第3話 記憶の連続性
(早まったかなぁ……いやでも、こういうのは早めに確認しておかないとトラブルの元だし)
夕刻、いつもより少し早く仕事を切り上げ省吾はアパートに帰ってきた。
だが、扉を開ける手に躊躇が走り。
ティザ・ノティーサ・カー・ジプソフィラ氏族。
それが彼女の本当の名だ、異世界セレンディアにおいて広く知られる邪神討伐の六大英雄の一人。
(……確か、花の名前って言ってたよな。こっちの世界では紫苑の花がそれに当たったって感じか?)
故に、シオン・ジプソフィラ。
向こうの世界でビックネームである彼女が、今更この日本の高校で何を学び直すというのか。
それは、彼女を見かけたときからの疑問であり。
(俺はもう――戦いになんて行かないッ、誰が世界の為に戦うもんかッ!! そりゃ世界の為に戦った事も、それで死んだ事も後悔は無いけどさぁ……)
同じく六大英雄と呼ばれ、戦って戦い抜いて、邪神への最後の一撃と引き替えに戦死した前世。
その、唯一の不満点と言えば。
(せっかく生まれ変わったんだしッ、俺は平穏に生きたいんだッ!! テキトーに稼いでその金で遊ぶッ!! 女の子と遊ぶッ!! 読書したりゲームしたりして自堕落に過ごすんだッ!!)
――日々の潤いが足りなかった、そういう事だ。
そもそも邪神討伐の後は、全財産を持って遠い地で青春をやり直すつもりだったのだ。
奇しくも、生まれ変わってそれが叶ったのだから。
(よし言うぞ俺は言うぞ。アイツとの関係はもう切れないだろうが、せめて戦う事だけは回避しないと)
決意は十分、省吾はドアノブを回し。
「おかえりなさいアナタっ、食事にする? それともお風呂? それとも……私っ?」
「エプロン一枚だけじゃ風邪引くから服を着ろ?」
「ええ~~っ、そんな折角スタンバイして待ってたのにっ!? つれないですよぉっ!?」
「はいはい、服着たら言えよ外で待ってるから」
「裸エプロンに動揺ひとつ見せない上に省吾さんの省吾さんがスタンダップすらしてないっ!?」
ばたんと閉じられた扉に、シオンとしては素直に服を着るしかない。
こういうのが男の夢、ロマン、他ならぬ省吾もそうで即座に押し倒される予定だったのだが。
「んもう~~、それで寝物語に例の話を聞こうと思ってたのに。まぁ仕方ありません、切り替えていきましょうっ!! ――もう良いですよ」
「はいよ、ったく……シリアスな話をする予定だって分かってんだろうが。普通にしておいてくれよ」
「大好きな気持ちが押さえきれないんですっ、さあさあ、背広は私が。うーん、新婚さんっぽくないですかコレっ!!」
「お前本当に向こう生まれのエルフ種か、現代日本に染まりきってないか?」
「そりゃあ染まりますって、そもそも最初にこっちに足を踏み入れたセレンディア人は私ですもんっ」
「ああ、なら仕方な――――は? テメェ今なんて言った?」
着替える手が止まる、何か今、信じられない様な台詞が飛び出なかっただろうか。
「いやほら、あの時に邪神を倒した場所って時空間すら歪む重度の汚染地帯になってたじゃないですか」
「確かに、邪神の所にたどり着くまで大変だったみたいだな。事前に何百という結界魔法が一瞬で壊されるし、ミスリルで出来た大盾が何個もダメになったからな。――ったく、結局正面から行くのを諦めて地下から穴掘って進むしかなかったし」
「あの時は大変でしたよねぇ、邪神を倒したあと何百年もその影響が残ってましたし」
「あー、つまりお前はそれを監視でもしてたのか?」
「いえ、懐かしさに立ち寄ったら時空の壁が壊れかけていて。そこから世界崩壊が始まりそうだったので、いっそのこと全部壊して繋げた方が安定するかなーっと」
「それで高尾山と地続きになったのか……」
成程と、スエットに着替え省吾は振り向いた。
するとそこには、じぃっと彼を見つめるシオンの姿が。
彼女は、じっとりと湿った重々しい声で。
「――――覚えてるじゃないですか」
「お、おい?」
「なんで、なんでなんでなんでなんでなんで――――」
その目は爛々と輝き、驚喜とも狂気ともつかない笑みで口元を歪め。
端的に言って怖い、ホラーである。
だが、それに臆してはいけない。
