第69話 死んだはずが
まもなく正面の大きな扉が開き、私たちは中に通された。門から屋敷まで、50mほど距離があり、庭は純和風であった。手入れの行き届いた松や鯉が泳いでいる池があった。屋敷に入り、客間に上がった。屋敷の中も純和風の作りだった。
私たち3人は、畳部屋の客間のテーブルの下座に座って待った。
ゲリラがなぜこんな暮らしができるのか不思議だった。私にとってゲリラのイメージは山賊とダブっていたので、どうしても貧乏なものだった。
しばらくすると、横の襖が開き、一人の男が入ってきた。私は顔を見上げた。間違いなく水崎さんだった。
彼は机の私たちの反対側、上座に座った。わざわざ遠いところをご苦労と言った。私を見ても、特に反応が無かった。覚えていないのかもしれない。
龍峰さんが事情を説明し始めた。韓国軍が呉侵攻の援軍として島根に向かっており、その妨害にこのゲリラで協力して欲しい旨を伝えた。水崎さんは、当然の努めだ、と協力すると言った。そして、自分たちゲリラの活動の説明をした。中国軍の活動を妨害するために、こんなことをしているとか、こんな被害を与えたとか。
でも、私の記憶では水崎さんはたしか新潟の12旅団の人だったはずだ。
「そちらのお嬢さんは、以前お会いしたことがあるかな?」
彼が私に話題を振ったので、私は、白川郷で一度会ったことがあると答えた。
「あの作戦は、うまく行ったのか?」
私にとって、あの作戦の結末は悲劇だった。しかし、自治体連合軍から見たら、成功だった。私は頷いた。
「私は川ではぐれてから、逃げるので精一杯だった。東へ行けば自治体連合の地域だったけど、そちらには中国兵が大勢居て、行けなかった。そこで、西へとにかく逃げて、ここまで来た」
彼はここ尾道で、町内会のような小さな組織が中国軍に対して抵抗運動を行っていることを知った。それに彼も加わり、やがて地元の名士に見込まれて、この屋敷に住み込み、広く有志を募ってゲリラを組織し、中国軍に対して抵抗運動を続けていた。
「中国軍を歓迎している者など一人もいない」
それから、妨害工作の計画やゲリラの招集などの準備で一晩かかるので、明日の出発になる、それまではゆっくりとしていきなさいと、私たち三人に向かっていった。彼は早速準備をするからと言って立ち上がった。そして、衛星の制御装置の奪還作戦や、その他にもいくつか話したいから、私に屋上の物見櫓に来ないか、と誘った。龍峰さんが行くように促したので、私は水崎さんに付いて行った。
長い廊下を歩き、階段を登り、さらに急な階段を登った。そこはこの建物では一番高い位置らしく、20畳ほどの仕切りのない一部屋だった。通常の建物では3階くらいの高さだろう。周囲は360度見晴らしが良く、物見櫓には違いないが、ほぼ天守閣のような構造だった。部屋の中央には、場違いなL字ソファーとテーブルが有り、部屋の端にさらに場違いなバーカウンターがあった。
彼はバーカウンターで自分でウイスキーの水割りを作り、私に何か飲むかと聞いた。私はお茶と答えた。
「君はまだ未成年だったね」
彼はテーブルまでグラスを2つ持ってきて、お茶を私の前に起き、ソファーの斜め向かいに座った。
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