最終話
朱莉の合格発表から2週間半、俺が下宿先へ引っ越す日になった。
この2週間半はあっという間だった。
卒業式の日から朱莉の合格発表の日までの倍に近い時間が経っているはずなのに、その半分くらいの時間しか経っていないように感じられた。朱莉の浪人が決まったために告白を断念し、セレクションに向けてひたすらサッカーに集中していたからそう感じたのかもしれない。
「雄介、忘れ物はない?」
「ないはず。もしあったら送ってくれよ」
15時過ぎの電車に乗る予定だったので家で昼食を取って、少し休憩したところで出発の時間を迎えた。大方の荷物は配送業者に依頼して明日の昼過ぎに向こうへ届くことになっているから、今からの持ち物は必要最低限の荷物を詰めたリュックとキャリーバッグだけだ。
今日は平日で、学生は春休み期間であっても大人は普通に仕事があり、父親は家におらず、見送ってくれる家族はパートの仕事の休みを取った母親だけ。
このあと母親の運転で駅まで行く予定になっている。
――ピンポーン。
車のエンジンをかけるために母親が家から出ようとすると、玄関のチャイムが鳴った。どうやら来客のようだ。
「はーい……あら、朱莉ちゃんじゃない! こんにちは」
玄関から母親のそんな声が聞こえてきて、リビングで荷物の最終確認をしていた俺は慌てて玄関に向かうと、そこには朱莉がいた。
朱莉に会うのは合格発表の日以来で、連絡も朱莉から引っ越しの日時を教えてほしいと来て、それに答えただけになっていた。
「朱莉来てくれたんだ」
「ゆうくんから行く時間聞いたんだから、もちろん来るよ」
そう言った朱莉は、幼馴染である俺でなければ分からないほどわずかに複雑な表情をしていた。最初はなぜかわからなかったが、朱莉の視線が時々母親が持つ車のキーにいっているのに気づいて理解した。
「母さん、電車の時間までまだ余裕あるし、駅までそんなに遠い訳じゃないから、俺朱莉と一緒に歩いていくよ」
「向こうに行くと朱莉ちゃんともなかなか会えなくなっちゃうもんね。じゃあ私は家で見送ることにするよ」
この時母親が少しにやついているように見えたのは気のせいだったということにしておく。
「もうちょっとで荷物の確認が終わるから、少しだけ待ってて」
「うん、わかった」
朱莉を玄関で待たせて俺はリビングに戻り、急いで荷物の確認を終わらせた。そして今度は荷物を持って玄関に行く。
「お待たせ」
「荷物それだけでいいの?」
「ほとんどのものは送ってあるから大丈夫」
「そっか」
ドアを開けて朱莉を先に行かせ、俺は出る前に一度振り返って母親に別れの挨拶をした。
「じゃあ母さん、行ってきます」
「体には気を付けるんだよ。あと乗る電車間違えないようにね」
「誰が間違えるか!」
そして俺は朱莉と一緒に家を出た。母親は玄関で手を振って見送ってくれて、若者の邪魔はしないということなのかそれ以上外に出ようとはしなかった。
「ゆうくん、ありがと」
道路に出たところで、朱莉が俺の顔を見て言った。
「朱莉の方こそ、わざわざ家まで来てくれてありがとな。電車の時間と一緒に家出る時間も一応教えたけど、てっきり駅に来るもんだと思ってたから驚いた」
「その、最後にゆうくんとちょっと話したかったから。駅だと全然時間ないかも、って思って」
「そっか。俺も朱莉と最後に話したかったからちょうど良かったよ」
感謝の意も込めて、初めて俺の方から朱莉の手を取って繋いだ。手を繋ぐこと自体にはもう慣れていたけれど、自分からとなると少し恥ずかしさを感じた。
そうして手を繋いで歩いていると、右手側に公園が見えて来た。
「そこで昔よく遊んだよな」
「たくさん遊んだね~」
「そういえば一回ブランコで高さ競争したら、途中で怖くなって朱莉泣き出したことあったな」
「ちょっと、恥ずかしいこと思い出さないでよ」
朱莉は俺と繋いでいない方の手で俺の腕を軽くグーパンしてきた。
「ごめんごめん、でも俺だって一回ジャングルジムから落ちて腰打って泣いたことあるからな~」
「そんなこともあったね! その時ってたしか私がゆうくんのお母さんを呼びにゆうくんの家まで走ったんだよね?」
「そうだったはず。その節はどうもどうも」
「いえいえ~」
いったい何年越しでお礼言ってるんだか、と二人して笑った。
それからも駅に向かう道中には俺たちが通った幼稚園や小学校があって、その近くを通る度に思い出話をした。
ところが、徐々に新たな話題を振ることが出来なくなっていって、やがて二人とも静かになってしまった。
別れを意識してしまわないようにとにかく会話を続けようと思っていたのだが、普段ならしないような昔の話を持ち出してしまったために意識してしまったのだ。
