第8話

 燦々と日の照りつける公園に人影は少なく、水場に近い東屋に買い物帰りとおぼしき主婦達が三人、井戸端会議と洒落込んでいる。

 極力警戒心を与えないような素振りで近づき、声をかけた。

 「すみません、ちょっとよろしいですか? 」

 「はあ、何か御用でしょうか?」

 一瞬、怪訝そうな顔を向けられながらも返された返答に胸を撫で下ろす。どうやら話を聞いて貰えそうだ。

 あくまでもこの町の歴史や出来事を調べているという体裁で、私はまずネグレクトの末に衰弱死した山口千代の事件について聞いてみる。

 すると、三人の中で最も年配に見える老婦人が例の事件を覚えていた。

 「私もその頃は県外で独り暮らししていたもんですから実家の母親から聞いただけなんですけどね。山の方にある平屋で女の子の遺体が突然見つかったって事で、普段事件らしい事件も起きない田舎町なもんだから皆びっくりしてたって言ってましたよ」

 「被害者の女の子を放置していた母親や他の親戚がいたかどうかってのはわかります? 」

 女性は眉間にしわを寄せ、小さく手招きすると「それがねぇ~」と声を潜めて話し出す。

 「確か元々親が駆け落ち同然で結婚したらしくて、他に身寄りが誰もいなかったそうなのよ。母親は逮捕されて戻ってこないし、市内の菩提寺かどっかがお骨を引き取ることになりそうだって言ってたのよね」

 「結局母親は出所後戻ってきたんでしょうか」

 「来るわけないでしょ。私も子供生まれた三十幾つかの頃にこっちに戻ってきたけれど、それらしい人がお骨を引取りに来たって話は聞いた事がないわ」

 その記憶が確かならば本当に哀れな話である。結局山口千代は死後も母親にすてられたままだったとは。

 千代の遺骨の引き取り先については分からないとのことだったので、話はそこで一旦着る事ににし、今度は別の話題について質問してみる。

 「最近小学生の間で幽霊の話がブームのようなんですが、以前からそういうのがあったんですか? 」

 「ブームっていうか、最近『本物』を見ちゃったって子が多いんですよ。そうだ、お宅もこの前何か見たって言ってなかった? 」

 年配の女性に指名されたその中年女性はおずおずと首を縦に振った。

 「ええ、私の家は町の南側にあるんですけど、よく川を超えた先にある夫の実家に顔を出してるんです。その時にちょっとねぇ」



 女性の夫、桐生氏の家は町の北側に古くから住む農家であり、玉返川から水を引いた水路を今なお生活の一部や農作業に利用している他、敷地内に湧き水の出る井戸を構えている。

 その日も義父母のご機嫌伺いに顔を出すと、義母から井戸で冷やしてある野菜を引き上げてきてくれないかと頼まれた。

 女性は桐生氏宅の玄関を出ると、笊をもって裏手にある井戸へと向かう。井戸は庭の奥まったところに位置し、周囲は生い茂る木々で日中でも多少の薄暗さを感じる場所だった。一方で井戸自体は薄暗くとも底の水面が見えるほどに浅く、引き上げそのものはすぐに終わる作業であるが、それでも正直女性は苦手とする場所だと言った。

 「家自体が古いのは別にいいんですけど、あそこだけがどうしても苦手でして。昔『リング』って流行ったじゃないですか。まさにあの貞子の井戸にそっくりなんですよ。周囲も少し暗くて、それがまた怖くてね」

 とにかく早く行って帰ってこよう、その一心で駆け足気味に井戸へと辿り着くと、野菜が入っている籠へとつながる縄に手を掛けた。そしてなるべく井戸の底を見ないようにしつつ縄を引っ張っていく。

そうして暫くは順調に引けていたのだが、突然ガツンッという固い音と共に籠が何かに引っ掛かってしまった。幾ら縄を引けどもびくともしない。反対に緩めても結果は変わらなかった。何故こんな時に、と口をついて愚痴が出た、その時。

