第61話 中国人鍼師
しばらく、運ばれてきた飲み物を飲みながら、ひとときの休息を満喫していた。
「すみません」
声がして、顔を上げると、男性が目の前に立っていた。部屋の隅のテーブルにいた人だった。
「先程、店員に暴動のこと、聞いていましたよね。何かご存知ですか?」
40代後半の恰幅が良い人だった。私はええと軽く返事をした。
「私も、ちょっと気になっていまして、良かったら、知っていること、教えていただけませんか?」
何か私の知らないことを聞けるかもしれないと、席を促した。
男性は、4人席の私の斜め90度の席に座り、自己紹介した。
「私は、市内で鍼治療院をしている張と申します」
ちょっと変な訛りがあると思ったが、中国人だったのか。
私にどんなことを知っているか聞くので、藤原さんのこととか、食堂で聞いた噂を話した。
「自衛隊の関係者ですか?」
アルバイトと答えた。
彼は、一連の暴動は、人々の日常生活の欲求不満の現れで、先日までの停電と断水で、そのストレスが爆発したと持論を述べた。
「今の世の中の人は、皆、何かしらストレスを抱えて生活しています。体の不調の原因はストレスです。ストレスは精神の話なので、私にはどうしようもありません。でも、体の不調は取り除くことができます。私は、鍼治療で、患者さんの体の不調を取り除いています」
鍼師はそう言って、かばんの中から2枚折りのA4サイズの自分の治療院のパンフレットを私の目の前に差し出した。
一応、ざっと目を通した。鍼とか、お灸とか、指圧とか、電気治療とか、あと各種保険使えますとあった。
今の所必要ないな、おじいさん、おばあさん相手の仕事だろうなと思って、パンフレットを返した。
間が空いたので、飲み物を飲んで、場をつなぎ、気になっていたことを聞いた。
「中国の方って、今の日本で住みにくくないですか?」
埼玉では、中国人は見つかり次第、身柄を拘束されていた。停電と中国軍の政府占領以来、中国人が暴動を起こしたということもあるし、それに反感を持った日本人が逆に、暴動とは無関係の中国人を襲うこともあったので、中国人を保護するためでもあった。
収容所は郊外の空き学校などが割り当てられていた。
「この辺りでは、そういうことはありません。いずれどうなるかは分かりませんが。私は政府と人民は別だと思います。政府同士で仲違いしても、人民同士は仲良くすべきです」
確かに建前はそうだけど、この辺りも自治体連合に加わったのだから、いずれこの人も収容所に入れられるだろう。楽観的な人だなー。
鍼師は続けた。
「私は、体の不調だけではなく、心の不調も取り除きたいです。そのために、日夜努力と研究を続けてきました。そして、ついに心の不調、ストレスを取り除く方法を開発しました。開発しました。」
あれっ、鍼師の声がこだました。
目を上げると、鍼師の顔がぼやけて、二重に見えた。天井がぐるぐる回り始めた。
私の真正面には飲みかけのグラスがあり、そう言えばパンフレットを目の前に出された時、鍼師のもう一方の手は、パンフレットの後ろ、つまり飲みかけのグラス辺りにあったなと思い出した。そして、意識を失ってしまった。
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