青色いぬ

猫の声がする。さっき降り始めた雨のすき間から、かすかに聞こえる。


立ち止まると、そこは仕事の帰り道、寄るのは金曜日だけにしているコンビニ。今日は水曜日なので、買い物は我慢する。駐車場がバスケットボールのコートくらいあるのは田舎ならではだろうか。


声がする方に近づいて行くと、どうやら数台置いてある自転車の影にそれはいるようだった。確かに、他にこの雨を凌げるところは無さそうである。


キャラメル色の体、黄色い目をした小さな子猫。きっとまだ雨が降り始める前にここに迷い込んでしまったのだろう。人に馴れているようで、空いている私の左手を差し出すと、濡れた頬をすりつけてきた。濡れた毛は冷たかったが、その奥に確かな温もりを感じた。


寒いね。寂しいね。


持って帰りたい気持ちは山々だが、うちのワンルームで動物は飼えないことになっている。


元気でね。小さい声で子猫に伝えて、私はまたワンルームに向かって歩き始めた。


動物は好きな方だが、野良猫に触れたのはこれが初めてだった。


子猫はこの雨を乗り越えることが出来るだろうか。ようやく上着が軽くなってきた春先の雨。もしこの雨が一晩中降り続いたら、あの子猫は寒さに凍えて死んでしまうかもしれない。


世界中には一体どれくらい子猫がいて、そのうちのどれくらい子猫が寒さに凍えているのだろう。早く私は家に帰って熱いシャワーを浴びたかった。


家の鍵を開け、ドアノブに手をかけ、どこかにあるはずの折り畳み傘を探した。好きだった人にもらった折り畳み傘は、ずっと使わずにクローゼットの奥にしまいこんであった。


傘を子猫のそばに置いてあげよう。それなら無事に、今日の夜くらい、越せるのではないか。私はもう子猫のことしか考えられなくなっていた。


折り畳み傘と、乾いたバスタオルを持って、自分の傘も広げながら私はまたコンビニに走った。さっきよりも雨は強くなっている。


コンビニについて、さっき子猫がいた自転車の方に向かった。しかし、子猫はもういなくなっていた。


反対側の道路に出てしまっていないか心配だったが、子猫はやはり見当たらない。きっと大丈夫だったのだろう。そう思うことにした。


もしあの子猫が、私の左手に頬をすりつけて来なかったら、私はここに戻って来なかったのだろうか。


ワンルームに向かって、もう一度帰ることにした。今度はゆっくりゆっくり、サンダルで水溜まりを踏みながら帰った。


寂れた駅の改札から、スウェット姿の、何より傘を持っていない、若い女性が出てきた。午前中まで晴れていたので、普段天気予報を見ない人なら無理もないと思う。降り止まない雨を見てしばらく立ち尽くした後、諦めて雨の中に飛び込もうとしていた。


「よかったらこれ、使ってください。」

私は折り畳み傘を彼女に差し出した。

「え、いいんですか?」

「いいんです。差し上げます。」


お礼を言いつつも、申し訳なさそうな彼女から逃げるように私は帰路を急いだ。


お節介だったかな。雨はもう止みそうな気がした。

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青色いぬ @pa_2

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