第18話 熱情が途切れる瞬間


 己を拒絶したシオンに、何と言って声をかければ良いのだろうか。

 理由が分からず彼は非常に困惑した、だがそんな中でも理解出来る事がある。


(――シオンは今、悲しんでいる)


 キスしたその時までは、とても良い雰囲気だったと思える。

 このまま自然に夫婦として繋がれる、その筈だった。

 だが今の彼女は、何かに気づいた様に驚き、そして傷ついた瞳をしてた。


「そ、そうですもう一度っ、今のは何かの間違い、そう間違いなんです、だから、だからもう一度――――っ」


「……無理すんな、また日をあらためれば良い。寒いなら抱きしめてやるから、ほら」


「嫌っ! 嫌です近づかな――違うっ!! 違う違う違うっ!! わた、私、私はぁ!!」


「シオン……」


 差し出された手を拒絶し、嗚呼、とシオンの瞳に悲しみの色が深まる。

 銀の髪が揺れ、体を守る様にまとわりつく。

 ――少なくとも、省吾にはそう見えて。


(それでもさ)


「いやぁ……、いや、だめ……なんで、なんで優しくするんですかぁ……」


「お前が悲しんでいる様に見えたからな」


「だめ……だめ、だめなんです、こんなわたし……」


 強引に抱きしめられシオンは力なく抵抗するも、力強いその腕に、その温もりに縋りついてしまって。


「残酷です、残酷なんですよ省吾さん……嗚呼、だめ、なんです、幸せだから、だからだめなんです、離して、ください、おねがいですからぁ……」


「今のお前を離せるワケねぇだろ、落ち着くまでこうするからな」


「ぁ―――― なんて ―――― ざんこくなひと でしょう ――――」


 涙が溢れる、シオンの中でギリギリまで堰き止めていた堤防が決壊する。

 心が、溢れ出る。

 焦点の定まらない目で、彼女は語り出した。


「…………ねぇ省吾さん、私は本当に……貴男を愛しているのでしょうか」


「……言ってみろよ」


 か細く、震える声、しかし奥には狂乱する何かがある。

 省吾はそう感じて、抱きしめる腕に力を込めた。

 でもシオンには、拘束の息苦しさより彼の心遣いに苦しくなって。


「幸せなんです今、とても……幸せなんです」


「じゃあ何で嫌って言ったんだ?」


「――――ティムは、こんな風に優しくしなかった」


 その言葉に、省吾は何も答えられない。

 だって散々言ってきたのだ、己はティムでありティムではない、と。


「そう、そうです、省吾さんの言うとおりでした……貴男はどうしようもなくティムで、でも省吾さんで、ティムではない、かつての私の愛したティムでは、ない…………」


「……」


「もし省吾さんが真の意味でティムであったなら、ええ、きっとキスなんてしなかった、私を、お嫁さんとして受け入れなかった。分かってたんです、ティムにとって私は…………妹でしかなかったと」


 もしティムが生きていて、静かな土地で二人で暮らしたとして。

 そうであるならば、女として見て貰う事が出来たのではないか。

 しかし現実はそうじゃない、あの時に彼は死に、シオンは空虚な愛を抱えて長年さすらっていた。


「違う、違うんです、省吾さんは私が愛したティムじゃない、ティムじゃないんです、だからキスなんてしないしセックスなんてしないんです」


「…………俺の想いは迷惑だったのか?」


「違うんです、それも違うんです、――嬉しかったんです、とても、キスした瞬間とても幸せで……」


「じゃあ何でだ?」


「私が、――――私が、違うんです」


 しっかりと紡ぎ出された言葉は、それが故に省吾に深く突き刺さった。

 彼にとって、シオンはシオンで、かつての仲間で妹分だったティーサである。

 いったい、何が違うのであろうか。


「…………貴男が、省吾さんが、ティムと同じで違うからこそ、私は気づけなかったし、気づいてしまったんです」


 彼の唇が己の唇と合わさった瞬間、シオンは気づいてしまった。

 ――熱情が途切れる瞬間とは、きっとああいう時を言うのだろう。

 今、彼女の中には狂気にも似た絶望が荒れ狂っていて。


「幸せです、今、こんな瞬間でも幸せなんです省吾さん、…………愛してます、愛しているんですっ!! 嗚呼、だからこそ違うっ、違うんですっ!! うふふふふふっ、あははははははははっ、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼っ! なんて滑稽なんでしょうかっ、こんな事に今まで気づかなかったなんてっ!! ははははっ、あはははははははははははははっ!!」


