第7話

 翌日の朝、今日の行動目標をどうするかで頭を捻っていると、佐々木から電話がかかってきた。

 私も一度連絡を取りたいと思っていたところだったので、これ幸いと互いに現状報告をしあうことにする。

 佐々木からは、あの後も瑞樹はよく自室で誰かと会話しているようだという内容で、遂に佐々木本人もその様子を目撃するに至ったそうだ。そして明らかにおかしくなっている娘への心配が増した様で、すぐにでもお祓いが出来る寺社か、それとも心療内科等の扉をたたくべきかで悩んでいるという。

 一瞬、昨日子供達から聞いた瑞樹の話をすべきか迷ったが、それはひとまず置いておくことにする。

 そして「叩くなら専門機関の方を勧めるべきなんだろうが」と前置きしたうえで、昨日調べた山口千代の件や小学生達の体験談、そして、私自身もまた目撃者となってしまった川での一件を話した。


 「じゃあ瑞樹は公園でその死んだ女の子の霊に憑りつかれてきたっていうのか? 他の子供達や、その爺さんも? 」

 「一部の例外はあるけど、見えない奴と話したっていう当事者の行動は共通してる。もしかしたら他にもそういう体験をしている人がいるんじゃないかって思ってるし、そこから原因が何か掴めるかもしれないとは思うけどな」

 受話器の外が静かになり、ややあって。

 「お前、多分今日も聞き込みしにいくんだろ? なら俺も一緒にいくわ」

「いやでも、お前仕事は? 」

 「仕事だったらこんな時間に電話できないよ。元々うちは不定休で、今日は休みだ」

 時計を見ると既に朝の八時を過ぎていた。ならせっかくだと、午後に落ち合う約束をし、電話を切った。

 佐々木が来てくれると聞き、私は正直安堵していた。より多くの情報を集めるのであれば、住宅地以外にも足を運ぶ必要が出てくるだろうし、今の町を良く知る佐々木がいればよりスムーズに調べられそうだと考えていた。

 それに行動範囲を広げるということは、万が一にも他の知り合い、最悪の場合実家の人間に遭遇してしまう可能性が高くなる。父に比べて敷居は低いものの、やはり他の家族に対しても連絡を絶っている為に会えば気まずい空気になるのは必至だろう。 

 その点佐々木はこちらの事情も把握してくれているので、なるべく彼らに遭遇しにくいエリアの選定にも力になってくれるだろうと思っていた。

 その佐々木との約束を午後に取り付けられたので、午前中は調べものに当てようと決め、調べたいことを手近にあったホテルのメモ用紙に書き出していく。


 昨日見聞きした話の中で、この時の私が気になっていた点が二つあった。

 一つは野草が早い者勝ちだったという拓海が見た少年の言葉について。そしてもう一つは、小学校の池で溺死した子供の噂話について。

 後者は事実であれば、そのまま春香に見えていた女の子の身元を特定することが出来るかもしれない。一方で前者は調べたとしても少年本人の特定はおそらく困難だろう。

 だが、野草が取り合いになる状況で見ていけば、ある程度少年の生きた時代が絞られてくると考えていた。

 とりあえず取っ掛かりやすいのは小学校の池の方かと、私はスマホで瑞樹が通う小学校のホームページにアクセスした。

 瑞樹が通う皆鹿目第二小学校は住宅地の造成が始まった二〇〇〇年代に、元々玉返川沿いにあった校舎を老朽化に伴い移転させたものである。全校児童は合わせて四〇〇人程度であり、掲載されていた画像の一部には随分と近代的な校舎が写っていた。

 中庭の写真もあり、人工芝に覆われたその中心にそびえる立派な樫の木が印象的だった。明るく開放的なその庭園は、かつて暗い曰くを持つ池があったとは到底思えないほどに診ていて気持ちよさそうに思える。

 では、学校が移転してくる前の土地に、果たして本当に池はあったのだろうか。

 私は、国土地理院のページを表示させ、瑞樹が通う小学校周辺の地図を見てみることにした。残念ながら航空写真はさほど撮られていなかったので、簡易的な地図のみではあったが。

 そうして現在から遡って最も古いものを表示させていくと、後の学校が建てられる場所には確かに池が存在していた。地図の縮尺からすると、直径約五メートル程の結構大きなものだったらしい。

 しかし、学校が移転してくる前の一九九〇年代には既に埋め立てられ、更地となっていた。埋め立てから移転までに数年の間があるが、暗いうわさ話云々よりも移転の話自体は早々に出ていたのか、元々別のなにかに利用する予定だったのを変更した、と考える方が現実的だろう。

 その後も暫く池や溺水事故について調べてはみたが、これ以上の情報を得ることは難しそうであった。ならば書物の力に頼ろうと、私は鞄を持って部屋を出る。数十分後には、私は再び図書館の前に立っていた。


