第2話 猫再び。
ある日のこと、車庫に行くと雉柄の尻尾に白足袋の猫を見つけた。
もしや先日の猫だろうか? だがその猫は私の姿を見るなり車体の下に潜り込み姿を隠してしまう。
おや? もしかして嫌われたのかな? それとも私の事を忘れてしまったのか。いや、人が怖い生き物であるということを知ってしまったのだろう、なんとなくそんな気がする。
猫の記憶力がどれほどのものかは分らないが、もしあれだけ一緒に遊んだことを覚えているならここまで警戒心は持たない筈だ。決して、怖い思いなどさせていない筈――
拉致クレーンゲーム、倒れながらも必死の抵抗、しかし本能には抗えず弄ばれ……。
否、世間話からの運搬作業、そして陽だまりの縁側にて猫じゃらしで遊んだだけだ。この猫はきっとどこか別の場所で世間の常識を知ったのだ、そうに違いない。
そこで無垢な子猫ではなくなってしまっただけだ。
そう綺麗に自己完結してと――
「……チッチッチッ」
私は小鳥の鳴き真似をした。
ただ、あの日の猫の無邪気さが忘れられなかった。率直にもう一度構いたかった。
噛み付いてもいいから、また遊んで欲しいし遊ばせてやりたい。
「おいでおいで~?」
車体の下に向け、鳴き真似と合わせて人差し指を揺らす。しかし、その身を竦め厳重に警戒しているのか反応は無い。
もう一度、指先をちょろちょろと揺らす。鳥の尾羽かトカゲのしっぽを想像し、クイクイ、チョロチョロと。
「――おいで~、おいで~?」
……だめか?
「怖くない、怖くないよ~?」
駄目か……駄目なのか?
「……おいで~?」
やはりダメか、ダメなのだな?
小さな猫からの返答はない。そこで諦めて向こうに行こうと立ち上がろうとした時だった。
――ニュッ。
孤独な電波塔が、白い猫足を受信した。
唐突な前足のパンチ。やんわり、そしてピタリと接触した肉球は、以前のよう攻撃的ではない。車体の下から、白足袋を履いた右前足が、真っ直ぐ伸ばされていた。
そして私の右手の人差し指と、白の前足とが繋がっている。
指を止めた瞬間だった。諦めかけたその瞬間――なんともいえないプニッとした感触が、私と猫との間を繋ぎ止めたのだ。
紛れもない猫の前足――
ちょっと感動、いや、私は今かなり感動している。
試しに上下に小さく揺する、離れない、これは見事な握手だ。
私と子猫との間に今、友好条約が締結されたのだろうか?
車体の下から前足だけ――それ以外は全く見えない。未だ警戒しているのか、また誘惑と本能に負けたのか、その雉柄の背中と凛とした小顔は御開帳願えない。
だが、微動だにしないまま白足袋の前足が私の右人差し指を抓んでいる。
この猫は、いったい今どんな顔をしているのだろうか?
とりあえず、二、三度、軽く上下に握手を揺さぶる、離れない。引けばとりあえず車体の下に前足を戻したが、さてそこから、また車体の下に向け私は指先を揺らした。
ちょいちょい、ちょいちょい。
――パシ。
早い、今度は間を空けずに握手された。
……これは――
離す、揺らす、パシ。
離す、揺らす、パシ。
……うん。
サッ、パシ。サッ――パシ!
うんうん。それならばと私は指先ではなく手の平を仰向けにして、ぐーを握った逆手をそのままつき出した。
「……おいでおいで?」
誘う。すると、慎重に……これでもかと低姿勢で、一歩、二歩、鼻先から忍び寄るよう顔を出し、私の握り込んだ手の平をスンスンと嗅いできた。
開く、何も無い、それを確認して尚匂いを嗅ぎ、また指先を差し出すとその匂いをまた嗅いだ。飼われていると、握った手の中に餌か何かが入っているのは日常的だが。
それから、ハッと、上を見上げ、そこに人の顔――私に気づきピタリと硬直した。
うん、遅いよ? 息を呑む、まん丸の目。緊張でほんの少し逆立った雉柄と白の毛並みが、微妙に悲劇を訴えている。
完全に私が悪者なのだが別に罠に掛かったからって何もしないよ?
「……また、遊ぶかい?」
私は優しく声を掛け、指先を振る。
すると、直ぐ私の顔に気を取られつつ、動く指先にも目を奪われ、そしてその先端に首が揺れる。
――パシ。
うん、ふふ?
――パシ、パシ。
力加減を覚えたのかな? 私はそれを確かめ、
――パシ、パシ、パシ。
今度はその体を触らせてはくれないかと、手遊びを繰り返すその右手を猫の頭の方へと伸ばした。
そして、
「――アイタ!?」
牙を剥いたそれがまた両前足で掴み掛り、そしてアグリと噛み付き右手を地面に引き倒そうとした。
うん、前より手加減出来ているけど、まだまだの様子かな?
飼い主さん、早くこの子にそれを教えてください――
でないと、私の手が穴だらけになってしまうよ……。
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