第4話 スマイル
ぽろぽろ、ぽろぽろ、大粒の涙が落ちる。
シオンの視界は、悔しさで歪んでいた。
「足りなかった……、また私は足りなかったっ!! これまでも省吾さんの風俗通いを事前に全て阻止していたのにッ!! 突発的にキャバクラ行こうとした時も全力で阻止していたのにっ、子供の頃に河原でエロ本を拾おうとした時から完全に阻止していたのにっ!!」
「どんだけだよお前ッ!? つーか全部お前の仕業だったのかよッ!! あの河原で『えっちな本はダメだぞ』ってオデコをコツンとしてくれた黒髪ロングのお姉さんお前だったのかよ俺の初恋を返せええええええええええええッ!!」
「えっ、それ初恋だったんです? いやーん、私ったら罪作りなオ・ン・ナ」
「おうおう、人の性欲を勝手に邪魔しておいて良い度胸してんなテメェ……」
今回の件は、一歩譲って省吾に責任があるとしても。
不本意で突発的だが結婚してしまった以上、即日キャンセルすべきだったであろうが。
だが、この発言は見逃せない。
「くっそーーッ、もしかして俺がモテないのはお前の所為だったんじゃねぇのかッ!? 答えろシオン!答えてみせろシオンンンンンッ!!」
「いえそれは普通に省吾さんの魅力不足ですよ? だってヤのつく自由業みたいな人達みたいに顔が怖いじゃないですか。駅前で生徒に挨拶しただけで、お巡りさんに職質くらう感じの」
「チックショオオオオオオオオオオオオオッ!! 聞きたくなかったそんな事実ッ、分かってはいたけれどもッ、ちょっとは夢みたって良いじゃねぇかよおおおおおおおおおおおお!!」
がっくりと項垂れる省吾に、シオンは自慢の胸を押しつながら抱きつく。
「ね、省吾さん。こんな顔が怖くて冴えない教師やってる人を愛してくれる女性なんて私しかいませんよ」
「それ洗脳の手口じゃねぇか」
「だから――、好きにしてくれて良いんですよ私のカ・ラ・ダ」
「…………すまん、本当にすまん。人間換算で最低十年は女として熟れて、幸薄い系の雰囲気になってくれ」
「人間換算で十歳って、その頃には来来世ぐらいじゃないですかっ!? ころちゅっ!! この愛叶わぬのなら殺してくれるぅ!!」
「どっから出したその包丁ッ!?」
「魔法で」
「あっ、はい」
ともあれ、シオンは涙目でプルプル震えながら包丁を心臓に突きつけてくる。
これは避けられない、ワンチャン避けられても追撃が来る。
(――はっ、こんな事で臆する訳がねぇだろう!!)
あまり頼るのも気分が悪いが、己には勇者としての記憶がある。
歴戦の戦士としての、経験と勘がある。
実を言うと、前世の記憶をフル活用して異世界史の教師の資格を取ったので今更だが、ともあれ。
「俺もここまでか、良いぜ最後にクレバーに抱きしめてやる、来なッ!!」
「そんな見え透いた懐柔に乗ると思っているんですかいっぱいちゅきっ!! ちゅきちゅき抱いてっ!! ぎゅーっ!!」
「これでお前は俺の腕の中…………いやお前チョロ過ぎじゃね?」
「前世からずっと追いかけてきた女が、愛する人を前にチョロくないワケが無いと思います」
「重ッ、超重いぜそれッ!?」
すりすりと胸板に頬ずりするシオンを、軽く抱きしめながら省吾は嘆息する。
(ティムの何処が良かったんだかコイツは……まぁ、庇って死んで、その前から好きだったっぽいし。んでもって積もり積もった千年以上の情念……こうもなる…………のか?)
今一つ理解できない事ではあるが、こうも全力で好きだと表現されると。
邪険にするのも、気が引けるというものだ。
(とはいえ、だ)
省吾としては気楽に手を出す訳にはいかない、夫婦であるならと言う意見もあるだろうが。
問題は彼女が異種族、それもダークエルフである事だ。
(こっちに産まれてから理解したが……――コイツらは種族単位で愛が重いんだよッ!!)
そう、現代において異種族との最大の問題は恋愛、夫婦間のトラブルだ。
異世界セレンディアの異種族は、基本がヤンデレ。
どの種族も例外なく、ヤンデレである。
ティムとして生きてきた頃は、異種族婚は禁忌に近かったので表面化しなかった事ではあるが。
(ちょっと想像してみよう、もし手を出したとして――――ダメだッ、何処かに監禁されて死ぬまで外にでれないというか死ぬことすら許されずに愛を囁かれ続ける未来しか見えねぇッ!!)
