第5話「進む関係」

 日増しに視線を感じる。


 男子から、そして女子からも。


 俺と六歌が一緒に叩いていると、数人で集まって陰口を叩いているのがわかった。


 これは思い過ごしではない。


 ただでさえ伏し目がちな彼女の顔に、影が差しているから。


 この日は体育館の講堂にて練習を行っていた。秋に入ろうという季節だが、まだまだ熱気がこもっている。一回三分の演目を叩くだけで、背中に汗が流れるほどだ。


 秋の文化祭に向けての練習では、全員で頭から終わりまで通しでやった。演目や部員の紹介などを入れて三十分程度。


 ただ、個々の演目ならばともかく、全体を通してだと仕上がっているとは言いにくい。


 例えば、掴みとして一番上手い人をはじめに置くとする。その人は次の演目は休むか、締め太鼓を叩くとする。体力的に出ずっぱりというのは難しい。そして、極力部員たちに太鼓を披露する機会も作らなくてはいけない。野球などとは違って、太鼓には補欠がない。出番がないとわかると、部から離れてしまうだろう。


 あけすけに言うと、下手な人にも出番を作らないといけない。


 そうなるとバランスが難しい。まさか一番、もしくはトリを任せるわけにはいかない。だから二番目または三番目の演目に出てもらうことになる。


 そうなると最初の演目は仕上がっていても、次の演目でがくっと音の調子が落ちるということがある。


 雰囲気で、表情で、腕の振りで、体の動かし方で、空気の震えで、床から伝わる振動で、俺でもそれぐらいのことはわかる。


 だから部長や副部長が苛ついているのも、無理ないと思っていた。


「————、————」

「——、————。————」


 部長と副部長が講壇の上の部員たちに何かを言っている。その後ろでは顧問が困り顔で様子を見守っていた。


 部長が息を吐き、副部長が両手をぶんぶんと振る。休憩だろうと判断した時には、すでに部員たちはばらけていた。彼らの顔は緊張でこわばっていた。


 講壇から下り、水でも飲もうかと体育館を横切ったところで――顧問が手を振って俺を呼んでいた。


「どうか、しましたか」

「いやあ、なんというかな。ちょっとな」


 今のに何かしらミスをしていただろうか。特にはないはず。


 顧問は何かしら言いにくそうに口を曲げたりしていた。そういう風にやられると、口が読み取りづらくなるからやめてほしいのだが。


狼山ろうやま、もう少し抑え目にできないか?」

「抑え目に、というと?」

「ちょっとな、お前さん悪目立ちしているっていうかな。あまり派手にやられると、他のみんながかすんでしまうっていうか」

「…………」

「お前さんが下手ってわけじゃないんだ。逆なんだよ。……わかるか?」

「わかります」

「そうか」と顧問は安心したように言った。


 俺は体育館から出た。外も暑いが、屋内に戻って休もうという気にはなれなかった。


 飲み物を買い、どうしたものかとぶらついていたところで――体育館の脇の小路に、六歌りっかが歩いていくのが見えた。


 なんとなく後を追って――体育館の陰から覗き込んでみる。


 六歌はアスファルトの上に腰かけていた。手持ち無沙汰にスポーツ飲料をぶらぶらとしている。


 声をかけるべきかどうか迷った。


 今、メモ帳もペンも持ってきてない。


 ただこのタイミングを逃したら、次にいつ話せるようになるかわからないという直感が働いたのも事実だった。休憩の時間が終わったらどうするのか。いつ、また話せるかもわからない。今がチャンスしかない。この機会を逃せば……。


 足が進まない。体が火照るのは、暑さのせいだけではない。


 一人きりの女子に話しかけるというのはとても勇気がいる。加えて、相手が何を言おうとしているのか読み取れるのかという不安もある。変なことを口走ったりしないか。そもそもなんで自分は六歌に話しかけたいと思ったのか。


 あれこれと懊悩して――ふと、鹿野山かのやま先生の顔が脳裏をよぎった。もしも先生がこんなところを見たら、「情けない奴だな」と手話で言われることだろう。それは腹立たしい。