 両手で持っていた縄がグンッと強い力で引っ張られた。

 突然の事に不意を突かれ、井戸の側面に身体をぶつけてしまった女性は、手に持っていた縄から思わず手を離してしまう。

 襲い掛かってきた痛みに目を閉じて蹲り、暫くそのまま動けずにいた女性だったが、ややあって瞼を薄く開くと、持つ者の無い縄が目に入ってくる。

 縄はピクリとも動いていなかった。重力に逆らうかの如くその場に留まり、まるで女性を誘っているかのように冷たい石積みの上でその存在を主張していた。

 女性はゆっくりと立ち上がり、ごくり、と一つ喉を鳴らして恐る恐る井戸の中を覗きこんだ。

 井戸の中は、陽の光も届かぬ暗闇が這い上がるように上へと広がり、縄の先を飲み込んでいる。水を湛える水面どころか籠の一つすら見えない。

 女性は首を動かし角度を変えて覗き続け、暫くしてやはり無理だと諦めた。

 母屋で懐中電灯でも探してこようと、踵を返して駆け出す。が、その足は数歩進んだところで止まった。何かがおかしい、そう思って。

 縄が持ち手を引きずり込もうとする時点で既におかしいのだが、そうではない。足を止めているもの、それは何かと女性は記憶を辿り、気づいた。

 この井戸は浅いのだ。薄暗い中でも底の水面は見える程に。光も届かぬほどの暗闇などある筈がない。

 「そこまで考えた時に、後ろから聞こえてきたんです……ズルッ、ズルッ、って」

 何かが井戸を這いあがってくる様な音だったと、女性は言った。

 にわかに駆け出す心臓とは逆に、身体は急激に冷たさを増していく。背筋を冷や汗が伝い、全身が震えていた。


 ズルッ、ズルッ、ズルッ


 逃げなくては。そう思うも、今や石のように硬くなった身体はその意思を受け付けようとしない。意識が硬い殻に閉じ込められたかのようだった。

 

 ズルッ、ズルッ、ズルッ


 音はまだ続いている。ゆっくりと、けれども少しずつ大きくなってきていた。

 恐怖で縫い留められたように動かなかった身体が、女性の意に反して向きを変えていく。ゆっくりと、井戸の方へ。


 ズルッ、ズルッ、ズルッ……ヒタ


 閉じる事すら叶わぬ視界の端で、井戸の端に掛かったその手を、見た。

 「もう戻りましょうか」

 不意に声が駆けられ、女性はその場に崩れ落ちた。

 「もう、戻りましょうかね」

 声の主は、彼女の義母だった。義母は崩れ落ちた女性を支えて立ち上がらせると、その身体を支えながらゆっくりと母屋に向かって歩き出す。

 「お義母さん、あの、籠が。それに井戸が」

 「あれはいいの。笊も後で私が拾っておくから大丈夫。もう戻りましょう」

 そうして日の当たる場所へあと一歩となった時、不意に立ち止まった義母は、振り向くことなくこう言った。


 「 “あなた”も、もう戻りましょうね」

 


 義母は井戸に棲む何者かを知っていたのかと聞くと、女性は深く頷いた。

 「具体的に何かとまでは知らないらしいんです。けど『普段は井戸の底から上がってこないから悪さはしないのよ』と言ってました」

 「井戸に行くのも初めてではなかったとの事ですしね。ではどうしてその時だけちがったんでしょう? 」

 口許に手を当てて暫し思案していた女性は、急にハッと目を見開いて顔を上げた。

 「『昨日、雨が降ったから」と言ってました。

 「雨、ですか? 」

 「そうです。ただそれ以上は義母も口を閉ざしてしまって。あれからも度々義実家へは行ってるんですが、少なくとも私が来てる間は誰も井戸に近づかせないようにしているように思います」

 女性が語る話を聞きながら、私もまた考えていた。

 やはり小学生だけではなく大人にも体験者は存在した。ただし、これまで見聞きした土の話と比べても、共通点に乏しい内容でもある。寧ろ義母という『体験を共有する人物の存在』という新たな要素が出てきてしまい、この町における幽霊騒ぎの更なる広がりをも感じさせられてならない。

