第3話 先輩の部屋で……



 僕は現在、先輩の家と思しき建物の前に立っている。

 もちろん急に押し掛けたというワケではない。ちゃんとお呼ばれしたのである。 


 ゴクリと唾を飲みこみ、家の表札を確認する。

 そこにはお洒落な感じで『Hatsuse』と書かれていた。



(……やっぱり、ここが初瀬先輩のハウスで間違いなさそうだ)



 覚悟はしていたつもりだが、いざ先輩の家を目の前にしてしまうと、やはりどうしても緊張してしまう。

 事と次第によっては、僕は今日、大人の階段を上ることになるかもしれないのだ。

 緊張するなと言う方が無理な話である。


 正直、期待する気持ちが無いと言えば嘘になるだろう。

 しかし、僕にはまだ、先輩の巧みな攻めに耐えきれる自信は全く無い。

 そんな僕が、本当に先輩を受け入れても良いのだろうか……



「っ!?」



 先輩の家の前で悶々と悩んでいると、不意に視界が塞がれる。

 そして同時に、背中に柔らかな感触が押し当てられた。



「だ、誰でしょうか?」



「……」



 なんとか絞り出した僕の質問に、返事は返ってこなかった。

 代わりに、背中に触れた柔らかなものが、より強く押し付けられる。



(こ、怖いんですけど……)



 目隠しをしてくる相手から返事が返ってこないというのは、はっきり言ってかなり怖い。

 この手の行為は、相手が誰か推測し易いからこそ成り立つコミュニケーションだ。

 声という情報が無いだけで、犯罪の匂いさえしてくる危険な行為に様変わりしてしまっている。



「……先輩、じゃないですよね?」



 僕が恐怖を感じている最大の要因がコレだ。

 ほのかに漂う石鹸の香りも、背中に押し当てられた豊かな双丘の感触も、先輩にそっくりではある。

 でも、絶対に先輩ではないという確信が僕にはあった。



「あら? どうしてわかったの?」



 背後の女性から、初めて反応が返ってくる。その声はやはり、先輩のものではなかった。



「先輩の手は、もっとスベスベしてますから」



「なっ!? ぐ、ぐぬぬ……、確かに水仕事が多いから荒れているとは思っていたけど、それで判断されたのはちょっとショックだわ……」



 本当は背中に押し当てられた感触が先輩よりもボリューミーだったというのもあるのだが、それは言わないでおく。



「ああっ!? お母さん、何してるの!?」



 そんなやり取りをしていると、前方からドアを開ける音と、先輩の声が響いてくる。

 なんとなく予想はしていたが、どうやら背後の女性は先輩のお母さんだったらしい。



「何って、どこまでイケるかなって……」



「「何が!?」」



 先輩のお母さんの発言に、僕と先輩がハモってツッコミを入れる。

 そんな僕達の反応に、先輩のお母さんはふふふと笑ってようやく僕を解放してくれた。



「だって娘の彼氏がどんな子かって、やっぱり気になるじゃない? だから、試してみたの」



「だ、だから、何を試したの?」



「それはもちろん、娘のことをどれだけ理解しているか、よ? 良かったわね伊万里いまり藤馬とうま君、ちゃんと貴方じゃないって即答できたわよ?」



 その言葉に先輩は少し照れたような反応を見せたが、それを誤魔化すように今度は僕を睨んでくる。



「それは嬉しいけど、そんなデレデレしている人にはお仕置きです!」



 そう言って先輩は、僕のおでこにデコピンをしてくる。

 地味に痛かったのだが、残念ながら背中に感じた感触の破壊力はそれ以上だった為、僕の顔は暫くの間緩みっぱなしなのであった。




 …………………………



 …………………



 …………





「あの、先輩、そろそろ機嫌を直していただけないでしょうか……」



 部屋に招かれたのは良いのだが、先輩は座りもせず、暫し無言で僕のことを睨みつけていた。

 こればかりは僕が悪いので仕方ないとは思うが、流石に10分以上無言で睨みつけられるのはこたえるものがある。



「……私、結構怒ってます」



 先輩は10分ぶりに口を開いてくれたが、やはり機嫌は直っていないようであった。



「すみません……」



「そんなに、お母さんに抱き付かれて嬉しかったんですか?」



「いえ、決してそんなことは……いえ、正直少し嬉しかったです。はい」



 一瞬嘘を吐こうとしたが、やっぱり素直に気持ちをを吐露することにした。

 こんなことで、先輩に嘘を吐きたくなかったからだ。



「……いつも私が抱き付くと、拒否する癖に」



「そ、それは公衆の面前だからで!」



「じゃあ、今ならいいんですか?」



「えっ……」



 先輩の質問に、僕は言葉を詰まらせてしまう。

 確かに今なら人の目もないし、構わないと言えば構わないのだが、少々覚悟が足りていなかった。

 ……密室で、二人きりの状態で抱き締められて、僕の理性は果たして持つのだろうか?



