第13話
実家を出た私の足は、町を分かつ線路をまたいでさらに進み、途中皆鹿目警察署に立ち寄った後、佐々木家のある丘陵の住宅地へとやってきていた。
が、目的は佐々木家ではなく、近隣の寺社仏閣にある。
狙いは無縁仏となった千代を供養した寺社に話を聞くことにあった。皆鹿目警察署によれば、主に事件被害者の供養を依頼する先は町内の別の寺社だという事だった。
けれど、多少の縁故がある場合には、居住地周辺の寺社に依頼することもあるという。この時、どちらかと言えば警察署が提携している方が当たりだと思っており、本命の前に小さい可能性を潰していくつもりでやってきたのだった。
が、先に結論を言うとこれが予想外に大当たりだった。
皆鹿目町には五つの寺院と七つの神社が存在する。そのうちこの近隣にある寺社はそれぞれ一つずつ。それぞれ名を永楽寺と来津神社というのだが、最初に赴いた永楽寺にて、私は千代の遺骨と対面することになった。
調べものをしていると言って突然訪ねてきた不審な男を、永楽寺の本谷住職は快く迎えてくださった。
畳敷きの本堂へ案内されると、進められるままに座布団へと膝をついて座る。まずは警戒されないよう少しずつ説明しているうちに、話題が幽霊騒ぎへと移ると住職は納得したかのように手を叩く。彼の息子もまた小学生らしく、息子を通じて小学生達を取り巻く幽霊騒ぎが耳に入っていたという。
その内の一人が山口千代を見たと言っている事を話すと、彼は深く頷いて立ち上がり、暫くして一つの骨箱を持って戻ってきた。
「これが、千代さんのお骨です」
そう言って差し出された箱は、手に収まる程に小さなものだった。
「直接供養を担当したのは私の父にあたる先代の住職です。早世しまして既にこの世にはおりませんが、当時のあの騒ぎと、あの日この骨箱を持って帰ってきた父の姿を良く覚えております。」
事件発覚から数日後の昼下がり。その日は梅雨入り前のじめっとした暑い日だったという。涼しい本堂でくつろいでいた幼い現住職の許へと、出掛けていた先代が戻ってきた。
軽く挨拶を済ませると彼は本尊の前で膝をつき、無言で手に持っていた包みを解く。そこから現れた白一色の小さな骨箱、
事件の事を知っていた幼い本谷住職も、それが誰のものなのかすぐに分かったという。
「父は一言『家で供養することになった』とだけ言いました。その後私も手伝いながら簡単な祭壇を整えて、父の挙げるお経と共に私も手を合わせて千代さんの冥福を祈らせていただきました」
その後、骨箱は無縁仏を祀る一室へと納められて管理されてきた。千代の母親である山口真由子は刑期を終えただろう頃になっても引取りに現れることは無く、二〇〇〇年代初めに若くして亡くなった先代住職から引き継ぐ形で、今も本谷住職が供養を続けているという。
当時を懐かしみ、穏やかな表情を浮かべるその様子に、本谷住職は丁寧に供養を重ねてきたのだろうと私は思っていた。また、仏教はその教義上霊魂の存在を認めてはいない。だからこそ、その霊を見たという子供がいると話した時、何故すんなりと納得し遺骨まで見せてくれたのかが分からなかった。
「失礼ですが、どうして私の話を信じていただけたのでしょうか」
「そうですね。確かに私共は教義上幽霊の存在を認めてはいません。ですが、父から引き継いで供養をしているとですね、段々と分かってくるんです」
「わかってくる、とは? 」
「……この方が寂しがり、今も浄土へは行けずにいるのだと」
これはあくまで私個人の見解ですが、と本谷住職は前置きをし、こう続けた。
「今でも時折、寺の中やこの近辺のあちこちで同じ赤いスカートが、目の端をちらつくことがあるのです。水辺だったり、雨の降る前後なんかは特に」
「それはその辺りにいる同年代の子供などでは,無く? 」
住職は深々と頷いた。
「見ればあなたにもすぐ分かりますよ、あれから漂う念はこの世の者のそれよりも遥かに強く、根が深い」
その後永楽寺を後にした私は、本谷住職の勧めもあって来津神社にも行ってみることにした。
曰く『霊魂に関しては神道の方にお聞きするのがよろしいかと』という事である。
国道沿いにある来津神社は周囲を住宅に囲まれた小規模かつ目立たない神社である。 ご神木である背の高い銀杏の木がなくては、そこに神社があるという事すら見落としてしまいそうな程だ。よく見られる、店が軒を連ねる様なお祭りが開かれたりはせず、昔から続く神事を細々と行ってきた神社という印象が強い。
だからこそオカルト好きとしては惹かれるものがあり、地元に住んでいた当時は、気が向くと自転車を飛ばしてきたものだった。
そんな来津神社は今も変わらず、住宅の間に縮こまるようにしてそこにあった。
道の脇にある三段しかない石段を上り、潮風で少し荒れた鳥居をくぐる。そこから数十歩も歩かずにご神木、拝殿へと続き隣の社務所との間に神社の縁起が書かれた看板が立っていた。
来津神社は元々皆甕神社と呼ばれていたそうだが、一六〇五年二月三日に発生した慶長地震による津波の到達点であると伝えていくために今の名前となったそうだ。説明文の横にある写真図には拝殿内に残されている浸水の跡が克明に写し出されていた。これはつまり、大地震が来たら神社より山側へ逃げろという事である。
また、来津神社の祭神は火防せの神として知られる加具土神であるが、一方で加具土神は鍛冶や焼き物の神としても知られていることから、来津神社ではいらなくなった焼き物や陶器の食器などの供養を今も行っている。町に点在する焼き窯の跡と同じく、この地に焼き物を生業とする者達がいたことを残す重要な遺産の一つである。
