第4話 ――察して? という文化。
私はお嬢さんへと挨拶をする。
「――こんにちは。お嬢さん」
と、まだそこ此処が華奢で上品な猫が私に歩み寄った。
幼さが抜けず、歳で云うなら十二、三歳から四、五歳くらいの、なんとも瑞々しく、そして華やかながらも、儚い年頃の、子猫というには少々大きく、そして大人というには些か小さな猫だ。
すると立派な
そこで私はしゃがみ、お嬢さんの鼻先へ利き手の人差し指を差し出すと、彼女はフンフンとその匂いを嗅ぎ、それから毛むくじゃらの頬を私の指に触れるか触れないかの距離に置いてくる。
私は雉柄の毛並みの中をその指先でカリカリと掻き始める。
カリカリ、カリカリ、ほんの数秒――
そこで私は指を離した。挨拶を止めたのだ。するともう一度とアンコールするように、お嬢さんはしゃがんだ私の腰周りを衛星のよう一回りし、私に背中を見せ腰を落としてくる。
理髪師からみた客の後頭部――のような猫の背中。
席に着いたお嬢さんを、私はその後ろから耳裏、耳と耳の間、頭周りをそっと掻いてやる。そこでしばらくジッと、カリカリ、カリカリと、首回りに爪を立てる。
以前よりも、かなり長く触れ合えるようになった。
指先一つ、それだけで繋がる関係――それが今の私達の間柄だ。
しかし安心して私の指に体を任せてくれる辺り、かなり信用されているのだろう。ただの知り合いから仲の良い知り合いくらいには慣れたのだろうか?
それでも、長く触れられ続けることは苦手なようで、そして手の平で撫でられることをお嬢さんは好きではなさそうなのである。
多分、体の大きさの違いだろうか? 手の平で撫でるとそれを避けぬるりと動き落ち着かなさげするのだ。
人の指先は、猫の体ではそれこそその足先か舌先くらいの共通規格になるのだろう、対して手の平は、片手でその胴半分を優に抱えられる大きさだ。
そんな――自分より圧倒的な大きさの生き物に、背中を撫でられたら?
人で云うなら、巨人か怪獣に上から優しく撫でられるようなものだろう。それはかなり恐ろしい筈だ。この想像が合っているかどうかは別として、だから私は指一本での毛繕いの真似事を継続している。
もう単なる挨拶というだけではない、日々お嬢さんの具合の良い所を探し邁進している。その甲斐あって以前より遥かに私に体を許してくれるようになったのだ。やはり『可愛がりたいから』で一方的に触れることはよくない。
猫には猫の都合がある、そこで節度ある誠実な触れ合いを通して信頼を築かねばならない。
「うん? ……今日はここはですか?」
お嬢さんの方から、もうちょい下、もうちょい横、と、首を私の指に合わせて傾けて来る。
徐々に傾けられていくその角度に合わせて、耳後ろから後頭部へ、そして首輪の辺りへと指を移動させる。
その内、お嬢さんは眼を閉じ、背筋を伸ばして気持ちよさそうにし始める。
まだ若いのに、孫に肩を叩かせるおばあちゃんのようだ。このまま続けて上げたいところだがしかし、
「……今日はこのくらいにしておきますね?」
過ぎたるは猶及ばざるが如し。満足、という文字通り足りない位で丁度いい。
でないとまた教育的指導が襲い掛かって来る。比喩ではなく、襲い掛かって来るのだ。その牙と爪で。
これで足りなければまたしゃがんだ私を一周し、続きを催促して来るのだが――
そこで、お嬢さんは私から離れ、しかしまだ帰らずに、少し距離を置いたそこに寝転がりもんどり打ち始める。
「……気持ち良かったですか?」
びよん、びよんと、お嬢さんはバネの様に背中を波打たせ、そこを地面に擦りつける。
いや、血行が良くなってジンジンして痒いと気持ちいいが同時に来ているのか? マッサージ終わりの背伸びのような、今度は背中を掻いて欲しいのだろうか?
私が黙って見ていると、更に横這いのまま綺麗な三角の耳を前足で撫でつけ、その足をペロペロと舌で湿らせまた耳を撫でまた足をペロペロして、整髪料代わりに艶出しをしている。どうも、最後の仕上げは自分でする流儀のようだ。
そこで私は提案するのだが、
「……今度は背中も掻きましょうか?」
「……フン」
鼻で息巻き、お嬢さんはくるりと背筋を翻して立ち上がり、今度こそ去って行く。
不思議なもので、お嬢さんは自分を猫扱いすることを嫌っている。
愛玩動物――おもちゃ扱いされることを嫌っているといえばいいのか、一方的に愛されることを苦手としているといえばいいのか、相互に自律し自立した関係を望んでいるように思われるのだ。
単に好みや気分の問題だけでなく、熱烈な撫で方や構い方を嫌うのは、あくまで自分を一つの対等な存在として扱わせようとしているからなのか――
人と人、猫と猫でも、人と猫でもなく。
個と個として?
どこが? あの傲岸不遜な甘えっぷりで? と思うかもしれないが。それならある程度その行動も説明がつくのである。
挨拶の仕方を覚えなさい、力加減を知りなさい、私の好みを覚えなさい。
文化の差を、体格の差を。君個人の良い所を。人と猫の垣根を越えて、学ばせようとでもいうような。
それはまるで人と人の健やかな関係の様ではないか。
お嬢さんは――猫であるということが如何なるものかを、自身がどんな存在なのかを私に確かめさせようとしている。
それもまぁ非常に女の子らしい『言わずとも察して?』の文化でだ。
なんとも奥床しいというか、貞淑であるというか、手厳しいというか。
それが単なる気紛れに見えないのは、きっちり私の都合にも配慮してくれているらしいところである。そうでなければ、徐々に、徐々に、私の撫でる時間が増えるはずもないのだ。
本当は――実はただの猫ではないのではなかろうか?
物の怪とか、改造手術を受けた天才猫とか、はたまた人の生まれ変わりで、中に人が入っているとかそういうことはないだろうか? とりあえず私から言えることは、お嬢さんは本当に面白い猫であるということだけなのだが。その生態は……非常に興味深いものである。
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