第3話
「”ちよちゃん“はね、いつもあの公園で一人で遊んでるの」
たまたま帰りが遅くなった数か月前の夕方、夕焼けに染まる家路をたどっていた瑞樹の耳に、ギィー、ギィーと錆びついたブランコの音が聞こえてきたという。
音を辿って行った先の薄暗い公園で独り揺られていた少女。それが件の「ちよちゃん」との出会いだった。
瑞樹によれば、年齢は数えで7歳であり、常に白のブラウスに赤いスカートを身に着けているらしい。いかにも『それっぽい』恰好だなと私は思った。
「お母さんが帰ってこないから寂しいんだって。瑞樹もママがいないと寂しい気持ちがよくわかるから、一緒に遊んであげてたんだ」
「瑞樹ちゃんは優しいね。ちよちゃんのお母さんはお仕事か何かなのかな? 」
「違うよ。知らないお兄さんとどっかいっちゃったんだって」
真っ先に思い浮かんだのは、不倫によるネグレクトでの置き去りにされた少女の姿だった。母親に捨てられた孤独な少女が、夕方の寂しい公園でたった一人、ブランコを漕ぎながら母の帰りを待ち続けている。そのうちに自分が死んだことにも気づかないまま、たった一人で。
そこまで言ってしまえば飛躍のし過ぎと捉えられるのだろうが、ネグレクトという単語が一般に広く普及した今も、置き去りにされた末の衰弱死した子供のニュースは今なお後を絶たず、残念なことに現代ではそう珍しい事案でもなくなってしまっている。
だとしても、八歳の瑞樹が創り上げたとするイマジナリーフレンドにしては、些か具体的過ぎるようにも思えた。イマジナリーフレンドには所謂元ネタが存在しない例も多々あるが、このように具体性に溢れている場合だと大なり小なり、元ネタとなる人物や会話が存在しているものである。
けれども、この年齢の子供に残酷な虐待の現実を語って聞かせるべき理由など聞いたことが無く、また当事者に対してであっても避けられがちなのが現実だろう。
横で聞いていた知恵にも確認したが、中学生の大樹はともかくとして、小学校中学年の瑞樹にそのようなニュースは極力見せないようにしているとの事だった。
となると、調べるべきは小学校での瑞樹の行動状況だろう。虐待の徴候を持つ人物との接触や教師や友人との会話、それらが強烈な刺激となったかどうかである。そちらは知恵が学校側に聞いてきてくれるとのことだったので、お任せすることにした。
一方で私は、虐待児であろう「ちよちゃん」なる人物が過去に実在したかどうかを調べてみようと考えていた。
この時の正直な感想としては、本当に霊が接触してきているというよりも、イマジナリーフレンドの存在を認識し対話することによる精神の安定化を図っているか、単に空想の世界で一人遊びに興じているのではないかという可能性の方がまだ優位だと自覚していた。
確かに八歳が抱いたにしては具体的かつ悲壮的な思考であるとは思うが、子供という者はスポンジに水を灌ぐようにあらゆる情報を際限なく吸収しようとする。例えば不意に見てしまったドラマや家庭外での生活の中から、不倫や虐待といった情報に晒されていたとすれば、当然それらも吸収されて精神の奥に残っていただろう。
しかし、物には限度がある。余りに多く、また強烈な情報は受け止めきれないものだからこそRやZといった指定区分が存在するのだし、ストレスに対するコーピング行動も意識してとれるとはいいがたいのもまた子供という存在だ。
そうした予期せぬストレスが『ちよちゃん』を生み出したとすれば、まだ幽霊よりも説得力があると言えた。
だとしても、一連の要因が精神の不安定が生み出した想像の産物だろうと、はたまた実在する不可思議な存在だろうとも、どちらにせよ圧倒的に情報が不足している。
これでは看護師としてもオカルトオタクとしても、何をどうすることも出来やしない。いっそこのまま瑞樹に対し傾聴に徹し、得た内容を学校側や専門機関へ提供する程度での協力に徹しようかと内心で頭を捻っていた。
「ちよちゃんの事ならお姉ちゃんも知ってるよ? 」
瑞樹がそう言ってくるまでは。
