第44話 一戸さん

食堂の裏口から外に出て、休憩している時に、ある人が話しかけてきた。


一戸さんという、30前半の男の人。所属は通信小隊。


私が体育館のかんぬきを開けたことを知っていた。


「本当に助かったよ」


最初、そう声をかけてきた。


私がなんでここでバイトしているかという話になった。


親がずっと帰ってこないので、食料調達を自分でやっている。でも、お金があった方がいろいろ便利だから、と答えた。


「えらいねー」


それ以来、休憩中に、一戸さんと次第に雑談をするようになった。


といっても、一戸さんから一方的に話題を振ってくるから、私はそれに簡単に答えるだけだ。


私の境遇は話しにくかったので、今何してるの?という質問に対しては、うーん、と言ってぼやかした。


一戸さんは中卒で入隊したと言った。


「親が親戚の借金の連帯保証人になって、その人、逃げちゃった。中2の頃かな。その後、親が離婚して、自分は母と暮らしてたんだけど、母も病気で寝込むようになり、高校へ行けなかった」


意外な生い立ちに、驚いた。


話す物腰は穏やかで、そんな大変な経験をしているようには見えない。全然苦労している人には見えなかった。


私も高校を中退したと言った。一戸さんは別段態度が変わらない。


「僕よりも3ヶ月優秀だね」


変な褒め方だが、避けられたり、変な目で見られたりしなかったことが嬉しかった。


初めて人に言えて、心の重荷が軽くなった。


そして、意外と、人は私の生い立ちを気にしないと思った。


「これ、僕の家族」


そう言って、1枚の写真を見せてくれた。同じくらいの年の女性と、2,3才の女の子が写っていた。


「結婚されていたんですね」


見た目が若いから、独身かと思っていた。


「娘が可愛くてね、自分の生きがい」


そう言って、目を細めた。


この人は今の自分に満足しているんだな。


一戸さんは全身から幸せオーラを出していた。


「子供ができるとね、人生半分、いやほとんどやり終えたって感じ。ほら、昆虫とか、魚とかは産卵するとすぐ死んじゃうでしょ。あれと一緒。自分も、もう思い残すこともないかなって感じ」


その気持はわからない。


思い残すことがないほど、満たされた人生を送った経験がないから。


「人の寿命って、実質的には35くらいだと思うよ。その後は余生というか、おまけというか」


一戸さんは続けた。


「よく年配の男が、若い女の子にモテないから、若い男に対抗して、男の魅力は知恵と財力だとか言うけど、あーいうのは根本的な勘違いなんだよ。35過ぎた時点で、生物として終わっているんだよ。女の子にもてようとするのが間違ってる。すでにゾンビなんだよ。ゾンビはゾンビらしく慎ましく暮らしていけばいい」


35才以上はゾンビというのは、随分極端な。


けど、少し安心した。私の知っている35才以上の人と言えば、真っ先の両親が思い浮かぶ。


その両親をゾンビと思っている人がいるという事実が、両親の言うことが絶対的ではないという確証に思えたからだ。


その話題は、他の人が一戸さんに話しかけてきたことで終わり、私も炊事場へ戻った。

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