魔女の掟

 はああああああ……、と塔に戻ったソティアが盛大なため息を吐く。やってしまった。約束を破ってしまった。そんな言葉がソティアの頭の中を高速で駆け巡る。


 ——ソティア。人間と、必要以上に関わってはいけません。深い関係になるなんてもってのほかです。


 ——私たち魔女は、その方がずっと幸せに生きられるのです。忘れてはいけませんよ。


 幼かったソティアにはよくわからなかったが、今の彼女ならわかる。あれは、自戒でもあったのだ。……人間に捨てられた、母の。

 もちろん、自戒以外にも理由はある。そのうちの一つが、魔女の寿命によるものだ。多くの魔女は人間よりも遥かに長い年月を生きる。それは病気にかかりにくいこともそうだが、そもそも寿命が人間のそれよりも圧倒的に長い。だからこそ、同じ年に産まれた人間が老衰で亡くなる頃に、まだ二十歳前後の見た目であることも珍しくない。それが親しくなった人間が相手ならその傷はどれほど深くなるか、想像に容易い。それゆえ、魔女たちが代々伝えてきたのがあの言葉なのだ。

 一方でソティアも魔女とはいえ思春期の少女。加えて、本来その時期に目をかけてくれる母親もいない。外の世界に憧れ、興味を持ってしまってもおかしくはないのだ。


だから、


「でも、他の人にはバレてないみたいだし。ジャンは他の人と違って塔や森に偏見がないし、きっと約束も守ってくれる」


 初めてできた“友人”に浮き足立ち、魔女にとってそれがいかに大変なことであるのか、考え至らなかったのだ。聡明な彼女なら、気づけたはずにも関わらず。


 その日を境に、ソティアとジャンの交流は始まった。交流、といってもジャンは森に入ることを禁じられていてソティアは町に長居することができないため、店先で会ったときに小さく笑みを交わしたり、店が忙しい時間帯に短いやり取りをするだけ。会話とも呼べない僅かなその時間、ソティアは幸福感を覚えていた。それもそのはず、母親と死に別れてからというもの他の人との交流はほとんどしておらず、塔の中に長いこと一人だったのだ。

 名前以外に知っていることがほとんどなくても構わなかった。笑いかけてくれるだけで幸せだった。ささやかなその幸せが、ソティアの日常を彩っていた。

 そんな日々を続けること一年。いつものように混雑する時間帯にソティアが店を訪れると、店先にジャンの姿はなかった。


「珍しい。今日は“がっこう”が長いのかしら」


 魔女であるソティアに学校という概念はないが、人間の子どもは学校に通っているのだと小さい頃母親に教わっていた。ただし、ソティアとジャンは短いやり取りしかできないため、ソティアはジャンが普段何をしているのか全く知らず、実際に学校に通っているのかすら知らなかった。

 このとき、ソティアは改めて思い知らされるのだった。自分は、ジャンが店の手伝い以外をしているときどのようなことをして、どのような人と一緒にいるのか。どんな風に笑うのか――そんなことすら、知らないのだと。


「じゃあねジャン、明日は寝坊しないでよ!」

「よ、余計なお世話だ! アリス!」


 鼓膜が震え、聞き馴染みのある声に思わず振り向く。ジャンが抗議の声を上げる相手は、朗らかに笑って手を振った。その背中を見送るジャンの横顔は――


「……いか、なきゃ」


 ソティアは、無意識に口走った。

 ソティアは知った。彼の中での自分の位置を。

 ソティアは思い出した。己が歩む長くて永い旅路のことを。


 その全てに、己の心に、気がつけぬほどソティアは子どもではなかった。見て見ぬふりができる大人でもなかった。


 その日、無知で無垢な少女は、ひとりの魔女となった。

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