 それとも、この話と他の話にはまだ見つかっていない共通項があるのだろうかという点に思考が及んだ時だった。

 「そうそう、雨といえば! 」

急に大声を出した別の年配女性は、何かを閃いたように、ぽんっと手を叩く。

 「雨で思い出した。そういえば以前うちの孫も妙な事いってたわ」

 「お孫さんも、幽霊に遭遇しちゃったとか」

女性は首何度も縦に振った。

 「そうなのよ、遭遇よ、遭遇。もう五年は昔の秋頃だったかしら、ほら大雨が振った日にね、どうしても出掛けなきゃってなって、丁度学校帰りによってくれた親戚の女の子に孫を頼んでお留守番して貰ったのよ。その後帰ってきてからなんだけどね」



 「お外のお姉ちゃんたちのは? ない? 」

 前日から続いていたどしゃ降りの雨が多少の落ち着きを見せた秋頃のことだ。

 出先から漸く帰宅することができ、留守を任せていた親戚の少女、睦美への礼も込めてケーキを振る舞っていると、当時五歳であった女性の孫、綾美が脈絡もなくそう言ってきたのだという。

 「お外のお姉ちゃんかい? ここにいる睦美ちゃんじゃなくて? 」

 「ちがうの、お外で綾美を見てたお姉ちゃん達のよ」

 綾美の話を意訳するとこうだ。女性が出て暫くすると突然明かりが消え、周囲が暗くなった。睦美がブレーカーを見に行こうとして「ここで待っててね」と綾美を居間に一人にする。

不安と静寂の中、睦美が戻ってくるのを待っていた時、


 ……ズザッ、ズザッ


 それは、濡れた芝生を踏みしめる音に聞こえた。

 綾美は立ち上がり、庭に面したガラス戸の方へと歩いて行く。そこからは、一面に広がる芝生の絨毯が見える筈だった。

 ゆっくり、ゆっくりと近づいていき、漸くガラス戸の傍までくると、戸に手を当てて顔を近づける。ガラスを通した先に見えるのは雨に濡れて半分水に浸かった状態の芝生だけ。

 そこに暗い空から降り注ぐ水が芝の先で跳ねていく。その様子が何処か楽しく思えて暫く眺めていると、不意に綾美の顔に影が掛かる。

 影の元を辿って顔を上げると、暗い空を背に佇む三人の少女たちが、じぃっと綾美を見下ろしていた。暗くて姿は良く見えなかったが、その三対の目だけははっきりと覚えているという。

 「真っ暗なお顔にね、おめめがちゃんとついてたの。でね、じぃっと綾美を見てるのよ」

 暫くそうやって見つめ合っていると、不意に三人は踵を返して歩き出した。雨の降りしきる薄暗い外へ向かって。

 その時、彼女らの左腕が光ったように見えたが、次の瞬間ガラスに映った電灯の光が三人の姿を全てかき消してしまったという。


 「お外雨だからお姉ちゃん達もおうちに入れてあげなくちゃ」

 ひとしきり話した後、そういって走り出した綾美を追っていくと、背の低い彼女は目一杯手を伸ばしてドアノブを回そうと躍起になっていた。女性が慌てて制止しようとするも、綾美はイヤイヤと繰り返し、中々落ち着く様子はない。

