第8話 残る疑問

 一度学校を出てから適当な場所で時間を潰し、夕方になってからまた学校に戻ってきた。


 最初に包丁を手に入れるべく調理実習室に向かった。


 包丁を握るのは初めてではないが、本来の目的外で使用するために握るのは初である。包丁を握ってじっと刃を見つめているとなんだか吸い込まれそうになってくる。


「いかんいかん」


 妙な気を起こさないよう理性はしっかり保たないと。


 窓の外から見える景色が徐々に暮れていく。


 あたしはあの時のことを思い出しながら、廊下であたしを待ち伏せした。


 すると……


 翔子を探しながら廊下を歩くあたしが見えた、そのあたしがこちらに向かって徐々に近づいてくる。


 ――にしても、自分で自分の姿を見るってのはものすごく気持ち悪い感覚だ。


「――ん? え?」


 そして、ようやく相手があたしの存在に気づいた。


 あたしともうひとりのあたしは付かず離れずの追いかけっ子を開始した。もともと身体能力がまったく一緒なので、こうなるのは当たり前。とは言っても、何かの拍子に相手がスピードを落とす場合だってある。そんな時はこっちも相手に合わせてスピードを落として距離を調整した。


 問題は、放課後の学校に残っている数名の生徒が、すれ違う際にあたしが包丁を持って走っていることに気づいたことだ。

 これでまたあたしの変なうわさが立つに違いない。先生の耳に入れば最悪停学とかもあり得る。


「なんか嫌になってきたわ……」


 もうひとりのあたしが翔子と合流した。この後あたしは部室に向かったはずだから、あたかもあたしを撒いたかのように思わせるためあたしは速度を落としもうひとりのあたしと距離を開けた。


 しばらく時間を置いて、今度は部室につながる廊下の先で待ち伏せ。相手が部屋から出てくるのを待った。


「何やってんだか……」


 今の自分を客観的に見れば、なんとも滑稽だ。


 あたしは一体何のために過去へと戻ったのか……


 あたしにあたしを殺す気などないと知っていればこんな厄介なことにはならなかったはずだ。


 だいたい――


 犯人の正体がつかめてないんじゃ何の解決にもなっていないじゃないか……


「ン――」


 部室から出てきたあたしがこちらに顔を向けた。バッチシ目が合ったら、勢いよく部屋に引っ込んだ。


「次は何だっけ?」


 ――たしか、扉を叩いてノブをガチャガチャやるんだっけか?


 あたしは自分の記憶を頼りにそのままの行動をとった。


 半ば大げさにドアを叩き、ノブが取れるんじゃないかってくらいがむしゃらにひねった。


 そして……


「やったー!! 本当に成功したぞ!!」


 室内から大喜びする三浦の声が聞こえてきた。


 この展開はあたしにとって初めてのものだ。つまり、あたしが過去へ跳んだ後ってことだ。


「すぅ……ふぅ――」


 大きく深呼吸して、あたしは普通に扉をノックした。


 なんやかんやあったけど、あたしはちゃんと日常を取り戻すことができた……


「はい!」


 翔子の返事。


「あたしだけど。ドア開けてくんない?」


「…………」


 カギが開く様子はない。返事もない。


 ――もしかして警戒されてる?


 もしかしなくてもそうだろう。部屋にいる3人にとっては、あたしはあたしのドッペルゲンガーとして認識されてるんだから。


 ――あー、説明メンドクサ。


「あのさ、襲わないから。ってか、過去に戻って今戻ってきたんだよ。わかる?」


 自分でもよくわからない説明だったけど、カギが外れる音がして扉が開いた。


 迎えてくれたのは三浦だった。おそらくこの状況に検討がついているのだろう。


「参考までに何がったか聞かせてくれるかい?」


「オッケーよ……」


 それからあたしは過去に戻ってからこれまでの状況をなるべく詳細に語った。


 時遡の呪法で本当に過去に戻れてしまったこと。放火の現場に向かったら犯人と鉢合わせしたけど相手の正体はわからずじまいだったこと。現場から逃走する際に知らないおじさんにぶつかったこと。それから、自分を過去に跳ばすためにドッペルゲンガーを演じてもうひとりのあたしを追いかけ回したこと。などなど――