 俺はいったん深呼吸をした。手や足が震えているような気がする。


 なるべく自然に。なるべく自然に。


 俺はひょいと体育館の陰から出て、それから六歌に近づいていく。彼女は俺に気づいたらしく、口を「あ」の形にしていた。


「やあ」と俺は手を上げた。一気に体温が上昇する。

「狼山くん、お疲れ様」

「あ……お疲れ」


 そこから先の言葉が出なかった。


 固まりかけている俺に「座る?」と六歌が隣を指さす。「お、おう」とどもりながら、俺は六歌の隣に腰を下ろした。


 スポーツ飲料をごくごくと飲み、六歌が俺に首を向けて言う。


「暑いね」

「ああ、暑いな」


 そこでいったん、会話は途切れた。世間話をしようにも、どういった話題が適切なのか判断しかねる。


 当たり障りのない、それでいてかつ共通の話題になるような――


「あ、あのさ……どうして和太鼓部に、入ろうと思ったの?」

「うん? 大したことないよ。楽しそうだと思ったから」

「そうかな」

「そう。でも、————が上手かったってこともある――——かな」

「……?」

「去年の学祭で叩いてたでしょ、狼山くん」

「あ、うん」

「凄いなって思っちゃった。後で狼山くんが耳が聞こえないと知って、もっと驚いちゃった。どうやったらあんな風に叩けるのかなって、一度聞いてみたかったの」

「そう、なのか」

「でも、————だけどね。……わたしね、ダンス部に入っていたの。見たことない?」

「少しだけ」


 去年の学祭の時、和太鼓部の後にダンス部が控えていたけれど、六歌のことはまだ意識していなかった。彼女とは別のクラスだったし、接点はほとんどなかった。


「ダンス部辞めて、こっちに来たってこと?」

「そうなるね」

 俺は遠慮がちに、「どうして?」

「ま、ちょっと足をやっちゃって。というのは建前だけど」


 六歌は天を仰いだ。


「ダンス部の女の子がさ、なんていうのかな。合わなかったんだよね」

「…………」

「話していると、嫌でもわかるの。あ、この子はわたしのこと嫌いなんだなって。わたしが――――で、嫌そうな顔をする子もいるし。それでなんだか――――楽しめなくなって、もういいやって退部しちゃった」


 俺は「そうか」と短く相槌を打った。


「でもね、和太鼓部に行ってもそんな感じだったんだよね」


 立てた両膝に額を落とす。この角度からでは何を言っているのかわからない。まさか自分から「顔を上げてくれ」なんて言えない。


 六歌はしばらくうずくまるようにしていた。


 俺も何も言わないようにしていた。


 やがておもむろに、六歌は面を上げた。


「狼山くんって、いつも人の顔をよく見てるよね」

「いや、それは唇を読むから」

「そうだよね。……どのくらい、聞こえないの?」

「全然。子供の時に、熱を出して、それ以降何も聞こえない」

「そうなんだ。わたしには――――世界だな」


 すごいな、と六歌は言った。


「狼山くん、太鼓は好き?」

「うん? まあ、好きだけど」

「そうだよね。好きじゃないと続けられないよね」

「犬……塚さんはどうなの?」

「好きとも嫌いともいえないかな。わたしだって楽しみたいんだけど、なんかね。聴いている分には楽しいのに、いざ自分がやってみるとなると色々難しく感じちゃう」

「そうか……」

「太鼓だけじゃなくて、音楽は本当は自由なものだと思うんだけどね」

「うん、そうだな。そういうものだと俺も思う」


 じーっと六歌は、俺の目を見てきた。


 心臓が跳ね上がる。顔を背けそうになる。


 でも、目を離せない。近寄りがたく、それでいて引き込まれる輝き。安易に踏み込んだりしたら、戻ってこれなくなりそうだった。


「狼山くんって、つり目だよね」

「藪から棒に何を言うか」

「ごめんごめん。ふっとね、疑問がわいてきたの」

「疑問?」


 うん、と六歌は小さくうなずいてからこう言った。


「君の目には音楽はどう映るの?」

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