 「お姉ちゃん達だってちゃんと傘くらいもってるわよ。入れてあげなくても大丈夫」

 「持ってなかったし、服もスカートも全部ずぶ濡れだったもん! あとね、すっごい優しいおめめしてたんだよ。綾美を怖がってないか心配してきてくれたんだよきっと! 」

 大人の理屈を超えた子共の理由に女性がどうしたもんかと唸っていると、傍にいた睦美が綾美に声を掛けた。

「綾美ちゃん、そのお姉ちゃん達って私と同じ制服じゃなかった?」

 睦美は腕を軽く広げて、着ていた制服を綾美に見せる様にくるくると回って見せた。

 「どうかなぁ。暗くてよくわかんなかったの……あ! 」

 頭を抱えていた綾美は突然声を上げると、少女が左腕に着けていたミサンガを指さした。

 「これ! お姉ちゃん達もつけてたよ。キラキラしてたから覚えてるもん」

 殊更自慢げに言う綾美に、睦美が膝をついて目線を合わせる。

 「そのお姉ちゃん達には私からお礼言っとくよ。多分心配してきてくれたはずだから」

 目に薄く涙を貯めつつ、笑いながら綾美に言った。



 女性が後で聞いた話によると、親戚の少女には小学校からの親友と呼べる友人が三人いて、揃いのミサンガをいつもつけていたという。

 時は過ぎて彼女らが高校に入学した年、少女一人を残して三人は信号無視の車に撥ねられ、帰らぬ人となった。この日より一昨年前の、同じく雨の降り続く秋の事だった。

 「それ聞いたら私も泣いちゃってねぇ。きっと暗いのが苦手な私と綾美ちゃんの為に見に来てくれたんだって言ってて……」

「なるほど。雨の日に、ですか」

 辛く悲しい、それでいて切なくも優しい友情に胸を打たれる思いだった。

 念のために綾美が亡くなった少女たちやミサンガの事を知っていたのか尋ねてみたが、やはり知らなかっただろうと返ってきた。

 とはいえ元はまだ5歳の子供の曖昧な発言だ。悪天候かつ停電で薄暗い視界と闇への恐怖が見せた幻覚が、その訴えを理解しようとする大人たちの言動で補正され、少女の亡くなった友人たちという存在との偶然の一致を果たしたという可能性も当然否定はできない。


 「あの……」

 その時、静かに聞いていた一人の女性が手を上げた。

 「雨が降った場所っていうのも、『水のある場所』にあたりますか?」

「まぁ、普通は水たまりのある場所と名指しで呼ぶでしょうが、水のある場所には違いないですかね」

 私がそう返すと、女性は一層顔を暗くした。どうしたのかと聞くと、女性は「自分には春香という娘がいるのですが」と前置きをして話し始めようとした。

 しかし、その名前には大いに聞き覚えがある。一度話を止めて確認すると、間違いなくその女性は学校で少女の霊を見た新見春香の母親であった。

 「昨日の朝、登校する春香を見送っていた時に、通りがかった駿君から学校での話を聞かされまして。最近不安定な子供達も多いって話でしたから、暫くは居残りせずに帰ってくるように話したばかりなんです。それに変なことも聞いちゃったし」

 「変なことも? 学校の子供達の話ではなく? 」

 春香の母親は首肯し、話を続ける。

 「いえね、私も主人も、駿君と二人して何かを見間違えたんだって思ってはいるんです。ただ、昨日の夕方にうちの近所に住む方にその話をしたんですけど、その時にね」



 新見家も新造された住宅地の一画に居を構える帰省組の一つであった。学校での一件のあった翌日の夕方、家の前で近所に住む別の主婦と話をしている時だった。

 丁度話題が学校の一件に移ろうとした時、下校してきた春香が歩いて二人の前へとやって来た。

 「ママ、ただいま。おば様、こんにちは」

  「おはよう、冷蔵庫にプリン入ってるからね」

 プリンに喜ぶ春香の背を目線で追っていたが、ふと、隣の女性がやけに静かであることに気付いた。

 視線を戻すと、見るからに青ざめた女性の顔があった。余りの風貌に思わず見続けている最中に、額から一筋の汗がつーっと伝って落ちていく。

 その目線は真っ直ぐ春香の背中へと注がれていた。

 「どうしました? 具合でも悪い? 」

 「あの子⋅⋅⋅⋅⋅⋅」

 あの子? 春香がどうかしたのだろうか。そう聞き返そうとした彼女の声は、女性の震える声に遮られた。

 「春香ちゃん、暫くはなるべく一人にしちゃ駄目よ。水のある場所も駄目。今度こそ連れていかれちゃうから」

 「連れていかれるって? 何処に」

 次の瞬間、女性はギュンッと擬音が付きそうな程に素早く振り向いてきた。顔は今だ青ざめたまま、二つの目を真ん丸に見開かせて春香の母親を見つめてきた。

 「とにかく水は避けて。春香ちゃん優しい子だから、本当に連れていかれるよ」

 「だから何処にですか……! 」

 要領を得ない内容に思わず声を荒げた瞬間、世界から一切の音が消え、二人の間を静寂が流れる。

 余りの静けさを気味悪く感じていた春香の母親へと視線を向けるる相手の女性。彼女は一呼吸置くと、抑揚のない声淡々とで告げた。


 「あの世」



 「私も主人もそういうのはあまり信じてないんですけど、言われるとやっぱり怖くなっちゃって。暫くはなるべく春香と一緒に居るようにしようと思っていたんです」

 そこまで話した春香の母親もまた、顔が青く染まってるように見えた。

 「それはつまり、その女の子は春香ちゃんを狙ってると? 」

 「いえ、そこまではとても聞けませんでした。けどそういうことを仰ってたのかなと」

 その女性の話を額縁通りに受け取ればそういうことだろう。水に近づけたら、死に近づくぞと。

 だが、私は自分口が発した言葉に自然と首をかしげていた。得体の知れない違和感を感じてならないが、それが何だったのかが自分でもわからない。少し考えた末、ひねり出した結論はこうだった。

