第7話 ダークエルフ種の愛情



 ――時は夜半に遡る、宣言通り抱き枕にされているシオンの胸中は今。

 歓喜で溢れかえり、荒れ狂っていて。


(省吾さん省吾さん省吾さん省吾さん省吾さん省吾さん省吾さん――――)


 やっと、やっと悲願が叶ったのだ。

 彼がティム・ヴァージルと呼ばれる英雄だった時から、否、一介の騎士であった時から。

 ずっと、想いを寄せている。


(離さない、もう二度と離れない。私とこの人を、嗚呼、どんな事があっても)


 この時代に彼が生まれ変わったのは、運命だったのだ。

 ノティーサと再び出会う為に、神が与えてくれた奇跡。


(省吾さん、この平和な時代でようやく私達は……)


 キスをされて、飛び上がるほど嬉しかった。――それが唇でなかった事が残念だったが。

 抱きしめられて、全身が溶けてしまう程嬉しかった。――その暖かさは、ティムのそれと少し違ったけれど。

 可愛らしいと耳元で囁かれ、どれ程に歓喜したか。――その言葉はもっと早く聞きたかったけれど。


(~~~~っ!? わ、私は何を……っ)


 おかしい、変だ、自分の気持ちがチグハグに感じる。

 こんなに嬉しいのに、こんなに待ち望んでいたのに、確かに愛しているのに。


「――――あはっ」


 乾いた笑い声が喉から漏れた、こんなに近くに居るのに。

 今も背中にその心臓の鼓動を聞いて、己の体はこんなにも安堵しているというのに。


(釦を掛け違ってしまった気分は、何なんでしょう?)


 寒い、身も心もこんなにも暖かいのに。

 どうして、こんなに寒いのだろうか。

 シオンは省吾を起こさぬ様に、そっと腕の中から抜け出す。


(安心しきった寝顔……、ずっと、ずっと見たかったの)


 でも、何かが違う。

 心のどこかで叫ぶ、違う、違うと叫ぶ、認めてはいけない、認めてしまえば終わってしまう。

 その反面、見つめれば見つめる程に胸に甘いときめきが走る。

 唇を奪いたい、首筋に顔を埋めたい、甘やかしたい、その瞳に己だけが写れば良い、二人の世界に他には何も要らない。


(私の省吾さん、私だけの、省吾さん。私だけの男、夫、運命のヒト)


 くつくつ、くつくつと臓腑の奥からくすぐったい快楽が這い上がってくる。

 シオンは省吾の枕元にしゃがむと、彼の髪をそっと撫でて。


(母さんが言ってたわ、ダークエルフにとって闇は危険だって。愛しい人と閨を共にしたら、決して一人で起きていない様にって、嗚呼――それは、こういう事なのねっ)


 六畳半の狭いアパート、その静謐な夜の闇に銀の髪が揺らめく。

 真っ赤な瞳が爛々とねっとりとした熱情と共に、省吾に絡みつく様に見下ろす。


(省吾さんは、私だけのモノ)


 ダークエルフ種の愛情、それは執着と独占が強く出る。

 生粋のダークエルフであるノティーサも、例外ではなく。


(――――あの時は出来なかったの、だってティムは私を庇った傷が原因で死んでしまったから)


 折角、故郷に二人の部屋を用意していたのに使われる事は無く。

 でも今はこの狭い安アパートの一室こそが、王侯貴族が使用するどんな豪華な部屋よりも己に相応しく思えた。


(あはっ、あははははははっ、ねぇ、ねぇ省吾さんっ、貴男は知っていましたか? ダークエルフが暗くて狭い洞窟を好むって。この部屋は――私が思い描いていた愛の巣そのものだって事をっ)


 間違いなく偶然だろう、だって彼はシオンを結ばれる事なんて砂粒の欠片程も考えてはおらず。


(誘ってる……誘ってるんですよね省吾さん? 嗚呼、嗚呼、嗚呼、なんていじらしい人……。こちらの人間になってから、省吾さんは誘い受けになった私好みの、種族の差を気にせず、無意識に私を誘う――)


 どろり、と欲望というなの蛇がシオンの中でとぐろを巻く。

 衝動が今すぐ行動しろと、全身を責め立てる。


(この部屋に閉じこめて、ずっと、ずぅーーっと私がお世話するんです、蛇の交尾の様に身も心もドロドロのぐちゃぐちゃになるまで解け合って、二人の愛の結晶が出来るまで)


 つまりは、……ハネムーンだ。

 蜜月の準備をせねばならない、始祖から伝わる本能がシオンを突き動かし。


「はい、あーんです省吾さんっ」


「…………おう、美味しいぞシオン」


 赤ちゃんの様に世話をされながら、省吾の心中は後悔の念で満ちている。


(俺のバカッ、日頃から生徒に注意してるってーのに俺がトラブル起こしてどーすんだよおおおおおおおおッ!! そりゃあ、補食性癖のあるアラクネ種族や。亜空間に拉致するヴァルキリー種族よかマシだけどさぁ!!)


 これはヤバい、主に失職の危機という意味で。

 具体的には教師にあるまじき行為という意味ではなく、下手を打つと二度と社会に戻れないという意味である。


「あら、スマホが気になりますか省吾さん?」


「ッ!? い、いやぁ、実は――」


「もしや、誰かに連絡を取ろうとしてます?」


「まままま、まっさかー。単にソシャゲのイベントが今日からだからさ。せめてログボだけでも受け取っておこうかなーって」


 今はシオンの一挙手一投足が恐ろしい、チラリと見ただけでも敏感に察知して釘をさしてくる。


(壊されるッ!? マジ勘弁ッ、スマホだけは勘弁してくれッ!! 万が一の助けも呼べないし――――、微課金勢とはいえ長年やってるゲームがあるんだよッ!!)


