第5話 ルイカと薬草取りの少女⑤

 亡国の王が建造した兵営跡へいえいあと地から大峡谷だいきょうこくの入り口となる禿山はげやまへ移動したルイカは、感知魔法を発動して周辺に人の気配がない事を確認すると、モップに合図を送る。


「やあルイカ、ちゃんと魔力は回復したかい?」


 ガーネットがちりばめられたブレスレットからカーバンクルの姿に戻ったモップは、ルイカとリンゼンのりを知った上で何事もなかったかのように立ち居振る舞う。


「……もふり倒してやりたい気分」


 ルイカはそう言いながら、モップの頭を乱暴にでる。


「な、何すんだよ……悪い人ではなかっただろ」


 モップが主張するようにリンゼンは悪い人ではない。この世界が「善人」と「悪人」しか存在しない二進数の世界であるのなら、間違いなくリンゼンは「善人」と判断されるだろう。


「モップ。世の中にはねー、第三の選択肢ってものがあるのよ」


 ルイカはストレスが限界に達したのか、全身をわなわなさせる。


「そんなこと僕に言われたってさ……僕には人族の性格なんて理解できないからね」


 身の危険を感じたモップはルイカの頭の天辺に移動すると、やれやれと言いたげにうずくまる。


「それに、ルイカは空から落ちてくる人を見なかったことに何てできないじゃないか」


 口ではああだこうだと言いながらも、ルイカにとっての選択肢が常に一つしかないことをモップは熟知しているのだった。


「んー……言い返せないのが無性に腹立つ」


 ルイカは限界に達したストレスを発散しようと、近くにドラゴンでも居ないか探し始める。


「ルイカ……そんなことしたら転移魔法が発動できなくなるよ」


 四十年前に観光目的でこの地を訪れたルイカは、大峡谷だいきょうこくから見るその雄大な景観に感動を覚え、次回訪れる時のためにと道中至る所に移動用の魔方陣を仕込んでいたのだった。


「そうだった。私の帰りを待ってるミミスちゃんのためにも早く素材を採取して帰らないとね」


 四十年前にルイカが仕込んだ移動用の魔方陣は、人や魔物などが迷い込まないよう結界を張った洞窟の中に造られ、大気中に漂う魔素を自動で吸収するように術式を埋め込み、半永久的に魔方陣と結界を維持できるようにした優れ物である。


「ねえ、ルイカ。今の時期はワイバーンの繁殖期と重なるから、くれぐれも注意しなよ」


 ワイバーンは翼竜よくりゅうに分類される竜で、標高が高く魔素まそが濃い場所を好んで住処とする習性を持っている。


「そっか、ちょうど子育ての時期か……運が良かったらワイバーンの赤ちゃん見れるかもね」


 本来であれば恐怖の対象となるはずのワイバーンですら、ルイカにとっては動物園で飼育されている何かしらの一つでしかないのだ。


「ルイカ……それ、完全にフラグを立てる言葉だよ」


 モップはルイカの頭の上で立ち上がると、何処かに立ってしまったであろうイベントフラグを吹き飛ばすようにふうふうと息を吐くのだった。


「平気平気。昔の偉い人が”何とかならない物はない”って遺言を残してるからね」


 ルイカは冗談か嘘か分からない微妙な格言を口にすると、四十年前に結界を張った洞穴の中へと入って行く。


「おぉーっ、これは魔光苔まこうごけの楽園だね」


 四十年前、効率良く大気中の魔素を集めようと洞窟の壁に植えた一欠片の魔光苔まこうごけが見事に大繁殖し、洞窟内は魔光苔まこうごけで埋め尽くされていた。


「それに、洞窟内の魔素の質も良い感じ」


 ルイカは大きく深呼吸をすると、洞窟内に満たされている魔素に癒されるのだった。


 魔光苔まこうごけは大気中の酸素を取り入れる際に淡い金緑色きんりょくしょくの光を発し、自身にとって不要である魔素をそのまま排出するため、魔光苔まこうごけの周辺では魔素の濃度が濃くなることが知られている。


「見た感じ、魔方陣も問題なく稼働してるみたいだね」


 モップはルイカの頭の上に乗ったまま解析魔法を発動させると、何層にも重なる複雑な術式で構築された魔方陣の状態を調べ上げる。


「ではでは、ワイバーンの住処まで移動しちゃいますかね」


 ルイカは空間から杖を取り出すと、魔方陣に対応した魔法鍵マジックキーもって空間をつなぎ止めている扉を解放する。


「神様、どうか余計なイベントが発生しませんように……」


 モップはルイカの立ててしまったイベントフラグが不発に終わるよう誠心誠意せいしんせいい神様に祈り、ルイカはワイバーンの赤ちゃんと出会えるかも知れないと期待に胸を膨らませながら扉の中へ入っていくのだった……



