第4話 ルイカと薬草取りの少女④

 ルイカが目指している禿山はげやまは、アゾアシア大陸中央にそびえ立つ霊峰グラン・ゴドマへと続く大峡谷だいきょうこくの入り口の一つで、雄大な景観を楽しむことができるルイカ一押しの絶景スポットでもある。

 しかし、大峡谷だいきょうこくに生息する魔物はどれも鎧袖一触がいしゅういっしょくの強さを享有きょうゆうし、秀逸しゅういつな冒険者であっても肝脳地かんのうちまみる覚悟で挑まなければならない超が付くほどの危険地帯であり、人族にとっては正に不可侵の聖域なのである。


「ルイカ、右前方から大きな蛇が来るよ」


 大峡谷だいきょうこくに近づくに連れ大気中の魔素も濃くなり、それに比例するように生息する魔物もどんどんと強くなっていく。


「あいよーっ」


 ルイカは御者台ぎょしゃだいに座ったまま片手で器用に手綱たづなさばきながら、空間から取り出した杖をもう片方の手に持ち、相方であるモップの指示に従って次々と攻撃魔法を発動させる。


「ルイカ、次は正面に大きな蜘蛛くも


 大峡谷だいきょうこくへの入り口となっている禿山はげやまふもとには、その昔、霊峰グラン・ゴドマへと挑まんとした亡国の王が建造した兵営跡へいえいあとが遺跡と化して残っている。


「あいよーっ」


 凸凹でこぼこ道に大きく揺れる馬車を魔法の力で転倒しないように制御しながら、ルイカを乗せた馬車は遺跡化した兵営跡へいえいあと地へ向かって全速力で駆けて行く。


「ルイカ、最後は前方上空に大きなわし

「あいよーっ」


 常人では魔力が足りなくなるような荒業も、よわい三桁歳の不老不死となれば話は別である。

 ルイカは遥か上空を飛行するグリフォンらしき陰影に照準を定めると超高火力の魔力弾を撃ち放ち、見事一撃で仕留めるのだった。


「ルイカっ」


 いまがた最後だと宣言したモップがルイカの名を呼ぶ。


「上空から人」

「あいよーっ……って、ひ、ひとぉ?」


 ルイカは発動しかけた攻撃魔法を急いでキャンセルする。


「うん。空から人が降ってくる」


 ルイカは馬車を急停車させると、落下するグリフォンより少し遅れて降ってくる人の姿を視認する。


「あれはグリフォンにでもさらわれてたのかな?」


 本来であれば慌てふためく場面なのだろうが、人生経験豊富なルイカにとって空から人が降ってくることなど、心拍数を上げる要因にすら成り得ないのである。


「ルイカ、このままだとぺちゃんこだよ」


 それはルイカと行動を共にしているモップも同じだった。


「悪い人じゃないよね?」


 ルイカの豊富な人生経験をもってしても、グリフォンにさらわれるような人が善人なのか悪人なのかの判断は難しい。


「迷うなら一先ひとまず助けてから判断すれば? ああなった原因を作ったのは間違いなくルイカなんだし」


 重力に引っ張られ、徐々に速度を上げながら落下する人を眺めながらモップが呟く。


「それもそうだね」


 ルイカはモップの提案を受け入れると、持っている杖を一振りして空間魔法を発動させるのだった。


「女の人だ……」


 空間魔法の発動によりグリフォンと共に落下していた人は瞬間移動され、ルイカの目の前の地面に横たわった状態で現れる。


「悪人っぽくもないね?」


 白衣をまとった細身の女性は利発的な印象をかもし出しているものの、荒事に向いているとは到底思えなかった。

 悲しいことに、人は見かけによらぬものと言うことわざがあるが、大方の場合は見た目で決まるのが世の常だ。


「解析魔法で調べたけど悪い人ではないみたいだよ」


 モップはルイカの安全を担保するために解析魔法を発動させ、目の前で気を失って横たわっている女性が悪い人でない事を確認する。


「ここに放置するわけにもいかないし、この先の兵営跡へいえいあと地まで運ぼうか」


 ルイカはそう言うと、もう一度持っている杖を一振りして空間魔法を発動させ、女性を馬車の中に移動させる。


「ルイカ……こんな所に放置なんてしたら助けた意味ないよ」


 ここは鎧袖一触がいしゅういっしょくの強さを享有きょうゆうする魔物達の巣窟だ。気を失った女性を道端に放置しようものなら、物の数分で魔物達の胃袋に収まり骨すら残らないだろう。


「それもそうだよね」


 ルイカは年甲斐もなく舌を出して愛嬌を振りまくと、ルイカだけが馬車の駐停地ちゅうていちとして利用している亡国の王が建造した兵営跡へいえいあと地へ向けて再出発するのだった……



 ルイカが最後に訪れたのは今から四十年前のことであるが、亡国の王が建造した兵営跡へいえいあと地は当時と変わることもなく、ひっそりと自然に還るその時を待ち続けているようだ。