 「でも海だけじゃないのはどうしてでしょうね。水のある場所って海や川だけじゃなくて、それこそ池や水たまりもですし、雨そのものも含めて水のある場所を指す言い方ですよね」

 公園の外に見える玉返川を見る。この川の先には当然海があるのだが、これが海や川に限定されていた場合、その海から川を伝って死人がやってくる、ということになるだろう。

 だがそれでは『水のある場所』とはならず、告げる際に海と川に限定しても良さそうなのだが。何故女性は『水のある場所』という言葉を使ったのか。

 そこまで考え、そして口に出して私は漸く気がついた。

 振り続いた雨、井戸の湧き水、玉返川、海。

 これらは全て『水のある場所』である。小学校の池もそれ自体はもう埋め立てられたとはいえ、土地に染み付いた全ての水分が抜けたわけではないだろうし、近くにはまだ水脈が通っている可能性もある。水、それも自然発生したもののある環境で、幽霊との遭遇やその目撃の多くは行われていた。

 とはいえ、この皆鹿目町は海もあれば川も、水路もあり、さらに言えば並び立つ山々に囲まれた地形の為に雨も良く降る。そこら中に水が存在するため、目撃場所が水のある場所ばかりになっても可笑しくはない。

 一方で『多くは』としたのは、この時点での例外があったからだ。それは他でもない、全ての発端である瑞樹の体験である。瑞樹と千代、そして『お姉ちゃん』との繋がりに『水』の存在は見られない。

 それとも、今は分かっていないだけでやはり彼女達の間にも『水』の存在があるのだろうか。そして、その女性が言うように、この町の『水のある場所』にはさらに共通する何かがあるとすれば。

 もしかしたらそれこそが子供達のみならず大人達にも深く根付くものの正体なのかもしれないと、この時の私は強く感じていた。


 その後、私は小学校が建つ前の池について聞いてみたところ、ミサンガを付けた少女たちの話をしてくれた女性が朧気ながら覚えていた。

 「あそこにあった池ででしょ。確か私が三十代の頃だから一九八〇年代の初め頃だったかしらね。元々池はあって、息子たちもよくあそこで遊んでたわ。一応一人で行くなとはよく言ってるご家庭も多かったんだけど、それでも遊ぶ子はいてね。亡くなった子も一人で遊んでたって聞いたわよ」

 その女性は亡くなった子供が女の子であったかどうかまでは残念ながら分からないと言った。亡くなった子供の家族も事故の後に町を引っ越していったらしい。ただ、当時その子とよく遊んでいたという男性を紹介してもらえることになった。

 女性が連絡をとったところ、丁度忙しくしていた時だったらしく後ほどまた連絡をもらえることになった。

 私の連絡先を伝えて電話が切れたところで、今度は私のスマホに佐々木から連絡がきた。遅くなったがそろそろ落合い昼食にしないか、という誘いだった。慌てて時計をみれば、時刻は午後の一時半になろうとしている。

 私が礼を言ってその場を去ろうと踵を返した時、背後から不意に呼び止められた。

 「すみません、一つ思い出したことが……」

 春香の母親は、自分の気のせいかもしれないがと前置きした上で、こう続けた。

 「家に入っていく春香を見ていた時、一瞬赤い布がちらっと見えた気がしたんです」

 「布、ですか? 」

 「ええ。布……というか、スカートというか。春香もスカートでしたけど色は緑だったのであれ? って」

 それだけならどこかに反射した光か何かを見間違えたともいえるだろう。

 けれども、赤いスカートと縁のある私は、言い知れぬ不安を抱かずにはいられなかった。

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