 ルイカ自らが解放した空間の扉を潜り抜けると、その先にも同じように魔光苔まこうごけで埋め尽くさた洞窟の風景が広がっていた。


「わあっ、こっちも魔光苔まこうごけの楽園だー」


 どちらの洞窟もルイカが四十年前に観光で訪れた時、適当な山肌の岩盤にルイカが穴を開けて造った人工の洞窟である。


「でも、これだとどっちがどっちだか分からないな」


 モップもルイカと同じ様な錯覚に陥っているようで、今居る場所が扉に入る前なのか後なのか、よく分からなくなっているようだ。


「うーん……これは改善せねば」


 ルイカはそう呟くと、空間から立札を取り出して洞窟の地面に突き立てる。


「これでよしっ……と」


 何故、ルイカの収納空間に立札が備蓄されていたのかの謎は迷宮入りとなるのだが、これで一先ひとまずはどっちがどっち問題は解決である。


「モップ、いよいよワイバーンの赤ちゃんとご対面だよ」


 ルイカは期待に胸を膨らませたまま、洞窟の出入り口へと歩き始める。


「ルイカ……いつからワイバーンの赤ちゃんを見るのが目的になったんだい?」


 モップは不安で胸が締め付けられたまま、引き続き神様に祈るのだった……



「ここは変わらないなー」


 大峡谷だいきょうこくの入り口となる禿山はげやまの裏側八合目辺りから見渡す大峡谷だいきょうこくの雄大な景観は、四十年経った今でも色褪いろあせることはなかった。


「ルイカ……気持ちは分かるけど、早く用事済ませて帰ろうよ。ミミスが待ってるよ」


 両手を大の字に広げて風を受けながら立ち尽くすルイカに、モップは催促するような言葉を投げ掛ける。


 ワイバーン達が住処すみかにしている巣穴は、この場所から自然によって作り出された崖路がけじを辿って行けばぐそこだ。


「もう、モップったら情緒の欠片もないんだから」


 ルイカは自身の頭の天辺に居座ったままのモップを見るように目線を上げると、気分台無しと言わんばかりにふくれっ面をして見せる。


 モップもルイカの扱い方をしっかりと心得ているようで、イルカに何を言われても一切言葉を返さずに知らん顔を決め込む。


 暖簾のれんに腕押し、豆腐にかすがいとはよく言ったもので、張り合いがなくなったルイカは自ずとワイバーン達の住処すみかへ向かい始めるのだった。


「赤ちゃん居るかな?」


 ワイバーン達の巣穴に到着したルイカは、ワイバーンの成体が狩に出掛けて不在であることを確認すると、躊躇ためらうことなく巣穴に入って行く。


「ルイカ……赤ちゃんよりも素材採取」


 ルイカの足元にはワイバーンの餌として巣穴に持ち込まれたであろう何かしらの骨が散らばり、兵営跡へいえいあと地で待っているリンゼンが喉から手が出るほど欲するであろう貴重な素材が至るところに散見される。


「赤ちゃんの鳴き声しないね」


 ルイカはリンゼンに頼まれた素材を適当に回収しながら、目的の悪素あくそを中和する成分を含むキノコを探す。


「ルイカ、この辺りはワイバーンが巣作りするには魔素が弱いから、もっと奥を探さないと」


 ルイカが探しているキノコは通称【竜茸りゅうたけ】と呼ばれていて、竜種の体から発する特別な魔素まそを栄養として成長する菌類である。


「ワイバーンの巣の数も少ないし、何かあったのかな?」


 ルイカは四十年前と比べてワイバーンの巣が減っていることに若干じゃっかんの違和感を覚えながらも、目的のキノコを探して巣穴の奥へ向かう。


「ルイカ、気付いてるかい?」


 巣穴の最奥付近まで移動したルイカは、前方から漂う異質な気配に気付いて岩陰に隠れる。

 この気配はワイバーンの物ではなく、元ワイバーンだった物の気配だ。


「ワイバーンが見当たらない謎解明だね」


 この世界には悪魔や悪霊、幽霊にゾンビなど、ホラー色が強く空想上の生き物とされるものの大半が実在する。


 今ワイバーンの巣穴の最奥に居るであろうそれは、自らの死期を悟ったワイバーンが何らかの理由で竜達りゅうたち墓場はかばに赴けなかった成れの果ての姿、ワイバーンゾンビと呼ばれる動くしかばねなのである。


「モップ、悪霊かそれ以外か解析できる?」


 この世界には二種類の動くしかばね所謂いわゆるゾンビが存在し、そのどちらかによって対処方法が異なる。


「どうやら、ウイルスが原因みたいだよ」

「そう、ありがとう」


 ルイカはモップからの返答を聞いて頷くと、プロテクトウォールの魔法を発動させワイバーンゾンビを周囲の空間から切り離し隔離する。


「ルイカ……威力には気を付けて」


 ウイルスによってゾンビ化したと言うことは、まだあのワイバーンが息を引き取ってからさほど時間が経っていないことを意味する。


「うん、分かってるよ」


 ルイカは隔離した空間内に猛炎もうえんの魔方陣を浮かび上がらせると、プロテクトウォールが融解ゆうかいしないよう威力の調節を行い発動させる。

 ルイカの力強い言葉に反応し隔離された空間内に猛火もうかの嵐が吹き荒れると、暗い巣穴の中は閃光灯せんこうとうでも投げ入れられたかのようなオレンジ色の光に照らされるのだった……


 

「……ウイルスの反応無し」


 ルイカが発動した猛炎もうえんの魔法がワイバーンゾンビを骨まで焼き尽くした後、ポップの解析魔法でワイバーンをゾンビ化させたウイルスが完全に消滅したことを確認する。


「なんか興醒きょうざめしちゃったね」


 ルイカは目的だった竜茸りゅうたけを採取しながら、ワイバーンの赤ちゃんどころか、ウイルスの蔓延により全滅してしまったであろうワイバーン達のことを思い寂しそうに呟く。


「こればかりは自然の摂理だから仕方ないよ」


 定位置であるルイカの肩に戻ったモップは素っ気ない物の言い方をすると、疲れたのか目を閉じて口をつぐむ。


 ルイカは巣穴に残された素材を先程とは違い丹念に回収すると、巣穴に落ちていた石を拾って積石つみいしをし、積み上げた石に向け両手を合わせ一人静かに黙祷もくとうを捧げる。

 最後に巣穴の入り口まで戻ったルイカは空間から世界樹せかいじゅの杖を取り出すと、彷徨さまよえる魂が戻るべき場所へもどれるよう浄化魔法を発動し、素材採取の旅を終えるのだった……

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