省吾には、言わなければいけない事があるのだ。
「待て、先ずは俺の話を聞け」
「…………聞きましょう」
「ならば言わせて貰う。――――俺はもう二度と戦わない。今度はどんな敵が迫ってきてるか知らないが、俺は戦いに出ない。戦力として見てるならお生憎様だな、他を当たってくれ」
「………………はい?」
「うん?」
「えっと、あの……」
「なんだシオン、もう一度言うぞ。――俺は戦わない」
ヨレヨレのスエット姿でキリっと宣言する省吾に、シオンは心底不思議そうな顔をして。
「敵なんて居ませんよ?」
「は?」
「え?」
「…………」
「…………」
「は?」
「え?」
奇妙な間が流れる、どういう事なのだろうか。
シオンが省吾の側に居た意味、それは世界の危機が迫っているからではないのか。
「待て、じゃあなんでお前は転生した俺の側に現れたんだよッ!!」
「なんでって、省吾さんが前世で言ったんじゃないですか『生まれ変わったらお前の様な美しい女と青春をやり直したい』ってっ!! あれから私、ずぅ~~~~っと、ずぅ~~~~~~~~っと! 世界中を旅して生まれ変わってるのを探してたんですよっ!!」
「はぁッ!? ちょっと待てよティーサッ!? じゃあ何か? お前今の今までずっと俺のストーカーしてたのかッ!? まさかこの結婚だって――――」
「あ、それはマジで偶然です。面倒見てた子の結婚式に呼ばれ、私も恋人が欲しい結婚したいなって深酒した結果です」
「そこは計画通りとか言えよッ!? つーか何か? 今の状況は偶然なのかッ!?」
省吾としては衝撃の真実に、開いた口が塞がらない。
二度と戦わないという決意は何だったのか、警戒していた自分がバカみたいではないか。
そんな感情を悟ったのか、シオンも口を尖らせる。
「こっちだってっ、もっとロマンチックな恋愛を夢見てたんですよ!! 側にいて記憶を取り戻せば、私に気づいてくれるってっ!! 記憶があるならもっと早くに言ってくださいっ! どれ程に私が待ち望んでいたか…………」
「そうは言うがなお前…………――――いや待て、ちょっと待て」
うーん? と省吾は盛大に首を傾げた。
とてつもない事実を見落としていた気がする、それにより好感度の高さも、結婚を受け入れたのも、聖婚まで結んだ事も納得が出きる。
彼は、恐る恐る問いかけて。
「…………その、なんだ? もしかしてシオン、お前って昔から俺の事が好きだった……とか?」
「はぁっ!? 今更気づくんですかっ!? 前世から分かってたとかじゃなくてっ!? 今っ? 今なんですかっ!?」
「…………すまん」
「謝らないでください惨めになりますっ!! そりゃあ、実は女として見てくれてないんじゃって思ってましたけどっ、思ってましたけどもっ!! 事実を突きつけられると泣きそうですよ私っ!!」
しゃがみ込み、真っ赤な顔を両手で隠すシオン。
省吾は側に寄って座ると、その頭をよしよしと撫でる。
「前世の俺は鈍くて悪かったな」
「……何を他人事みたいに言ってるんですかぁ、どっちも同じ省吾さんでしょう?」
「その話だがな」
追い打ちをかける様で気が進まないが、言わなければならない。
「……確かに俺は前世でお前達と共に戦って死んだ記憶がある。六大英雄の一人、『勇気ある者』ティム・ヴァージルとしての記憶がな。――でもそれはあくまで記憶なんだ、何処かの誰かの一生の情報、俺の前世はティムだ……でも、別人なんだよ」
「つまり、時を経ても結ばれる運命だった?」
「ポジティブ過ぎるッ!? いや聞いてた? 俺は確かにティムという男の延長線上で記憶は連続してるけどさ、顔も人種も住む世界も体格も性格だって違うんだよッ!!」
「一粒で二度美味しい?」
「どっから出てくるんだそのポジティブシンキングッ!?」
「物事は明るく捉えろって、ティムが言ったんじゃないですか」
「俺の所為だったッ!? つーか別人だって言っただろッ!! お前が愛してるのはティムだろうがッ!!」
「ああ、もしかしてそれが悩みです?」
「もしかしなくてもそうだよッ!! だからお前に会っても言わなかったんだよッ!! お前だって名前変えてるしッ!!」