「お姉ちゃんって、ちよちゃんのかい? 」
突然舞い込んできた第三者の存在。関係性を問うと、瑞樹は首を横に振った。
「いつも家のまえのお地蔵さんのとこにいるお姉ちゃんだよ。ちよちゃんの事とかこの街の事とか良く知ってるんだ」
聞くところによると、その『お姉ちゃん』は最初『ちよちゃん』が見つけて瑞樹に教えてきたのだという。セーラー服をきた中学生らしきその少女は、ある時瑞樹が帰宅しようとしていたところへ、遊んでいたちよちゃんと一緒に話しかけてきたそうだ。
「おかえりなさい、学校お疲れ様」と。
それ以降は瑞樹の方からも話しかける様になり、いまでは『ちよちゃん』も交えた三人で遊ぶこともあるという。
ママにも挨拶してたよ、続いた言葉に知恵は首を横に振る。その元々色白の顔に、青みが差してきているようにも見えた。
私は立ち上がり、部屋にある道路側に面した窓を開けた。下にある道路の向かいには件の地蔵以外に人影は見当たらない。私は瑞樹に尋ねた。
「ここからそのお姉ちゃんは見えるかな? 」
駆け寄ってきた瑞樹は窓から顔を出すと、誰もいない地蔵堂に向かって笑顔で手を振っていた。
佐々木家を辞すと、時刻は午後二時であった。日はまだ高いところにあったが、ゆっくりと傾き始めているようだった。
あれから瑞樹の後で知恵と大樹からも話を聞いたが、概ね佐々木から聞いていたものと同じ内容だった。
一つ追加すべきは、二人のどちらもが気づいていなかった『お姉ちゃん』の存在だろう。家の前に立つ地蔵堂の傍にいて、瑞樹だけが知覚する謎の存在。佐々木家を辞する際再び地蔵堂を見てみたが、やはり私も『お姉ちゃん』と出会うことはできなかった。
瑞樹にしか見えない存在の二人。いや、二人だけとは限らないかもしれない。
初めに都内で今回のあらましを聞いた際、佐々木は瑞樹について「昔から空想気味な子ではあった」と評していた。瑞樹の部屋を辞した後、それをもとに知恵にも幼児期の娘について尋ねてみた。すると、成育歴そのものにトラブルの徴候はなかったが、やはり瑞樹は周囲の感情に敏感な感受性に優れた子供であり、空想の友人についても感情豊かに語る事が多かったという。
それらにも当然『みーちゃん』や『ぽんちゃん』といった名前がついてはいたものの、容姿については人間や動物、植物等多岐にわたっていたそうだ。無論3歳前後の子供の発言であるため知恵の意訳も多分に含まれているだろう。
だが、それらの中でもいくつかは確実に人間の容姿をし、人物の愛称で呼ばれていたものがあったという。例を示すと先の『みーちゃん』はひらひらした長い袖の服をきた女の子だという。
このひらひらした長い袖の服が仮に着物を指すとすれば、瑞樹に見えていた『みーちゃん』なる存在について俄然具体性が増してくる。
所謂霊感に優れた人物というのは、得てして感受性に優れているともよく言い換えられるものだ。瑞樹は生まれ持った感度の高さで、周囲の人間には見えない何かを見てきたのではないだろうか。
この時、瑞樹の語る『ちよちゃん』の背景と少女の容姿から想像した儚く幽玄な雰囲気が私のオカルトオタクとしての血を湧き立たせていた。今ならば、何てふざけた奴だと自分でも思う。それでも、私の中で彼女達は既にただのイマジナリーフレンドなどではなく、言ってしまえば、霊的な存在だと感じられてならなかった。
とはいえ、佐々木家で見聞きした内容を客観的に見れば、瑞樹が創り上げた二人目の空想の存在が明らかになったに過ぎず、科学的には未だ精神の代償行動説が優勢と言える。それに私自身も今回の訪問において、知恵や大樹の様に直接もう一人の声を聞けたわけではない。
『ちよちゃん』と『お姉ちゃん』とは何者で、何故瑞樹の前に姿を現したのか。その一端でも掴みたい私は、実際に件の公園へと行ってみることにした。
佐々木家前の通りを下って国道へ戻り、数メートル先の横道へと入る。そこは緩い坂道となっており、通学路を示す表示が至る所に見受けられた。