「シオ、ン…………ッ!?」


 狂った様に嗤う彼女の瞳は、怒気が籠もり殺意すら感じられる。

 その迫力に、省吾は気圧されるどころか逆に強く、強く抱きしめて。

 今、彼女を離してはいけないと本能が訴えているのだ。


「ずっと私は逃避していたんです、ティムの死が受け入れられなくて逃げ続けていたんですよっ!! 

 ああ、間違っていた私は間違ってしまったっ!!  ――――省吾さんともっと違った、普通の始まりで普通の幸せの始め方があったっていうのにっ!!

 だからダメなんです私はっ、私はダメなんですっ!!



 私はティムのティーサじゃない、とっくの昔にティザ・ノティーサ・カー・ジプソフィラは死んでいたんですよ省吾さんっ!!



 そうです、省吾さんがティムであり、省吾さんとして産まれたからこそティムじゃないようにっ!!

 私は貴男にシオンと名乗ったその時からっ!! ティーサじゃないんですっ!! 貴男が好きになってくれた、愛して、抱こうとしたティーサじゃないんですっ!! あはっ、あははははははっ、ああ、なんで気づかなかったんでしょうかっ、今の私は抜け殻、ティムを愛していたティーサの抜け殻、貴男を探すという目的から産まれたティーサの残滓、シオンという名の偽物なんですっ!! でも愛してしまった、貴男を愛してしまった、愛してしまったからこそ許せないんですっ!! 許せない、許せるものですかっ!! 貴男が愛するのが空虚なニセモノだなんてっ!! 愛しい貴男の人生を歪めてしまった人形が幸せになるだなんんて――――」


 省吾の顔を掴んでケタケタと嗤うシオン、その顔は罪悪感という涙で濡れ、憤怒という笑みで彩られ。


(それでも俺はッ)


 抱きしめる事を止めなかった、省吾は、歯を食いしばって抱きしめ続けた。


「――――嗚呼、嗚呼、嗚呼……省吾さんを見つけなければ良かった、出会わなければ良かったんです、こんな私なんて旅の中で野垂れ死にすれば良かったんですよ」


「でも、……お前はここに居る」


「だからこそ、許せないんです。――――ねぇなんで省吾さんは省吾さんなんですかぁ? あはっ、あはははははははははっ、殺したい、殺したいんですっ、この苦しみから逃れるには貴男を殺すしかないんですっ、貴男の愛を守るために殺すしかないんです、でも、でもダメなんですっ!! 嗚呼、私は狂ってしまいましたっ! 省吾さんを愛してるのにこんなに殺したいっ!! でもダメなんですそれこそ許せない私は死んでも許せないっ!! だから私はダメなんです貴男を殺すくらいなら私は死にたい、今すぐ死にたいのに私の中のティーサが、そして貴男への愛がそれを許さないっ!! 私の事で省吾さんが悲しむなんてあってはならないっ!! 絶対に、あってはならないんですよっ!!」


 殺したいのに殺せない。

 死にたいのに死ねない。

 自己の崩壊に、自己の矛盾に。

 省吾への、そして自分への、愛と憎悪の狭間でどちらも選べず狂っていくシオンの姿に。


(綺麗、だ――――)


 浅野省吾は今、人生最大の美を感じていた。

 はらはらと涙を流し、今まさに壊れゆくダークエルフに。


(誰かに)


 こんなにも愛された事があっただろうか。

 愛に生きて、愛故に壊れて、愛故にどうにもならなくて。


(コイツは今)


 きっと、省吾が全てを握っているのだ。

 英雄と呼ばれる程に、圧倒的な力があるにも関わらず。

 頬に添えた手を首にずらしただけで、普通の人間である彼を即座に殺せるというのに。

 ――――シオンは、省吾の答えを待っているのだ。


(俺は果報者だな、こんなに愛されてるなんて)