 昨日と同じく学習コーナーの一角を陣取り、皆鹿目町の歴史関係が収まる書架へと足を運んだ。

 幾つか目ぼしい書籍を手に取って戻ると、椅子に深く座って目を通していく。

 まず目を通したのは、皆鹿目町制定二十周年を記念して発行された百科事典の様な歴史書だった。旧石器時代の地理関係から近代の町政まで網羅されており、気合を入れて制作されたことが窺える。

 その中でも、学校についての記述を探して読み漁ったものの、既に知っていた以上の情報はなく、仕方ないと頭を切り替えて太平洋戦争に関わるページを開いてみた。


 戦時中、皆鹿目町の前身にあたる皆甕村は、今と違い山側に沿って築かれた農耕と漁業の村であった。また戦前より、村内だけでなく近隣の村同士や都市部へ赴いての通商も盛んに行われ、決して閉鎖的な村ではなかったという。そうして海産物や農作物を得る自給自足の術があったことから、開戦後においても、豊富とまではいかないが比較的食料に困ることは無かった。

 その為に食糧難に陥った都市部の住民が、食べ物を求めて僅かな反物や金品と交換に訪れたりしたこともあったそうだ。その時に、川辺に自生する『三月菜(からし菜)』等の野草を積んでいったそうで、地元住民が採りに来ても既に無い事がままあったという。

 少年の『早い者勝ちで直ぐ無くなっちまう』とはまさにこの事だろう。食べられるものを得るために、人々は我先にと摘み取っていったに違いない。

 しかし、食料が豊富な皆甕に疎開者が来ることは少なかった。太平洋側に開けた土地に築かれた村であった為に、空襲の危険が高かったのだ。

 実際に、北海道を除く日本列島全域への攻撃が本格化していた一九四四年の十月、飛来したB29によって村全体に鉛の雨が降り注がれた。

 後年に皆甕空襲と呼ばれるこの出来事は、僅かな疎開者を含む村民の約四割が死亡するという大惨事となった。亡くなった人々は村の寺社によって荼毘に付され、亡骸は山や浜で焼かれた後にそのまま埋葬されたという。

 そこまで読み進めた私は、次の文章に目が釘付けとなった。

 『攻撃は村全域に行われた為に、犠牲者もまた村の各地に及んでいた。終戦から二年後、犠牲者を弔うべく村の有志により各地に地蔵堂が建立された』

 次ページへの注釈に従いページをめくると、そこには一棟のお堂の写真が載っており、その中には花や食料といった供え物に囲まれている一体の地蔵の姿がある。

 撮影された場所や手厚く整えられた様子こそ違えど、その地蔵は佐々木家の向かいにあったあの地蔵とよく似ているように思えた。もしあの地蔵も、空襲の死没者に対して建立されたものであるならば、どこかにそれを現すものがあるのではないだろうか。


 私は立ち上がり歩いて建物の外へと出る。そしてスマホを取り出すと、震える指で佐々木の番号を呼び出し電話を掛けた。

 『おう、どうした? 約束は午後だったと思うけど』

 「あのさ、悪いんだけど家を出た時に向かいのお地蔵さん見てきてくれないか? 建立された日付とか、書いてある事。何でもいいから!」

 数コールで出た佐々木に、早口になりつつも要件を話す。電話口の佐々木は大分困惑しながらも了承してくれた。

 「あと、瑞樹ちゃんに例の『お姉ちゃん』の絵とか書いてもらって、特徴も聞いてきてくれ。頼むわ」

 そう言って、電話を切った。全力疾走した直後のように心臓が早鐘を打っていた。

 口許に手を当てて、少年が与えてくれた戦争という手掛かりから導き出した、半ば直観とも言える一つの考えを脳裏で反芻する。

 もし写真のものと確実に同一であるならば、そのすぐ傍で立ち続ける『お姉ちゃん』の正体とも無関係ではないかもしれない、と。


 再び読書を進めていって暫くすると、不意に肩を叩かれた。

 「お前子供の頃からいつもそうやってオカルト本読み漁ってたよな」

 「佐々木かぁ、驚かすなよ」

 多少オーバーに落胆して茶化してみるが、佐々木は馴れた様子でそれをあしらうと、隣の椅子を持ってきて横に座る。そして鞄から取り出した一つのファイル私の前に置いて見せた。

 「これ、頼まれてたやつと似顔絵な」

 「助かる。⋅⋅⋅⋅⋅⋅やっぱりそうか」

 佐々木はわざわざ写真で撮ったものをプリントアウトしてきたらしい。地蔵堂の裏側と思われる木壁には『昭和二十二年 十月 建立』と消えかけた墨字で書かれていた。それは、記載されていた地蔵堂の建立の時期と一致する。

