第108話 人質交換

気がつくと、車の後部座席に寝かされていた。後ろ手と足首をそれぞれロープで縛られていた。口はふさがっていなかった。車の中を見回すと、かなり小さな軽自動車のようで、運転席にタチアナのみで、他に仲間はいなかった。


どこに連れて行くのだろう?イワンの元へだろうか?


車の窓から見える道路の周り景色は、殺風景な一面の低木の草原が広がっていた。


空はどんより曇っていて太陽が見えないので、今何時頃で、どっちの方角に向かっているかも分からなかった。


30分ほどそんな状況が続いた。私がごそごそ動くので、タチアナは私が目が覚めたと、気がついたようだが、特に気にしていないようだった。


なんとなく、ちょっと前のよそよそしい他人行儀のタチアナと雰囲気が違う気がした。ダメ元で、私を勇気を出して声をかけてみた。


「タチアナ、どこに向かっているの?」


タチアナは答えなかった。


やっぱり私の思い過ごしか。


ロープは解けそうになかったし、私は諦めて、あがくのを止めた。


しばらくして、車が止まった。彼女は運転席から降りると、後部座席のドアを開け、ナイフで私の足のロープを切った。


「降りろ」


私は言われたままに、車から降りた。目の前に大きな川が流れていて、鉄橋がかかっていた。鉄橋は一応道路になっているが、車は1台も通らなかった。支線の支線程度の裏道の橋なのだろう。


私達の車の周りには誰もいなかった。目の前の濁った川と錆びた無愛想な鉄橋、後ろは殺風景な草原が広がっていた。


タチアナはここで私を殺すのだろうか?それとも逃してくれる?でも、こんなところで逃してもらっても、どっちへ行ってよいか分からない。


「歩け」


背中をこづかれて、私は鉄橋の方へ仕向けられた。鉄橋を渡り始めると、横風がヒューヒューときつかった。


橋から落とされるのかも。こんな濁流に落とされたら、多分溺れる。


タチアナは私の後ろ手のロープをしっかり握っているから、走って逃げれそうにない。彼女の運動能力の高さは市庁舎でのエペ剣での戦闘の際に、充分というほど思い知っている。私がジタバタしてどうこうできるレベルではない。


私はタチアナに促されるまま、彼女を後ろにして、鉄橋を渡って行った。


ふと、鉄橋の向こうから、人が歩いてくるのに気がついた。二人だ。よく見ると、一人は両手が自由だが、もう一人は私と同じように手を後ろに回している。多分後ろで手を縛られている。


そして、その男の顔を私は覚えていた。ルッコラだ。赤い狼の頭。


その男の隣りにいるのは、動きやすい作業服のような服を着ている男で、顔はアジア系だった。よく見ると、鉄橋の向こう側にも一台車が止まっており、そこにもう一人誰かいた。


こちらと向こうが、ともに鉄橋の中央付近から100m位の所で歩みを止めた。


向こうのアジア系の男が手を上げた。


それに答えて、タチアナも手を上げ、そして、私の後ろ手に縛ったロープをナイフで切った。


「行け」


タチアナが言った。私は状況が分からなかった。ルッコラが拉致されたということを知らなかったし、それを実行したのが自衛隊の特戦群だということも知らなかった。だから、向こうのアジア系の男と、タチアナを比べると、どっちが安全かすぐには判断できなかった。


ただ、もしかしたら、日本の何らかの機関が助けに来てくれたのかもしれないという考えが一瞬頭に湧き、次にそれは確信に変わった。


私はタチアナをそこに残し、一人で鉄橋を渡り始めた。向こうから、ルッコラも一人でこちらに歩き始めていた。


その時、後ろから声がした。タチアナだった。


「もう、2度とロシアに来るなよ」


えっ、と私は振り向こうとしたが、すぐに


「振り返るな」


とタチアナに言われ、前を向いた。


私はそのまま前を向き続け、橋の中央でルッコラと交差し、アジア系の男の所へ行った。


「ご無事でしたか?」


彼は特戦群の者だと名乗り、知事から直々に依頼を受けたと言った。

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