 それが故に、言葉一つでどちらかが死ぬ。

 しかし省吾の心は澄み切っていて、だってそうだろう彼はもう決心したのだ。

 だから。


「………………お前バカだろ、難しく考えすぎなんだよ」


「――――――――………………ふぇっ?」


 ガシャン、とガラス窓が割れる様に緊迫感が消えた。

 熱情が途切れる瞬間とは、こういう事を言うのだろうか。

 シオンは言われた言葉の意味が分からず、きょとんと目を丸くする。

 そんな彼女の頭を、彼は優しく撫でて。


「つーかさ、お前ちょっと愛という事に対し潔癖過ぎじゃねぇ? 抜け殻だ残滓だつっても、俺と違って転生したワケじゃねぇし本人じゃん。……間違ったと思うならさ、やり直せば良いだけだろ」


「えっ、あれ? 省吾さん?」


「俺はティムでありティムじゃねぇ、そしてお前はティーサでありティーサじゃなくシオン。うん、ある意味で釣り合いが取れてるんじゃねぇの?」


「ちょっと省吾さんっ!? はいっ!? 私の葛藤とか全部切り捨ててませんっ!?」


「いや切り捨てるだろ、――お前さ、良く考えろよ?」


 ゴゴゴ、と音が聞こえそうな怒気混じりの言葉にシオンは目を白黒させる。

 さっきまでの空気はどうなった、あれは愛の先に、離婚とか破局とか通り越して生きるか死ぬかの雰囲気だった筈だ。

 それが、どうして。


「イチャイチャして良い感じの前振りでいざセックス開始って臨戦態勢の時によ? なんだお前、くっそ重くて面倒くさい理論並べてお預け? それは無いだろ」


「理由は性欲っ!?」


「ま、それは半分冗談としてだ」


「半分は本当なんですっ!?」


「あったりまえだろ、んでだな…………。これから先にお前が選べる選択肢は二つだ」


 指を二つ立てて、にっこり笑う省吾。

 シオンは妙に嫌な予感に駆られたが、いつの間にか左手首をがっしり掴まれていて逃げられない。


「そ、その……二つとは?」


「俺が思うに俺達の関係の手順をすっ飛ばしたのが問題だろ、なら恋人からやり直すか……」


「もう一つは?」


「それが嫌なら、今すぐに強引に抱くぞ。例えるならエロマンガかエロゲーの様に、純愛ルートから調教ルートとかに切り替える。――俺はお前と離れる気は無い」


「ふええええええええええええええええええええっ!?」


「あ、嫌か? ならとっとと脱げ……いや待て、折角だからアダルトショップで色々買ってくるから脱いで待っとけよ」


 これダメだ、さっきとは違う意味でこれはダメだとシオンは確信した。

 純愛かエロマンガ的なアレか、己の意志で選ばないといけない。


「純愛っ!! 純愛ルートでお願いしますっ!! はいっ! 私は自分の事ばっかりで省吾さんの気持ちを考えてませんでしたっ!! ちょっと処女拗らせて手順すっとばして夫婦になった事で心と体が追いついていませんでしたっ!! 是非っ! 是非とも夫婦ですが恋人としてやり直させてくださいっ!!」


「…………うむ! よろしい!」


「はいっ! これからもよろしくお願いしますぅ!!」


 感情がぐちゃぐちゃになって、涙で叫ぶように答えたシオンであったが。


(…………ありがとう省吾さん)


 彼は夫として、ティムとして、そして何より省吾という一人の人間として。

 シオンという彼女から逃げずに、負けずに、当たり前の関係を、普通の幸せを与えてくれたのだ。


(私はまだ、ティーサの抜け殻のシオンのままだけれど……)


 きっと、シオンという一人のダークエルフに、省吾の妻になれるという希望が見えた。


「そうだ、罰としてアダルトショップの通販でお前が使って欲しいエロアイテム何か買っておけよ。いずれ絶対に抱くからな」


「~~~~~~~~っ!? ちょっと省吾さんっ!? うううううううううううっ、わ、分かりました選んでおきますからねっ!!(これ絶対に根に持ってるヤツですっ!?)」


 同じ事を繰り返したら、ある意味でダークエルフよりダークエルフらしい愛を受けることになるのかもしれない、とシオンは省吾に戦慄するのであった。


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