これまでずっと一緒にいた幼馴染とのお別れというだけでもしんみりするというのに、俺たちは両想い。それに俺はサッカー部、つまるところ体育会に入るつもりで、そうなると長期休みも練習があって、こっちに帰ってこれる日数はそう多くないはずだ。
さらには朱莉にも都合というものがあるから、俺が帰ってきている時に必ず会えるとは限らないし、いつ帰ってこれるのかも全く分からない。だから一度別れを意識してしまえば、その辛さから楽しく話をする余裕などなくなってしまう。
何も話さなくなった代わりに、互いに相手の存在を確かめるように体の距離を縮め、より強く手を握るのだった。
どちらかが話題を振って、少し話してはまた黙りを繰り返しているうちに駅に着いてしまった。
最寄り駅であるこの駅は、快速が1時間に1本しか止まらないくらいの、そこまで大きくない駅だから、平日のこの時間は全然人がおらず、ほぼ貸し切り状態だった。
「切符は買わなくていいの?」
「前もって買ってあるから大丈夫」
別れが惜しくて自然と歩くペースが遅くなっていたようで電車の時間が迫っていた。
俺は握っていた朱莉の手をそっと離し、リュックから財布を取り出すと、財布の中に入れてあった切符を取り出した。
「朱莉、俺行くよ」
「分かった。じゃあゆうくん、元気でね。まずはサッカー部のセレクション頑張って!」
「絶対に受かってサッカー部に入ってみせるよ。だから、朱莉も受験勉強頑張れ!」
「うん、頑張る!」
朱莉と簡素な別れの言葉を交わすと、俺は朱莉に背を向けて改札へと進んでいく。
本当はもっとちゃんと朱莉に別れの挨拶をしたかった。せめて朱莉にこれまでの感謝を伝えたかった。だけど、これ以上一緒にいると涙が零れてしまいそうだから、俺は進むことにした。
俺たちの別れに涙はふさわしくない。なぜなら、俺たちは互いの夢に向かって突き進むために別れるのであって、悲しい別れではなく祝うべき別れなのだから。
手にした切符を改札に通そうと手を上げた。その時だった――。
「うぉっ! 朱莉⁈」
朱莉が背後からリュック越しに俺に抱きついてきた。
「ゆうくん! 私、ゆうくんのことが好き。大好きだよ」
朱莉は抑えていた想いがつい溢れ出てしまった、といった感じで、俺をぎゅっと強く抱きしめている。
あと少しだったんだから、最後まで抑えててくれよ。俺も耐え切れなくなっちゃうじゃないか――。
俺は朱莉の両腕を解き、朱莉の方を向き直すと、朱莉をぎゅっとハグした。
「俺も、朱莉が大好きだよ」
ハグを緩めると、朱莉と目が合った。朱莉は潤んだ目をしていて、彼女はゆっくりと瞼を閉じた。
俺も目を閉じ、そして朱莉と初めてキスをした。間もなく電車が到着するというアナウンスが流れるまでの、時間にして10秒近くの間、彼女と唇を重ねた。
かけた時間は10秒でも、伝わってきた思いはその何千倍、何万倍もの時間をかけて蓄積されてきたものだった。
「じゃあ、今度こそ行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
顔を離すと一言だけ言葉を交わし、朱莉からゆっくりと離れて再び背を向け、俺は改札を通った。それからキャリーバッグを持って早歩きで階段を下りてプラットフォームへ降り、やってきた電車に乗った。
電車は空いていて、俺は二人掛けのボックスシートの奥にキャリーバッグを押し入れ、自分は通路側に座った。それと同時に電車は動きだした。
告白はしなくてよかった。俺たちはこれで良かったんだ。俺たちが結ばれる運命なら、いつかきっとその機会は訪れる。だから、今はあれで十分なんだ。
赤い夕陽に照らされた、見慣れた街の風景を眺めながら、そう考えた。
でも…………やっぱり朱莉とこの春から付き合いたかったなぁ。
そう思うと、自然と涙が零れてきた。
涙はふさわしくない、涙なんか流したくないのに……。
「……っ…………っ……くそっ……」
その後しばらくの間、涙は俺の言うことを聞かず、ひたすら流れ続けた。
(下に続く)
高校を卒業した7年後の5月、スポーツ紙にこんな記事が掲載された。
「『サッカー日本代表MF高野雄介 婚約を発表』
サッカー日本代表MFで、現在ドイツ1部リーグで活躍している高野雄介選手が先日、交際していた女性との婚約を発表した。お相手は同い年の幼馴染で、妊娠はしていないという。なお、婚約を発表したが入籍はまだしておらず、ドイツリーグが閉幕し、高野が帰国した際に入籍するとのこと。 」
(終)
夢と想いの狭間で俺たちは 星村玲夜 @nan_8372
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