地図を見ると、この道を真っすぐ行った先が瑞樹の通う小学校となっており、例の公園はその途中にあるようだ。弾む気持ちを抑えつつ、私は足取りも軽く坂道を上って行った。
暫く進むと、右手前方に木が生い茂る空間が見えてきた。目の前までくると、そこは家一軒ほどの空間であり、内周をいくつかの植木や花壇で囲った中にベンチや砂場、そして一対のブランコが設置されている。
道に面した入り口は両サイドをフェンスに挟まれ、そこに『皆鹿目第三公園』と書かれた看板が立てられていた。周囲を木と閑静な住宅に囲まれているため、これは確かに風や振動の影響は少なそうだと感じた。一方で、日が空に面しているのは真上のみである為、傾けば大分薄暗くなるのだろうとも想像できた。
中に入ってみても、そこは何の変哲もない普通の公園だった。幼い頃はよく母や佐々木をはじめとする友人達とこういった公園で遊んだ日々が思い出される。暗くなってくると、よく蒐集した怖い話や都市伝説を話して盛り上がったものだ。
しかし今は遊ぶ子供は誰もおらず、物音ひとつない静けさが広がっている。
それにしても、と私は園内をぐるりと見渡して思う。昼過ぎとはいえ日は未だ高く昇っているにもかかわらず、園内はやけに薄暗く感じられた。数本とはいえ鬱蒼と茂る木々のせいか、はたまた「ちよちゃん」という心理的瑕疵要件の存在のせいか。
それをひと先ず意識の外へ置いて件のブランコへと近づいてみるが、突然揺れたりすることも無くじっとその場に静止している。近づいたり、離れたり、また近づいて座面や支柱、それらを繋ぐ鎖等を念入りに観察してみるも揺れが起こる様子はない。
本当に此処には何もいないのか、それとも今は再び瑞樹の元へ行っているのだろうか。
こうしていても仕方ないと内心肩を落としつつ、出入口へと踵を返して一歩足を踏み出した。
――ギィー、ギィー。
その錆びついた金属音は私の背後から聞こえてきた。思わず足を止める。
暫くじっと動けないままだったが、音はまだ続いていた。
荒れる呼吸を押さえつけて、数を数える。一、二。
三、で一気に振り返った。
薄暗い無風の公園の中、黙してそこに佇むブランコ姿がぼんやりと浮かび上がっているように見えた。
公園を出て暫く歩いていると、小学校の方向からランドセルを背負った子供たちが歩いてくる様子が見えた。聞こえてくる会話は授業や給食、流行りのゲームといった他愛のない内容で、誰もが溢れんばかりの笑顔と身振り手振りを交えて話す姿が微笑ましく思えた。
「そういやさ、2組の奴が裏山で見たんだってよ! あと商店街のとこでも! 」
「マジで? こないだの新見のとかと一緒じゃん! 」
具体的な名称も無いのに話が通じている辺り、会話の中心は相当有名なものらしい。出現位置も一定ではない様子に、一体何を見たというのだろうかと首をかしげていた。
「佐々木とか佐藤とか、あと近藤とかさ。最近増えたよなー、幽霊見た奴」
考えるより先に、私の足は彼らの元へと駆け出していた。
一瞬防犯ブザーを鳴らされかけたものの、何とか瑞樹の知り合いだと説明して漸く話を聞いてもらうことができた。
「じゃあ、クラスのお友達の多くが幽霊とか似たような何かを見るようになったんだね?」
「そうだよ。今じゃ見て無い奴の方が少ないかも」
子供たちは顔を見合わせ、互いに頷き合っている。それだけで幽霊の存在が彼らの周辺で周知の事実と化している事が良く分かった。
「佐々木さんもだけど、他の子もよく誰もいないとこに向かって話してて、聞いたら『知らない子がいた』って言ってるよ」
「俺もそこの川であいつと一緒に遊んでたら『誰と遊んでたの?』って母ちゃんに言われてさ、それであいつは幽霊だったんだってすげぇビビった! 」
最後に話をしてきた子はこの集団唯一の当事者であるらしく、日の当たらぬ場所で話を聞かせてもらおうと、再び来た道を戻る事にした。
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