 佐々木に書籍の写真を見せると、彼も目を丸くして驚いていた。

 「確かにうちのと同じだな。そんな謂れがあったなんてな……」

 「結構酷い状況だったそうだからな。でだ、空襲の死没者を祀るお地蔵さんのとこにいるんなら、その『お姉ちゃん』とやらも空襲の犠牲者のひとりなんじゃないかって思ってさ。もし家族が存命だとしたら、写真くらいはありそうだし」

 「それをこいつと照らし合わせる訳だな」

 ファイルにはいっていた『お姉ちゃん』の似顔絵は、小学三年生にしてはよく描けてると思った。それを伝えた佐々木の目尻を下げたニヤケ顔は、次回訪問時の土産に取っておくことにする。

 似顔絵にはセーラー服姿で両肩から三つ編みを下ろす女生徒の姿が描かれている。

 よく見るとセーラー服の下は模様のあるズボンのようなものが描かれており、先の地蔵尊の話と照らし合わせると、もしかしたらもんぺなのかもしれない。

 しかし、それ以上に特徴的なのは、左目のしたにある大きめの黒子と、襟を纏める赤いスカーフだろう。よく見ると、スカーフの端に小さく何かが描かれているようだった。

 「なぁ佐々木、これ何か分かるか? 」

 「小さくてよくは⋅⋅⋅⋅⋅⋅文字に見えなくもないけども」

文字だとすると、名前か校章かが刺繍されているのだろうか。だとしたら大きな特徴である。

 俺は似顔絵をファイルにしまうと、これからどう動くかを佐々木と話し合った。

 水樹の小学校も見れないかと口にするも、流石にこのご時世、父兄同伴とはいえ関係者でもない人物が立ち入るのはやはり駄目だそうだ。

 が、なんと佐々木は午前中に担任と電話をし、学校の状況の他にも件の池の噂について聞き出していたという。

 昔から行動力のある男だったと思い出しつつ、午前中に父兄対応を迫られた担任の心労を思うと少し心が痛んだ。


 佐々木の話によると、学校の状況は昨日の今日である為、大きな変化は無いという。そして、学校の池について私が調べた通り、移転時には既に存在しておらず移転後に埋め立てられたというのは事実ではないとのことだった。

 元々は山からの湧水によって出来た綺麗な池であったそうだが、移転のために埋め立てられたとのことだった。その後、移転自体は周囲の住宅造成に少しの遅れが生じ、それらの環境が整う頃を目処に移転実施と決まったため、着工までに間が空いてしまったのだという。

 「ただな、先生が言うには昭和の辺りに子供か誰かが溺れたってのはあったらしい。その先生も移転前から在籍してる先生に聞いただけらしいけどな。着工の前に『一応あの土地の事なので』って行政と不動産屋から説明があったんだと」

 「だとすると、その話が学校の噂として少しずつ内容を変えながら伝わっていたってことになるのか」

 「本当に幽霊がいるならな。でもなぁ⋅⋅⋅⋅⋅⋅暗いところで独り寂しく話し相手を求めてる子供の話ってのは、ちとキツいな」

 眉間に皺を寄せ、佐々木のみるみると目が潤っていく。二人の子供を持つ親としてはやりきれないものがあるだろうと思う。

 「それにしても、俺がこっちにいた頃はこんなに幽霊騒ぎは無かったよな? 十年も経ってるにしたって増えすぎじゃないか?」

 沈んだ雰囲気を変えるべく発した私の一言に、佐々木はうんうんと頷いて見せた。

 「そうだよなぁ? 俺達の子供の頃も幽霊、妖怪、ポケモン、怪談、ばっかだったけど、ここまでじゃなかったよな。大人は当然見えもしないし話せもしないしな」


 私たちの子供の頃、一九九○年代は昭和のこっくりさんブームに負けず劣らずのスピリチュアルブームであった。町を歩けば『月刊ムー』といったオカルト系専門誌に始まり、各誌のオカルト特集が書店を席巻していたし、各テレビ局もまたこぞってオカルト特番を組んで放送していた時代だった。

 そしてそれらは家庭の団らんに花を添えるにとどまらず、特に未熟な子供達の精神に深く根付き、心身に影響を及ぼすこともあったのだ。

 よく語られるエピソードの一つに、フジテレビ系教育番組『ポンキッキーズ』内『学校のこわいうわさ 花子さんがきた』にて紹介された『さっちゃん』の与えた影響の話がある。さっちゃんの噂話を最後まで聞いた子供達の元へさっちゃんが現れ、手に持った大鎌で刈り殺すという話で、最後には犠牲者も出てしまう内容だ。

