東塔の魔女
少女——ソティアは、魔女の母と人間の父の間に生まれた魔女である。父は母の妊娠発覚と同時に魔女であることを知り失踪、十一年間母と二人で暮らすが、ある日二人で暮らしていた小屋を襲撃されて母に逃がされ、この森に辿り着いた。耳にこびりついた甲高い悲鳴と焦げ臭いにおいは二度と思い出したくない記憶だ。
「はあ……今日の夕食はどうしようかしら。そこら辺で木の実を集めて食べるか、いや、食用の植物もこの時期なら……」
町の人々、特に店の売り子の印象に残らないように人のまばらな時間帯を避けて買い物をしているソティアだが、今日は運悪くどの店も比較的空いており例の食材屋に至っては臨時休業になってしまった。また時間を見て買い物に行こうにも、一日に何度も訪れては印象に残ってしまうリスクが増える。今日は森の食材で何とか凌ごうと、材料採取のための道具を取りに塔の扉を開いた、その時だった。
「うわっ、お前、ずりーぞ!!」
静まり返った森の中に、男の子の声が響き渡った。
なんで、どうしてこんなところに人間の子どもが。それにあの人間は、さっき両親と言い争っていたはずの……
「おいお前、話聞いて」
「黙って…ッ」
華奢な見た目の少女から「黙って」が出たことに面食らって呆然とする少年だったが、ソティアはそれどころではなく気を張っていた。辺りをぐるりと見回してひとまず他の気配がないことを確認すると手招きで少年を呼ぶ。
「……あなた、他に一緒に来ている人は?」
「いないぞ。ていうかお前こそ。一人でその塔に入ろうなんてずりーだろ」
「何よそれ、この塔は見世物じゃないのよ。用がないなら帰りなさい」
「なんで僕だけ? ていうかお前、いつもウチで買い物しに来るやつだろ。なんでお前がそんなこと」
帰るならお前も一緒に、と腕を引こうとする少年を振りほどこうとするが、子どもといえど男の子の力には敵わない。魔法を使えば何とでもなるだろうが、失敗して魔女だとバレた時が一番厄介だ。
「もう、しつこいわね……。ここに住んでるからよ」
「……、誰が」
「もちろん私が、よ。この塔に。この塔が私の家なの。わかった?」
誰も寄り付かないどころか、魔物の住処とすら言われていたその塔に、自分とそう歳の変わらない女の子が。しかも、おそらく、一人で。少年からすれば信じられる話ではなかったが、サファイアの瞳から放たれる鋭い視線に射抜かれると信じるしかなくなった。
「……悪かった。しつこくして」
「いえ、私こそ……。少し苛立ってしまったわ。ごめんなさい」
お互いに黙ったことで冷静になり、謝罪をし合うソティアと少年。彼はパッとソティアの腕を離し、気まずそうに俯いてしまう。そんな姿を見ながら、ソティアはあることを思い出す。
「ええっと、一つ聞きたいことがあるのだけど。どうして、私がいつも買い物に行っていたことを覚えていたの?」
ソティアは町の人々の印象に残らぬようわざわざ人の多い時間帯に買い物を済ませていたため、まだ十代前半であろう彼が自分の顔を覚えていることにはかなり驚いたのだ。それに、彼の返答次第では、顔を覚えられないような対策を徹底するか——場合によっては、どこかに移り住む必要も出てくる。
「ああ、お前、いつもフード被ってるだろ。この辺は旅人が多いからフードのやつは多いけど、旅人は若い男の人が多いから目立つんだ」
「じゃあ、他の町の人たちも……?」
「いや? 店先の掃除をしてた僕と違って接客でそれどころじゃなかっただろうし、そんなこと言ってなかったよ。それに、僕は人の顔を覚えるのが得意なのさ」
フフン、と自慢げに笑うジャンを他所に、ソティアは胸をなでおろしたくも頭を抱えたくもある複雑な心境だった。「怪しいやつがいると町で噂になっている」などと言われてしまえば今日の夜にでも森を発っていただろうが、旅人が若い男性ばかりなのも完全に誤算だったのだ。
「なんで急にそんなこと聞くんだ?」
「あ、その……、町の人にここに人がいることはあまりバレたくなくて。ほら、こんなところに人がいるって知られたら怪しまれるでしょう?」
だからお願い、秘密にしてて。頭を下げる彼女に、少年はしっかりと頷いた。
「わかったよ。僕もここにいることはバレたくないし、誓って言わないよ」
だからこれからも、ウチに食べ物買いに来てよ、と彼は笑う。
「あ、そうだ。僕、ジャンって言うんだ。お前、名前は?」
少年——ジャンから差し出された右手に、ソティアは戸惑いながら手を重ねる。
「私は、……ソティアよ。よろしくね、ジャン」
だが、彼女は知らなかった。今のこの選択に、いずれ後悔する日が来ることを。
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