「なんで即答できないんですか! やっぱり、私じゃダメってことですか!?」



「そんなことありません! むしろ大歓迎です! 最高のシチュエーションで舞い上がっています!」



「っ!? 本当ですか!?」



 咄嗟に返した僕の言葉に、先輩が勢いよく食いついてくる。

 しまった、と思ったが、誤解をされるよりかはマシだろう。

 ただ、線引きはしておかないと、後々取り返しのつかないことになりかねない。



「た、ただ、条件があります! 1分だけ! 1分だけにしましょう! それなら、僕もなんとか理性を保てるハズですから!」



「……別に、理性なんか保たなくても良いのに」



 そんな魅力的な誘惑を、僕は鉄の意思でなんとか振り払う。



「……駄目です。僕は先輩を、乱暴になんて扱いたくないですからね。それに、今日は小鞠こまりさんだっているでしょ?」



「またしても邪魔をするのですか……。お母さん……」



 先輩はお母さん――小鞠さんに恨み言を言うが、僕はむしろその存在に感謝していた。

 出汁に使ったようで、申し訳ない気持ちはあるけど……



「わかりました。1分のハグ。それで勘弁してあげます」



 それでも先輩はなんとか納得してくれたようで、僕はホッと胸をなでおろす。



「では早速」



 安心したのも束の間、先輩はただちに行動に出ていた。

 油断していた僕は、あっさりと先輩に捕獲されてしまう。



「はぁ…、藤馬君…、藤馬君……」



 そう呟きながら、先輩はまるでむさぼるように僕を抱きしめてくる。

 体が擦りあわされ、吐息が耳にかかる。



(こ、これは、想像以上にヤバイ!?)



 ダイレクトに伝わる体温と、全身に擦り付けられる柔らかい感触。

 そして耳にかかる吐息と、艶のある声が僕の脳を激しく揺さぶった。



「藤馬君…、私、本当に我慢してたんですよ? いつもいつも、こうして抱きしめたいのを我慢していました。いとおしくて、いとおしくて、胸がずっとキュンキュンしてたんです……」



 唇が耳に押し当てられ、生暖かい空気が耳の穴に入り込んでくる。

 水気のある音が響き、まるで脳が直接犯されているような、危険な錯覚を覚えた。



「ちょっ…、先輩…、いきなり、とばし、過ぎ…」



 先輩の攻めはそれで終わらない。

 柔らかな太ももが、僕の足の間に割り込んでき、挟むように刺激してくる。

 そして腕は背中と後頭部に回され、蛇のように纏わりついてきた。



(これは、本気でマズい!!!!)



 1分という時間設定は、僕には早過ぎた。

 いや……、長過ぎた!!!


 ムズムズと、そしてジワジワとこみ上げてくる快感が、徐々に下半身へと向かうのを感じる。

 逃げ出そうと思ったが、そうはさせまいと先輩の足が絡みついてくる。



「ふぁ、ちょ、本当に、不味いですって……」



 絶え絶えになる僕の言葉に呼応するように、先輩の足はどんどんと絡みついてくる。

 絡みつかれた足が熱を帯び、とろけてしまいそうだった。

 そして、そのあまりの快感に、僕の膝から力が抜ける。



「っ!?」



 体勢を崩した僕を支えきれず、先輩のホールドが一瞬緩む。

 僕はその隙を逃さず、なんとか脱出に成功する。



「す、すいませんーーーーーー!!!!!」



 そのままの勢いで、僕は先輩の部屋から飛び出した。



 ――ああ…、今日も僕は、先輩の攻めに耐えられなかっ……



「あら? どうしたの藤馬君? そんなに慌てて……」



 し、しまった。ここは先輩の家なのだった……

 いつものように逃げ出した僕だが、今日ばかりは逃げ場がないようである……



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