うがーと叫ぶ省吾に、シオンはさも当然と真顔で答える。
「だって私は六大英雄の一人として有名ですし、トラブルを避ける為にも偽名を使うのは当然ですよ。それにあながち偽名とも言えませんし」
「あ、やっぱシオンってティーサの名前の由来と同じなんだ」
「こっちにも同じ花があったので、というか覚えてませんか? 三歳の頃の省吾さんが、紫苑の花を私に差し出してお姉ちゃんの花って言ってくれたんじゃないいですか」
「何それ記憶ねぇよッ!? お前いったい何時から俺の側にいるのッ!? 超怖いんですけどッ!?」
すると、シオンは素直に白状した。
「生まれたその時からですよ、義母さんが出産する前から魔法を使ってすぐ側で見守ってました」
「ホラーだよッ!? どんだけ重いんだよお前ッ!? 前世から追いかけてきたとかさぁ!! 俺がお前に気づかなかったらどうしてたんだよッ!!」
「え、それは時間が解決しますよね? 今世はダメでも来世で、ええ、それとなく記憶を呼び覚ます長期計画だってありましたし」
「これだから長命種はッ!! それで邪神に滅ぼされそうになった事を忘れてるんじゃねぇよッ!!」
「えへへ、私たちエルフ種の悪い癖ですねっ。ところで話を戻しますが、私から見ればティムも省吾さんも同一人物なんで安心してください!」
「えぇ…………」
にこやかに言い切ったシオンに、省吾は頭を抱えた。
つまりは平行線、省吾が割り切ればそれでハッピーエンドという気もするが。
はぁと溜息を一つ、彼は大の字に寝ころんでぽつりと切り出す。
「…………取りあえず約束しろ」
「はい、良いですよ? 何でも言ってください!」
「卒業するまで、今住んでる家に住め。俺の部屋に自由に来て良いから教師と生徒という区別は守らせてくれ」
「つまりは通い妻ですねっ!」
「押し掛け妻じゃねぇの? そしてもう一つ、これも卒業までだが…………お前に手は出さない、セックスも子作りもしない」
「そんなっ!? 生殺しなんてヒドいっ!? 私のドロドロぬちゃぬちゃな愛欲に満ちた学生新婚生活は何処へっ!?」
「残念ながら行方不明だ、ああ、勿論ちゃんと卒業したらだぞ。自主退学したらそのまま別居だから」
「逃げ道を塞がれたっ!? くぅ、こうなったらトコトン誘惑してやりますよっ、省吾さんが獣の様に求めてくる様に誘惑しちゃいますっ! そっちから手を出すのは約束の外ですもーーんっ!!」
「あッ、テメェ何処触ってやがる!? おら退け乗るな触るなぁ!!」
わーわーきゃーきゃーと、傍目から見れば熱愛中の恋人達がイチャついている様な攻防の最中、省吾のスマホがポケットから落下する。
「いえーい、省吾さんのスマホゲット!!」
「ああッ!? 返せッ、返せよシオン!!」
「ふふふっ、私の番号とアドレスを最愛の妻として登録しちゃいま…………あ゛あ゛ん゛?」
「何いきなりドスの利いた声を――――ヤベッ」
その瞬間、省吾の顔は真っ青になった。
まるで浮気がバレた夫の様に、否、ある意味ではそのものである。
シオンが持つ彼のスマホ、そこに表示されていたのはメール、一通のメールだ。
だが、それは。
(予約してた風俗の確認メールうううううううううううううううううッ!? なんでこんな時にッ!? しかも急遽閉店したからキャンセルとかッ! またかまたなのかッ!!)
――――実の所、省吾は童貞であった。
勿論の事、素人童貞でも無い。
何処に出しても恥ずかしい、純潔な童貞であった。
不思議な事に、風俗に行っても毎度毎度トラブルが発生して店にたどり着けない。
今回の様に、ネット予約をしても徒労に終わる事も珍しくない。
だが、今はそんな事は問題じゃない。
「し、シオン? お前泣いて――――」
そう、シオンはぽろぽろと涙を流し始めて。
褐色の頬を伝い、涙滴がスマホの画面に落ちる。
(どーすりゃ良いんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?)
省吾の今世において、最大級のピンチが訪れたのであった。
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