第65話 龍峰さん

私はその日の午後、輸送機に載せられ、大阪空港に着いた。そこから車で姫路駐屯地へ行き、そこで私の両親役の二人と合流した。


40代前半くらいの男性の龍峰2曹と、30代中頃の女性の福山1士だ。用意された白いバンの岡山ナンバーの車で、私たち3人は、ゲリラがいるという尾道へ向け、出発した。


私は後部座席に乗り、龍峰さんが運転し、福山さんは助手席に座った。もちろん任務のための偽の家族ということは分かっているが、それでもなんかウキウキした気分になった。私は家族で旅行に行った記憶がなかった。小学校のとき、同じクラスの子の家族旅行の話を聞いて、家族で旅行をするということを初めて知った。今から思うと、私は親から普通の生活というものを教わらなかった。でもそれは私の親が私に意地悪して意図してそうしたのではなく、親自身が普通の生活、普通の人間関係を知らなかったからだと思う。自分が知らないものを子供に教えられるわけがない。


兵庫と、岡山の間の主要道路は封鎖されているので、監視の目がない山奥のウネウネとした細い山道を一路西へ進んだ。


龍峰さんは広島出身の人で、もとは海田市駐屯地にいたと言った。仕事で広島を離れている間に中国軍の強襲があり、そのまま広島に戻れなくなった。近くの名古屋の駐屯地へ出頭し、そこで勤務についたという。私が家族を聞くと二人と答えた。きっと奥さんが一人で広島で帰宅を待っているのだろうと思ったら、娘だと言った。


「妻は早くに亡くなってね。父子家庭です」


娘さんは自宅通学の大学生で、生活は一人で出来るから特に心配していないものの、治安の面が不安だと言う。


「ネットや電話が遮断されて、全く連絡が取れなくて」


今回、この作戦に志願したのも、娘に会いに、出来る限り広島に行きたいという気持ちからだと言った。


少し話しただけだが、龍峰さんは穏やかそうな感じの人だった。こんな父親なら子供も穏やかな人なのだろう、そう伝えると彼は大げさに否定した。


「とんでもない、大学入ってからも一緒に住んでいましたが、それは家賃や生活費が浮くからで、高校の時は家出を繰り返す不良娘でした。自分の親をクソジジイなんて呼ぶんですよ」


男手一つで娘を育てるのは大変で、さらに仕事が忙しく家をあけることが多かったため、小学校の時から数日一人で家で過ごさせるなどは、ザラだったという。


「構ってほしいという娘なりのメッセージだったのでしょう、今頃分かっても遅いのですが」


私の父も、私のことをそんな風に思っているのだろうか?私が父に対して最初の違和感を感じたのは小学校、確か3年か4年の時だ。


授業で描いた絵が入賞し、学校から賞状とその絵を持って、誇らしく帰ってきた。親に見せて、褒めてもらえると思って。父に見せると、父はニコリともせず、ぼそっと言った。


「お前、絵描きだけはなるなよ」


その時は何とも思わなかった。しかし数ヶ月、数年と時間が経つにつれて、私は必要とされていないのではないかという気持ちが湧いてきて、そう認識するきっかけがあの絵画の件に思えた。

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