「よしよし、前回施した魔物除けの結界はまだ稼働してるみたいだね」


 ルイカは兵営跡へいえいあと地の一角の建物の中に馬車を停めると、四十年前に施した結界のチェックを行う。


「ルイカ、魔力の回復を忘れないでね」


 この場所に到着するまで、ルイカは上級魔法と呼ばれている高火力の攻撃魔法を乱発している。


「久々に大量の魔力使ったからお腹も空いたし、ご飯食べてちょっとだらけたい気分」


 ルイカはモップにそう返事をすると、空間から食材と調理器具を取り出して料理を始める。


「冒険と言えば、やっぱり温かいご飯よね」


 普通の冒険者であれば乾燥した硬いパンに干し肉が冒険食の定番であるが、ルイカは不老不死の普通じゃない元冒険者である。


「……ここは?」


 ルイカが調理をしている音が原因なのか、漂ってくるかぐわしい香りが原因なのか、あるいはその両方なのかは分からないが、馬車の中で気を失っていた女性が意識を取り戻す。


「ルイカ、起きたみたい」


 モップはルイカにそう言い残すと、女性が馬車から出てくる前にガーネットがちりばめられたブレスレットへとその身を変えるのだった。


「体は大丈夫?」


 ルイカは調理が一段落すると、馬車の扉を開けて女性に話し掛ける。


「貴方は?」


 女性は状況が理解できていないようで、きょろきょろと周囲を見回す。


「覚えてるかな? 貴方、グリフォンにさらわれていく途中だったんだよ」


 さすがのルイカも、空飛ぶグリフォンの頭をぶちまけたら貴方が降って来たとは言えない。


「……ああ、思い出した。私は素材を採取するためにグリフォンの巣に忍び込み、運悪く捕まったのだった」


 これまた突拍子もない話が飛び出してきたものだが、ルイカも同類なので心拍数を上げる要因とはならない。


「そう、それは大変だったね。私は行商人のルイカ、貴方は?」


 ルイカは自身が行商人であると名乗り出ると、女性にも自己紹介を求めるのだった。


「錬金術師のリンゼンね、よろしく」


 リンゼンは錬金術を生業としていて、今は素材採取のため各地を巡っているという。


「私は今から食事にするけど、リンゼン、貴方はどうする?」


 リンゼンは昨日から何も食べていなかったらしく、振る舞われた食事を無我夢中で胃袋の中へき込むと、悪びれる様子もなくおわりを要求する。

 錬金術師と言うものを良く理解しているルイカは、馬車に戻ると有事のために用意しておいた一般的な保存食を取り出してリンゼンに手渡す。


「ルイカ君と言ったか? 君は錬金術師のことを良く理解しておるな」


 リンゼンはルイカから受け取った乾燥した硬いパンと干し肉を味わうようにして食べ尽くすと、満足そうに笑い飛ばすのだった。


 錬金術は等価交換の原則に基づいた物質変換魔法の総称で、等価交換の原則にさえのっとっていれば、それが物質であろうが価値であろうが物質を変換させることができる。

 説明だけを聞いてみれば随分と夢のある魔法に聞こえるのだが、実際には等価交換の原則が邪魔をして花八層倍はなはっそうばい薬九層倍くすりくそうばいとはならない。なお、当然ではあるが、物質変換魔法は物質に対してのみ効果が発現する。


「ところでルイカ君。ここは君の保有する倉庫か何かかね?」

 

 腹を満たしたリンゼンは自身の羽織っている白衣が破れている事に気付くと、鞄から白い布切れを取り出して物質変換魔法を発動する。


「違うわよ。ここはグラン・ゴドマへと続く大峡谷だいきょうこくの入り口にある遺跡よ」


 魔法を施した箇所に問題がないことを確認したリンゼンは白衣を再び羽織ると、ルイカの言葉に乾いた笑い声を上げる。


「ルイカ君。その冗談には再考が必要だよ」


 中々どうしてモップの解析魔法も当てにならないものだ。

 このリンゼンと言う人物、確かに悪い人ではないのだが、もの凄く面倒臭いタイプの人間だ。


「冗談と思うのなら外を見てこれば? ただし、結界から外に出たら身の安全は保障できないわよ」


 リンゼンのような理論派の人間には、百聞は一見にかずを地で行うべし。

 ルイカの想定した通り、外の様子を見に行ったリンゼンは、現実を理解したのか随分と重く沈んだ雰囲気で戻ってくるのだった。


「どうだった?」


 聞くまでもないのだが、ルイカは礼儀として声を掛ける。


「ああ、済まなかった……ルイカ君、君の言う通りだった」


 今のリンゼンからは、先ほどまでの余裕を感じ取ることができなくなっていた。


「私は今から用事があって出掛けるけど、リンゼン、貴方はここで待ってる? 勿論もちろん、ここから出ていくと言うのなら止めることはしないわ」


 リンゼンの登場で大きく回り道となってしまったルイカだが、ここに来た目的はミミスの母親の悪素病あくそびょうを治すための素材採取である。


「ルイカ君。君はこの危険な場所を闊歩かっぽしようと言うのかね?」


 リンゼンが驚くのも当然だ。この地域は行商人の女の子がお使い感覚で出歩ける場所ではない。


「ええ、そうよ。リンゼン、貴方にとっては危険な場所だとしても、私にとってそうとは限らないでしょ?」


 身支度を整えたルイカは言葉を失ったリンゼンに対して、ルイカが帰ってきた時にまだこの場所に留まって居たなら、安全な場所まで送り届けることを約束する。


「分かった、お言葉に甘えさせてもらうよ……ところでルイカ君。一つ頼みごとを聞いてもらえないだろうか? 当然報酬は支払う」


 リンゼンは自身が望む素材をルイカに告げると、それに見合った報酬を提示する。


「話だけは聞いとく。わざわざ探すことはしないけど、移動中に見付けたら採取しとくね」


 ルイカの言葉にゆっくりと頷くリンゼンを残し、ルイカは竜種の住処すみかに自生する特別なキノコを採取しに禿山はげやまへと移動を開始するのだった……

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