 さっちゃん撃退にはバナナの絵を枕元に置いて寝るのだが、放映を見たその夜、恐怖のあまり実際にバナナの絵や本物のバナナを置いて眠る子供が続出したという。

 もう一つ忘れてはならないのがノストラダムスの予言にまつわる騒動だろう。作家であり予言研究者である五島勉氏が著書『ノストラダムスの大予言』にて紹介した『一九九九年七の月、天から恐怖の大王が降臨し人類を滅ぼす』という予言は余りにも有名だろう。

 一九九九年当時は更に、太陽系惑星が十字に並ぶグランドクロスや、翌二○○○年に控えていた二○○○年問題が予言に真実味を足していった。その結果子供だけでなく大人でさえもノストラダムスの予言について真剣に語り合い、本当に世界が滅ぶと信じて学校や仕事を拒否したり、抑うつ状態になってしまった人もいた。

 こういったスピリチュアルブームは二○○○年代に入ってからも続き、今なお『パワースポット』や一部の科学的根拠無き民間療法へと姿を変えて根付いたものを伸ばし続けている。

 私もかつては怪談や幽霊、呪いといったものに傾倒していた一人だった。けれども私が殊更特殊だったわけではなく、あの当時オカルトやスピリチュアルといったものは何処にでもある身近な存在だったのだ。

 しかし、私自身には大手を振って語れる体験は無く、周囲でも話題には上がるのは伝聞の話が殆どであり、自分自身の話として語る者はあまりいなかったように覚えていた。

 「とにかく、他にも幽霊話が無いか聞きに行くか」

 私の号令に佐々木も頷いて、私達は同時に席を立った。


 佐々木の車で玉返川に沿って進んでいると、ハンドルを握った佐々木が言う。

 「実はな、先生から聞いた話はもう一つあるんだ」

 「もう一つ? 一体何についてだよ」

 「……瑞樹の事で、ちょっとな」

 電話口で担任から伝えられたのは、瑞樹の交友関係に関する懸念だったという。

 元々瑞樹は空想気味な子供であり、多少人から浮いた面も持ち合わせていたのだという。それでも人見知り等は無く、誰とでも話が出来る子供ではあった為、いじめといったトラブルを抱え込むことは無いだろう、と佐々木をはじめ家族親族からはそう考えられていた。

 しかし、そんな瑞樹について担任からは全く別の見え方をしていたという。曰く、


 『誰とでも話は出来るが、浮いた雰囲気が壁となって継続した友人関係にまでは至りにくい』というものだ。


 知恵や大樹にも聞いてみたところ、友達の名は出るが一緒に遊ぶところを見たことが無く、別段禁止しているわけでもないのに友人を連れてくると言った様子も確かに無かったのだという。

 最近では『見えないお友達』を優先してしまっている為に、クラスの中でも積極的に人と関わろうとする様子がないそうだ。実際に知恵から聞いてみたところ、瑞樹はこう語った。

 「他の皆とはあんまり上手く遊べなかったりするけど、『ちよちゃん』と『お姉ちゃん』が遊んでくれるから寂しくないよ」

 この言葉は裏を返せば“二人が居なければ自分は寂しいのだ”ということになる。

 「俺も仕事ばかりだし、知恵も最近は大樹の塾やら行事やらで色々と任せっきりにさせちまっててさ、中々子供たちと話す時間がとれなくてな。だからという訳じゃないが、瑞樹がそんな事思ってたなんて気づいてやれてなかった。そりゃ幽霊とも遊びたくなるよなって」

 ちなみに瑞樹は今どうしているのかと聞けば、途端に佐々木の顔は苦々しいものへとかわる。

 「元々集まるのは午後からだっただろ? だから午前中は一緒に遊ぼうと思ってたんだが……『ちよちゃん』に取られちまったよ。多分『お姉ちゃん』も一緒に今も部屋にいるんだろうな」

 何というタイミングの悪さだろうか。子供に寂しいと聞かされて、いざ一緒にいてやろうとしたら見えないお友達に横から搔っ攫われてしまうとは。

 かといって下手に彼女らの存在を否定して瑞樹を混乱させるわけにもいかない。幽霊云々を抜きにしても対応が難しいところだろう。

 「なら今日は早く帰って一緒にご飯でも食べながら沢山話をすればいいよ。幽霊たちが入る隙も無いくらいにさ」

 「そうだな。嫌っていう位話して、話を聞いてやらなくちゃな」


 そんな会話を続けること数分。途中のパーキングエリアで車を降りた私達は、それぞれ別々の場所で聞き込みをすることにした。固まって行動しても豊富なデータは集められないと判断したからだった。

 落ち合う時間と場所を決めてすぐ、佐々木は駅前の商店街へと向かっていった。時刻は昼の十二時前、食事を求める人々でそれなりに賑わっているはずである。

 ということは他の知り合いか、もしかすると実家の母が買い物に来ているかもしれない。その事に気を遣われたのだろうと分かり、素直に甘えさせて貰うことにした私は彼と反対側、川の傍にある深水公園へと足を向けた。

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