 彼女の手が省吾のスマホに延びる、それをごくりと唾を飲み込みながら祈るように見守るしかなくて。


(気づくなよ……気づくなよ……大人しくスマホに注目しとけよ……)


「ふふっ、そんな顔しなくても壊しませんよ。でも、二人っきりなのに無粋だとは思いません? だって全部一人用のゲームですよね?」


「あ、ああ、そうだなお前と一緒にするには向かないゲームだな」


「そこで、ですっ!! 省吾さんの代わりに私がイベントを走っておきます!!」


「成程、それは助か――――今なんて?」


「安心してくださいっ、たかがデータに嫉妬して破壊するようなみみっちぃ女じゃありませんっ!! むしろ内助の功っ!! 私のお金でガチャも当たるまで引きますし、課金アイテムじゃぶじゃぶでイベントを即日完走してみせます!!」


「マジでッ!! じゃあもうガチャ代なんて気にせずに回して良いのかッ!!」


 省吾は、即座に万歳して喜んだ――フリをした。

 ガチャ回し放題に喜ぶのは、あくまでフェイク。

 

(よし、この首輪に鍵は無いッ。なら脱出の目はあるッ!)


 正直、心が揺れた事は確かだが。


「うへッ、ゲヘヘヘッ、これでSNSでマウント取り放題だぜッ!!」


「ええ、これからは妻である私のお金で思う存分ガチャを引いてくださいねっ。よっ、世界一のヒモ男っ! こんなに幸せな人はそう滅多にいませんよっ!!」


 となると、シオンがどこまで甘やかすのか興味が出てくる。

 満更でも無い顔をして、省吾は問いかけた。


「じゃあさじゃあさ、……一昨日やった小テストの採点なんかも――ああいや忘れてくれ、これは俺の仕事だ教師として生徒に任せる事なんて出来ない」


「もー、誰も見てないんですから堅いことは言いっこナシですよっ。それもぜーんぶっ私が代わりにしちゃいますっ!!」


 ならば。


「ええっ、なら今日はだらだら二度寝して。起きたら夜までマンガ読んだり映画見放題なのかッ!?」


「今日だけじゃありませんよぉ~~っ、省吾さんはこれから毎日この部屋で好きなことをして過ごして良いんですっ!! あ、なら辞表……はいきなりですね、休職願でも書いておきますっ」


「うおおおおおおおおッ、毎日がホリディ!! 何も気にせず引きこもって遊び三昧ッ!!」


「今なら永遠にピチピチの若さを保つ褐色巨乳の美少女も好き放題ですっ!!」


「よっしゃああああああああッ、って言うと思ったかコンチクショウ!! やってられっかそんな生活ッ!!」


 勢いよく立ち上がった省吾は、その場ですぱーんとシオンの頭をはたいた。

 彼女はきゃっと軽く驚いた後、むむむと唸って睨み。


「なんで叩くんですかっ!? これから私と省吾さんが何をするか理解してるんですかっ!?」


「理解してるから言ってるんだッ!! ハネムーンだろ強制ハネムーンッ!! テメェらダークエルフの悪名高い人生の墓場へ特急行きハネムーンは、人間にとって毒だっていい加減に理解しろよッ!!」


「なんです毒ってっ、ちょっと私だけを強制的に見れなくして、少しだけ私が隣に居ないと生きていけない様に心と体に刷り込むだけじゃないですかっ!!」


「それがダークエルフの悪癖だって言ってんだよッ!? そりゃあヒモは全人類、もとい全種族の男の夢かもしれないけどなァ! まともに社会生活送って奥さん養うのも男の夢なんだよ!!」


「この時代に古くさいですよ省吾さん?」


「古くさくてどうしたッ! 仮にお前が稼ぐから俺に主夫になれってんなら話し合いの余地はあるがなぁ……どうみても拉致監禁からの調教だろうがッ!!」


「いえいえ、拉致はしてませんからセーフですっ」


「アウトだよどう見てもッ!! 俺を堕落させようとしたってそうはいかねぇぞッ」


 そうだ、男としての矜持が、沽券が、生物として自由を求める魂の叫びが。

 いくら愛とはいえ、物理的な束縛から逃れろと省吾を奮起させる。


「――――では、どうするつもりですか省吾さん。力で私に勝てるとでも? 六大英雄である私に? 勘違いしてませんか? 省吾さんには、もう戦う力は無いでしょう?」


「ふッ、誰が力で勝つって言ったよ」


「ふぅん? さては省吾さん誘ってますね? 無益な抵抗をして叩きのめされて、私に愛する人を蹂躙する快楽に目覚めさせようとしてますね、げへへっ」


「その発想が心底怖いんだけど?」


「ではお手並み拝見といきましょうか――」


 じゅるりと涎を飲み込み、両手をわきわきさせて近づくシオン。

 省吾といえば、意を決して一歩踏みだし。


(ったく、こんな形でするとは思わなかったが)


「――えっ?」


「目、閉じろよ」


「っ!? か、かお近――――ぁ…………ん――…………んんっ?」


「――――ほいよ、魔法がかかってなくて助かったぜえええええええええええええええええ!! じゃあなあああああああああああ!!」


「なっ!? 私の首に首輪っ!? って待ってください省吾さん足早っ!? ティムの時より早くありませんっ!? じゃなくて追わないとっ!!」


 省吾はキスでシオンの気を反らし、さらには己の首輪を彼女にし返すという二段構えで気を引き。

 見事、部屋からの脱出を果たした。


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