それに省吾は教師だ、日頃から異種族との交際への注意喚起をし、最悪の場合は相手の人間の保護をする立場の人間としては。
絶対に、手を出す訳にはいかない。
――――ならば。
「よし、交渉しろシオン」
「ん~~、何ですかぁ省吾さぁ~~ん」
「すりすりは一端止めろ」
「ああっ、酷いっ!? これがDVですかっ!? DVなんですねっ!? 異種族連盟に訴えたら勝てる案件ですよっ!?」
「人間の裁判なら無罪どころか、裁判前に却下される案件だな」
「ぐぐっ、それを言われると弱いですっ……。もう、じゃあ交渉って何ですか?」
頬を膨らませてふてくされる様子は、非常に可愛いらしかったが。
省吾はノータイムで指で突っつき、空気を抜く。
「いやーん、今のってとっても恋人っぽい感じがしますねっ」
「無敵だなお前っ!? ――ゴホン、そうじゃなくてだな……単刀直入に言おう。せめてエロ本を買う事と一週間に一度三時間ぐらい一人の時間をくれ」
「するんですねっ!? 私という即ハボな女が居ながら一人で寂しくするんですねっ!?」
「その通りだ頼むッ!!」
省吾は潔く頭を下げた、彼は元『勇気ある者』である。
性欲に比べればちっぽけな尊厳など、投げ捨てる勇気は十二分に持ち合わせているのだ。
(やるぞやるぞ俺はやるぞッ!! この交渉に俺は勝利するッ!! ふははははッ、思いもしないだろうよ。この条件は所謂見せ札、ただの取っ掛かりッ!! ヤンデレであるならこれを拒否して、惨い条件を突きつけてくる筈ッ!! それを逆手に取って最後には離婚…………いやダメだなそれは、コイツを世に放つとかあり得ない)
(なーんて考えてるんでしょうねぇ、えへへっ、読心の魔法で全部丸聞こえですもーん)
(となると、最終目的は何処にするか……。あっ、俺の部屋に居るときは厚着しろで良いんじゃね? 体のラインが隠れて欲情しない野暮ったいの)
(なんか変な方向に行ってるっ!? これは不味いですよぉ、在学中に妊娠しちゃった大計画が大きく遅れてしまいますよっ!?)
両者鋭く睨みあい、高速で思考を組み立てていく。
(なんという優れた案だ……、コイツの外見は一級品だからな。エロさを隠せば俺も余計な性欲を抱かずに済む。――故に、全力で押し通す)
(嫌な予感がしますっ、こうなったら力づくで……いえそれはダメ、なら磨き上げたこのボディで速攻を目指す――)
そして。
(うおおおおッ、思い出せティムだった頃の事をッ!! ティムだった時はコイツを制御出来ていた筈だッ、アレさえ出来ればッ)
(一番ダメージ大きい所を狙ってきてるっ!? ああもうエプロン邪魔ですっ、早く脱いで――いえここは下半身のチラリズムを!!)
シオンがスカートに手を延ばした瞬間、それを無意識に予期していた省吾は阻止。
流れるように顎をクイっと持ち上げ、あの頃の様に笑いかける。
「――――お願いだよシオン、どうか僕の頼みを聞いてくれないか?」
「ほわっ、あわわわわわわっ、ニコポですよニコポっ!? 人たらしのティムのニコポを再現しやがったですね省吾さんっ!?」
「答えを聞かせて欲しい、麗しのティーサ……」
「こ、こんな事で私はっ、私は負けな――ぶほっ!?」
「汚ったねぇッ!? いきなり鼻血ぶちまけるんじゃねぇよッ!?」
「我、一片の悔い無しですぅ…………」
くたぁと鼻血を出したまま省吾の胸に倒れ込むシオン、彼女の右手は見事なサムズアップで好評価を示しており。
そう、上手く行ったのだ例のアレが。
ティムのカリスマ性の一つ、老若男女異種族分け隔て無く安心されていた得意技。
「今世では初めてしてみたが、案外と上手く行ったなアルカイックスマイル」
「反則ですよぉ省吾さぁ~~ん……」
「俺に勝とうなんてまだ早いんだよ、ほれティッシュ使え」
「ありがとうございます、――――ふぅ。今日は引き分けにしておいてあげます、感謝してくださいねっ」
鼻の穴にティッシュを詰めて胸を張るシオンに、省吾は流石に呆れる。
勝敗など明らかであったが、ここまで見事に開き直られると勝った気がしない。
「しゃーねぇなぁ、じゃあとっとと飯の用意しろよ。出来上がるまで仕事してっから」
「はいっ、腕によりをかけて作ります!! ……あ、そうだ。今日は外食にしませんか? ちょっとこれから駅前のデパートに行きません?」
「あん? こんな時間からか?」
「思い立ったら吉日と日本人は言うじゃないですか、――今ので思いつきました、我に秘策アリ、ですっ!!」
るんるんと出かける準備を始めるシオンに、省吾は首を傾げるばかり。
そんな彼に、彼女はえっへんと前置きして告げた。
「今ので気づいたんです、省吾さんは服と髪型を整えればもっと格好良くなるって! 冴えない怖い顔のぐーたら教師から、ちょいコワだけでイケてる知的な教師に大変身させてあげますよっ!!」
「マジかッ!? いやでも髪を切る時間は無いだろう?」
「そこはお任せあれっ!! 前世でダサダサファッションのティムの全身を整えてたのは誰だと思ってるんですか!! 前世でやったのなら今もっ!! 第二次イメチェン計画ですっ!!」
「(ふぅむ……そういえばそうだったな。となるとナンパの成功率も上がる、か?)――よぅし、なら全額俺が出そう!! 今から行くぞォ!!」
「ええ、放課後デートですっ!!」
「そうだ放課後デート……かこれ? まぁいいや、いざ駅前へ!!」
そしてその一時間後、服を買う女性に付き合うもんじゃないと後悔をしながら夕食を挟んで、そのまま閉店まで。
家に帰れば、もう疲れ果てて半ば寝ながら散髪を受け。
あっという間に翌日の朝、教室の前でイメチェンした省吾は緊張気味に立ち尽くして。
(いやコレ、本当に似合ってるのか? 職員室では皆驚いて黙り込んでたが…………ええい、こうなったらコイツに聞いてみるしかねぇ!!)
彼は、勢いよく教室のドアを開けたのだった。
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