポーズが解けていない。

 そこはかとなく不完全燃焼の闘争心が滲み出ている。そこで更に、

「おいでおいで?」

 と、お嬢さんを呼び声と手招きで呼び寄せる。そこまでしてようやく――やや疑惑の眼差しを向けつつ、ぎこちなく、私の指先に自身の耳後ろを置いてきた。

 優しく、優しく、指の腹でコリコリとする。

 静電気を発していた毛並みが、ペタリと地肌に寄り添った。

 非情な闘争の世界から戻って来たお嬢さんを、そのまましばらく親愛の毛繕いグルーミングする。

 そしてその中で、彼女の雉柄の体に噛み痕が無いことを、それとなく入念に確かめる。

 毛並みのあちこちを無遠慮に抓み、あるいは掻き分ける、そのいつもとは違う手つきにお嬢さんも違和感と不満を覚えたのだろう、また眼力が強められてくる。

 しかし、

「――怪我してないか心配だから、今回だけですからね?」

 何故だがその言葉を――前後の状況を察してか、私が心配していることを理解したよう渋々じっと前を向くそっぽの向き方で診察を許可してくれた。

「……ありがとう。もうちょっとですからね?」

「……」

 うん……見た限りでは噛まれていない。

 毛並みにも、地肌にも、出血らしい出血も噛み痕も見られない。

 これなら心配無いだろう。そこでようやく私は本当に人心地ついた。

 けど本当に心配した。そして、

「――よかった。……本当に怪我が無くて……」

 そこでつい、手の平でお嬢さんの頭を力強く撫でてしまった。

そして――


 この日、一番キレのいい猫パンチが私を襲った。

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