「もしかして、先程お寺さんに行かれた方ですかな? 」
不意に背後からかけられた声へと振り返ると、袴姿をした初老の男性がそこにいた。記憶が正しければ、この男性こそこの神社の禰宜であるはずだった。
「はい、そうです。この町の事について調べものをしてまして……」
当たり障りのないように笑顔で返すと、その途端、禰宜の男性は破顔一笑した。
「いやいや、覚えてますよ。君は確以前にも同じことを私に言って神社の裏の儀式だの、祝詞だのを聞き出そうとしたでしょ」
なんとこの男性、酒井禰宜は十年以上も昔の訪問を覚えていてくださったらしい。私自身も忘れていた、当時の不躾すぎる所業までも。
あっけらかんと語られる、所謂中二病や黒歴史と呼ばれるものの数々に、羞恥と後悔で顔から火が出そうだった。
「その節は大変失礼いたしまして……何とお詫びすればよいのか」
「いえいえ、こんな小さな神社にも若い人が興味を持ってくれると思えてうれしかったですよ。それで、今回は幽霊のお話をお聞きになりたいそうで」
どうやら本谷住職は電話で大体の事情を話してくれていたらしい。私は社務所へと案内され、そこで再び幽霊騒ぎについて調べていると説明した。
「母親に捨てられて亡くなった山口千代や、空襲で亡くなった前島恵子、他にも霊を見ていると思われる言動、行動をとられる人が老若男女問わず見られているようなんです。それも、ここ最近で急に増加したと。何かお心当たりはございませんか? 」
話を聞いた酒井禰宜は腕を組んで目を閉じ、徐に天を仰ぐ。そのままで暫く唸っていたが、不意に顰めていた顔をこちらへと向けてきた。
「そのお二方についてはよく存じ上げません、辛うじて千代さんを覚えているくらいです。よく一人で遊んでいて、それは可愛らしい女の子でした。ですが、ここ最近霊を見る人が増えた、彷徨える霊が増えたとする理由については心当たりが一つ」
「あるんですか? それは一体……」
「あなたは、ここら一帯の造成工事についてどれ程ご存じですかな? 」
逆に問いかけられ、一瞬答えに窮する。言われてみれば、本格的な工事が二〇〇〇年代に開始されたこと以外、市政には興味の無かった私はよく知らないでいた。
「すみません、ほとんど存じ上げてはおりませんでした」
「いえいえ、ほとんどの方がそうだと思います。元々、高度経済成長期に始まった住宅建設の流れを受けて、土地の一部を住宅地として整備する計画がなされたのが、九〇年代初頭の頃でした。それがここ一帯に決まったのは、小学校の移転に伴う形だったと聞いております。ですが、元々計画地として挙がっていたのは皆甕山や遠見山の麓の一部からここ一体の丘陵全てに及んでいたんです」
この時点で私は驚きを隠せなかった。町のホームページには平成の就職氷河期による都市部へ出ていた人のリターンを見越してのものとされていたが、九〇年代初頭には既に計画されていたとは思ってもいなかった。その上、計画されていた範囲は単純に今の倍にも及ぶだろう。
だが現に、小学校と住宅地造成には期間にズレが生じており、範囲も大分縮小されている。一体何があったというのか。
「町としては海側を商業、企業へ向けて整備し、山側をベッドタウンとして働き口と住環境を一体化させるつもりだったそうです。しかし、私を含め昔からの住民は環境破壊につながるとして反対しました。何度行われた話し合いも平行線を辿るばかりでしてね、結局今の形で落ち着いたのは小学校の移転も終わって暫くしてからなのはご存じのとおりです」
「確かに、山まで切り開くとなると環境破壊への懸念も頷けます。ですが、それと幽霊とどのような関係が? 」
酒井禰宜は話を止めると、深く深呼吸をした。
「もちろん環境破壊も理由ではありました。けれど、本当のところは別にあった。丘陵は多少仕方ないとして、まず御山の開発を止めることが一番重要だったんです」
その言葉に、私は祖母の言葉を思い出していた。
『 “魂は水と共に巡る”御山に関わる者に昔から伝わる言葉やね』
御山とは玉返川の水源のある皆甕山の事で、酒井禰宜のいう御山も恐らくは同じだろう。そこは古くから土着の人々に畏れ敬われてきた場所である。
考えてみれば、歴史上は寺よりも古くから神仏問わず信仰の寄る辺となってきた場所こそが神社なのだ。そこに寄せられる信仰には当然土着の信仰も含まれるだろう。皆甕山に近いこの神社が、祖母が寄せる信仰の寄る辺となっていたとしても何ら不思議ではない。
「その基とするのは“魂は水と共に巡る”……というものですか? 」
「おお、ご存じでしたか。流石はといったところですな」
満足げに頷く酒井禰宜に、私は申し訳ない思いで言葉を繋いだ。
「いえ、実は知ったのは今日の午前中でして……詳しい内容に関しても、これから父の取り纏めたノートを参照していくところだったんです」
身体を縮こませる私へと、笑顔を崩すことなく酒井禰宜は言う。
「ならば、詳しい内容はお父様から継いでいただいた方がいいでしょう。親から子へ受け継いでいくという段階も、時に単なる伝統の継承という事以上に重要となり得ますからな。それに、貴方のお父様ならきっと山の工事に反対した理由もご存じのはず。私から言えるのは、皆甕山とそこにある玉返川の水源とこの皆甕の町、その成り立ちは、この地の霊魂と深いかかわりがあるという事です。」
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