「呼び声」


 戦争は終わった。

 平和がきた。

 私は復員し、故郷に戻った。

 故郷は、何ひとつ変わっていなかった。

 晴れ渡る青い空。緑なす田園。妻も子供たちも――食糧事情のせいで多少やつれてはいたが、皆無事だった。

 私が帰ったことを、とても喜んでくれた。

 私もまた、彼らに再び会えたことを喜んだ。

 戦場であまりにひどいものを見続けてきたものだから、もしかして……と不安になっていたのだ。

 戦地にて、本土に敵軍の爆撃が行われたというニュースが流れていたこともあったし。

 実際故郷に戻ってくる途中、主に都市部などで、その痕跡は見かけた。

 だけどどれも、軽微なものだった。

 少なくとも私たちが敵地にて行ってきた爆撃に比べれば、微々たる物だった。

 死者もわずか10人に届かない様で――。

 同じく復員してきた知り合いに聞いたところ、敵軍の爆撃機は本土にたどり着く前に、ほとんどが撃ち落とされたらしい。

 いやそもそも、撃ち落すまでもなかったとか。

 機体の飛行距離が短すぎて、ただただ勝手に海へ落ちていったのだそうだ。

 まるで笑い話だ、と彼は笑った、

 私も笑った。馬鹿な奴らだと。

 とにかく戦争は終わった。戦う相手は、もういない。

 しかしすぐには、これまで通りの生活に戻れなかった。

 戦場の思い出が、毎日夢に出てくるのだ。

 町が村が、燃えていく。家が燃えていく。人が燃えていく。

 私は爆撃機に乗っている。

 高い、高いところからそれらを見ている。けして同じ目線にはならない。

 彼らは焼けながら私を見上げている。

 真っ黒になった皮膚が裂ける。肉がじるじる脂を滴らせる。脂が泡となって弾ける。それにまた火がつく。

 目玉は白く濁り髪は縮れ焼け落ちただの炭の塊となって、それでもまだ口が動いている。

 降りて来い、降りて来いと言っている。

 そこでいつも、目が覚める。

 妻と子供は私のことをひどく心配し、医者に行くことを勧めた。

 そうしたほうがいいと私も思ったので、勧め通りにした。

 医者はしばらくカウンセリングを受けるようにいい、睡眠薬を処方してくれた。私の肩を叩き励ましてくれた。

「きみは悪いことをしたわけではない。むしろいいことをしたのだ。我々が勝利したおかげで、我が国民はおろか、敵国の国民も救われたのだ。なにしろ、残虐非道な政権から解放されたのだからね」

 そうだ、その通りだ。

 私は納得し、病院から帰宅した。

 家に帰ると妻が、鼻歌を歌いながら夕飯の支度をしていた。

 子供たちは居間で楽しげにテレビを見ていた。

 私はいたたまれなくなった。私というものがまるでこの場にそぐわない、いや、むしろこの場を台無しにする一個の染みであるかのように思えた。

 後じさりして、自分の部屋へ逃げ込む。

 しかし扉を開けた先に私の部屋はなかった。

 ただ、下へ降りていく階段だけがあった。

 どこまでも果てしなく続く階段。

 底が見えない。

 そこから、降りて来い、という声が聞こえる。か細く、狂おしい、憐れな声が。

 私は息を一つ吸い込んだ。

 妻の声が聞こえた。

「あなた、ご飯よ」

 私は「ああ」と答え、後ろ手に扉を閉めた。

 何もかも真っ暗になった。

 さよならと呟き、階段を降りていく。

 どこまでも、どこまでも、どこまでも。私を呼ぶ声にたどり着けるまで。





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