「んで、今に至ると……」


「そゆこと」


 カレンの言葉に相槌を打った。


「なるほど。でもこれでようやく謎が解けたよ」


「は? 謎ってなんの?」


「まさか放火犯の正体がわかったの、三浦くん!?」


 すると三浦はいやいやと両手を振って否定して、


「それはさすがに無理だよ。ただ、カーテンとドミノマスクが消えたのは鳥海さんのせいだったんだなって」


「ぅん? ……あ……」


 ちょっと考えてみて、あたしにも理解できた。


 過去に戻ったときにあたしはカーテンとマスクを盗んで部屋を出ていった。その後、今日の朝になってあたしは時遡の呪法について調べるついでにそれらをここに返した。


「カーテンに焦げたような穴が空いているのは火事の現場で火の粉をかぶったせいだったってわけね」


 そういうことだ。


「それから、警察が言っていたカメラに映っていた鳥海さんというのは本当に鳥海さんだったんじゃないかな?」


「えっとつまり。商店街の防犯カメラに映ってたみな実んはみな実ん自身だったってこと?」


「じゃああれか、目撃証言ってのは、現場から逃げるときにぶつかったっていうその酔っ払ったおっさんの証言だったんじゃない?」


「なよそれ――。てことは何? 全部あたしが悪かったってことなわけ!?」


 あたしわガックリと肩を落とした。


「まあまあ、過去に戻るなんて滅多にできない体験なんだから。元気だしなよ」


 あたしの肩をポンポンと叩くカレン。


 慰めようとしてくれるのはありがたいけど、元気は出そうになかった。


「ま、とりあえず今日はもう帰りましょ」


「そうだね」


「僕もそろそろ帰るよ」


 みんな人の苦労も知らないでさ……


 けどまあ、帰りたいってのはあたしも同じ気持ちだ。


 家に帰って眠ってすべてを忘れてしまいたい。


 4人でぞろぞろと部室を出ると、廊下の窓の向こうにやけに明るい赤い光が見えた。


「なにあれ」


「パトカーだね」


 三浦の言うとおり校門の内側に一台のパトカーが止まっていた。


「なんでパトカー?」


「……もしかして、みな実んを捕まえに来たんじゃ……」


「は? なんであたしが捕まるのよ?」


「そういえばさ、放火犯の正体って不明のままなんだよね?」


「そうか! もしかして警察は覆面をかぶっていた人物と鳥海さんが共犯だと思ってるのかも」


「ちょっと! なんでそうなるのよ!」


「だって、カメラに映ってたってことは一緒に逃げてたというふうにも考えられるわけで……」


 いくらなんでも警察がそんな杜撰な答えを出すわけがない。そもそもあたしはその時間カラオケ店にいたんだから犯人であるはずがない。


「大体さ! 共犯ならあたしも一緒に覆面かぶってないとおかしいで――しょ……?」


「どしたのみな実?」


「おかしい……」


 そう、おかしいのだ。


 


 だから制服姿のあたしがカメラに映るなんてことは絶対にない。加えて、おっさんの目撃証言――これもありえない。

 だって、あの人とぶつかった時もあたしはカーテンにドミノマスク状態だった。あの時のおっさんが言った「奇術師」という発言からもそれは確かなはずだ。だから、証言者があたしを名指しするなんて不可能。そもそも知らない人なんだから仮にあたしの姿を見てもあたしを名指しすることはできないし、カーテンを纏っていたんだから制服だってわからなかったはず。だったら学校の割り出しすらできないはずだ。


 ――なにこれ……どういうこと?


 いや、そんなことよりも、このままだとあたしが捕まってしまうことのほうが問題だ。


「どうすればいいのよ!?」


「できるとしたら真犯人を見つけることくらいじゃない?」


「どうやって!?」


「さあ……」


 カレンはお手上げのポーズを取った。


「ねぇ。もう1回過去に戻って、今度こそ真犯人を特定するってのはどう?」


「それだ! ――三浦、できる?」


「え、ああ、まあ。できなくはないけど……」


「よし! だったらやるわよ!」


 そうと決まれば部室に逆戻り。


 床に描かれた模様はほぼそのまま残っている。一部消えかかってる箇所に関してはチョークで修正する。そんでもって三浦がやってたみたいに9本のろうそくをそれぞれ円と九角形の接点に立てる。


「おーおー。黒魔術に興味のない人間が熱心なことで……」


「ったり前でしょ! こっちは命かかってんだから!」


「さすがに初犯で死刑はないっしょ」


「なんでみな実んが犯人前提で話してるの?」


 まったくだ。


 取り敢えず準備完了。


 後は呪文だけど、こればっかりは自分でどうこうするのは無理だ。


「三浦、急いで!」


「う、うん」


 三浦は例の人を殴り殺せんじゃないかってくらい分厚い本を両手で広げそこに書かれた文章を読み始めた。


 しばらくすると床に描かれた紋様が青白い光を放つ。同じ……何もかもが最初のときと同じだ。


「頑張ってね、みな実ん!」


 ことの状況を見守る翔子が陣の中心にいるあたしにエールを送る。その隣に座るカレンは大して興味なさそうに明後日の方向に顔を向けている。


 ――やったろうじゃないの!!


 気合十分。


 あたしは真犯人を見つけるために過去へと跳んだ――

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