三:
◇
──“マリス様は、1番素敵な宝石って何だと思う?"
不意に名指しされて、マリスは仕方なく読みさしの書物から顔をあげる。眼前には講義前の雑談を楽しむ3、4人の級友たちの顔が並んでいる。
これは彼女がまだ王都の魔法学校に通っていた頃の記憶で、その時迷いなく答えた言葉をマリスははっきりと覚えている。
──
ささやかな笑みと共に、しかしふざけてはいない口調でマリスは答えた。
級友たちは顔を見合わせて、それから戸惑い交じりに苦笑した。「見たことがない」とか「あれって宝石でしたっけ?」、「いえ、危ない石だよ?」、「やっぱりお考えになることが違うね」と囁き合っている。
まぁ確かに宝石ではないな、とマリス自身も思いはしたが、特に訂正する気にはならなかった。どうせ美しい石など他には知らない。
ただ、実際にその現物を目にする魔法使いはほとんどいない。決して親しみ深いものでないことは、級友たちの微妙な反応が物語っている通りだった。
話題の潮目が変わった頃を見計らい、マリスは書物を閉じ、小脇に抱えてそっと席を立った。次の始業まで、静かな場所で続きを読もうと思った。
級友たちは名残惜しそうにしつつ、誰も邪魔立てしない。敬慕と遠慮をもって見送られ、彼女はひとり静かに教室から抜け出した。
マリスは学内1番の有名人だった。気ままな猫のような振る舞いにも関わらず、周囲の誰もが彼女に対して一目も二目も置くのには理由があった。
まずもって、彼女の養父は王国で最も名高い魔法使いであり、この魔法学校の創立者でもあった。彼女自身の魔法の技量も卓抜していて、老練な講師陣が「10年、いや20年に1人の逸材だ」と舌を巻くほどだった。そして何より、良家の子弟子女の中に混ざってみても、その端正な容姿は別格の存在感を放っていた。
だから級友たちは何かにつけてマリスに話しかけ、どうにかお近づきになれないかと考えていたのだが、当の本人は寄せられる好意や称賛のほとんどを他人事のように受け流しながら過ごしていた。駄弁る暇があるなら書物を読んで魔法を磨く、マリスはそういう少女だった。
教室を後にすると、石畳の回廊に進み出る。陽射しのこぼれる中庭に面した、ロの字型の回廊。それに沿って教室のちょうど対面側までぐるりと回れば、短い丸太を寝かせたような腰掛けが置かれている。1人になりたい時、マリスは大抵そこへ向かった。自分以外の誰もそんな離れまで座りに来ないし、中庭から溢れんばかりに植わった草木が人目を遮ってくれるからだ。
その時もいつも通りにそこを目指して歩き始めた矢先、背後から声がした。
──“あの、マリス様。”
振り返ったマリスが見たのは、背が高くて赤い髪、そして少し垂れ目気味の柔和そうな女子。うっすらと見覚えはある、級友の誰か。今まで喋った記憶はなかった。
──“よろしければ、ご一緒してもいいですか?”
マリスはまず眉根を寄せて彼女を睨んだ。
──何か用?
──“さ、さっき仰ってましたよね?
──確かに言ったけど、それが?
すると彼女は一層緊張しながら、意を決したようにマリスに言った。
──“じ、実はわたしも、どんな宝石よりも
マリスは2、3度
──念のため訊くけど、他の石と間違えてないよね?
──“ま、間違えてはないです!”
──君は
──“は、はい、もちろん何度も! 故郷の方では、身近に感じながら育ってきたぐらいで……。”
──身近?
ぴくりと耳が動いて、マリスは思わず彼女に訊ね返した。
──君、源炉の傍にでも住んでたの?
──“あ……い、いえ、そうではないんですけど……。”
そこで彼女はにわかに顔を曇らせて、怯えたように押し黙ってしまった。自分の出自を口にすることについて、憚られる何かがあるかのようだった。
そもそも、ほとんどの魔法使いが
そこで、約40年前に着手されたのが魔法開放改革だ。魔法に必要なのは
その結果、今の王国領内において、
そんな
マリスがその答えに気づくまで、しかしそれほど時間はかからなかった。
──確認なんだけど。
目の前で押し黙る彼女に、マリスは静かに口を開いた。
──君はただ、わたしと
──“え……は、はいっ!”
名前を呼ばれた犬のように、彼女はマリスを見た。
その瞳を、そして彼女の表情全体を、マリスは鷹のように見つめた。緊張感ある
──うん……わかった。じゃあ、付いてきていいよ。この先に腰掛けがあるから。
──“えっ? よ、よろしいのですか?”
──うん。わたしも君の話を少し聞きたい。
その一言で、不安一色だった彼女の顔は、花が咲いたように明るくなった。今までたくさん笑ったことがあるのだろう、笑顔が素敵な子だとマリスは思った。
対してマリスの表情は依然として晴れなかった。
もし、彼女の出自が自分の想像通りであったなら──この子がこうしてわたしに近づくのを、大人たちはきっと許さない。
やるせない想いを抱きながらゆっくり歩き始めたマリスの隣へ、そわそわと遠慮がちに彼女は並んだ。小柄なマリスと背の高い彼女とでは、歳の離れた姉弟のようだった。
──“お、お訊きしてもいいですか?”
──どうぞ。
──“マリス様は王都のお生まれですよね?”
──そうだね。生まれも育ちも。
──“きっかけは何だったんですか?
――きっかけは父。父さんの部屋に
――“お部屋に
――そういう家だったからね。
マリスの脳裏に、机に向かう養父の背中の、ぼやけた心像が浮かんだ。
――伝糸や抽出象形の改良に使うからって特例をもらってたみたい。父さんは宮廷から帰ると部屋にこもって、作業の手元はいつも蒼く光ってた。だからわたしも君と同じ、
そうする内に目当ての腰掛けに辿り着き、2人は並んでそこへ座った。
建物の日陰に置かれた腰掛けは心地よくひんやりとしていた。晴れ渡った空の下、中庭の景色を前にして、そよ風の気配だけが寄り添っていた。
ここなら誰にも邪魔されない。秘密の話をするならば、こんなに素敵な舞台はない。
――もっとも、わたしと君の境遇は、きっと全然違うと思うのだけど。
まるで楔を打ち込むように力強くそう言って、マリスは隣の彼女の顔をじっと見つめた。
──正直に言ってほしい。君の故郷というのは、守戒派の地域なんじゃないの?
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