第3話「犬塚六歌との会話」

 俺と六歌りっかがペアになったため自然にというか、自動的にというか――ともかく、俺が教えることとなった。


 六歌はまだ和太鼓部に入って日が浅い。体力が要るものはまだ早い。だから基本の構えのみで終始する演目を叩くことになった。


 基本の構えとは立てた和太鼓に正面から向き合って、上から下にバチを振り落とす形のものだ。初心者は大抵、この構えから始める。基本的な構えゆえに、熟練者ほど足や腰の使い方が問われるものでもある。


 教える時に、不必要に長い言葉は要らない。腕を振って、「こう」と伝えるだけ。手を振って、体を動かして、「こう」と教えていく。


 六歌は呑み込みがよかった。


 バチはまっすぐに伸びているし、音も申し分ない。膝を軽く曲げ、腰を落としている。叩く時に肘を軽く曲げている。和太鼓部に入ってまだ一か月程度なのに、基本の構えをマスターしようとしていた。


 そんな六歌だから、合わせるのに苦労しなかった。


 ドン、ドコドンドンドンドンドンドン……

 ドン、ドコドンドンドンドンドンドン……


 俺は下打——締め太鼓を叩いている人のバチの振りと、六歌の腕の動きを見て叩いていた。バチを上に降り、落とすタイミングは一緒に叩く人の技量に左右される。上手い人なら合わせるのに苦労しないが、下手な人とやると引っ張られてしまいがちだ。その点でいえば、六歌とは魅力的なパートナーといえた。


 特につっかえることなく、俺と六歌の初の打ち合わせはほぼ完璧に終わった。


 おー、と男子たちが手を叩いている。女子も遅れて手を打った。面白くない。と顔が語っている。


 叩き終えた俺は、とりあえず他の部員に譲るために太鼓から離れた。壁際で水分補給をしていると、六歌がそろそろと近づいてきた。六歌がこの距離までやって来たことはなかったので、俺はつい身構えてしまう。


狼山ろうやまくん、上手いね」


 最初の発言が読み取れたのは僥倖だった。普段からうつむきがちで、角度的に口が読み取りづらいのだ。


「ああ……そうだね、いゆづかさんも」


 ここでひとつ釈明しよう。俺は「ぬ」の単語が非常に苦手だ。舌を口の裏側にくっつけて声を発さないといけない。だが俺の場合どうしても、「ぬ」が「ゆ」になってしまう。しかもその後に「づ」が続く。本当に発音しづらい。そのことがちょっとコンプレックスだ。


 六歌は驚いたように眉を上げた。


「狼山くんって、話せるんだ」

「話せるよ、そりゃ」

「今まで話したところ、見たことがないから」

「……話すこと、あまり得意じゃないから」

「そうなんだ。ねえ、————太鼓、————?」


 バチを持ち上げて聞いてくる。さっきの太鼓がどうだったかについてか。


 俺は壁から離れ、「うん」とバチを握った。


「とても上手い。前に太鼓を、えっと……叩いたことが、あるの?」

「ううん、未経験」

「そうなのか。すごく、勘がいい」

「狼山くんに――――、照れちゃうな」


 六歌はふと思いついたように、「ちょっと待ってて」と手で押さえる仕草をした。いったん俺から離れ、自分の鞄をまさぐって、再び戻ってくる。


 手にしていたのはメモ帳とペン。


「これならどうかな?」


 俺は小刻みにうなずいた。本当なら自分からそうしなければいけないのだが、どうにも気後れしてしまう。相手が六歌だとなおさら余計に。


 六歌はメモ帳に書き込んでいる。


 俺はその様子をただ見ていた。


〈狼山くんって、いつから太鼓をやっているの?〉


 彼女の文字は綺麗だった。丸っこくもなく、かといって止めや跳ねが鋭くもない。


 字が綺麗な人にはよい印象を持てる。


 俺は差し出された彼女のメモ帳に、返事を書き込む。


〈小学校の時からやっているかな〉

〈ベテランさんなんだね〉

〈それほどでもないよ。俺より上手い人はいくらでもいたし〉

〈そうなのかな? 狼山くんが一番上手いと思うけど〉


 俺はそれを見、少し返事に迷った。


 なるほど、彼女がここでメモ帳を持ってきたのもわかる。言いたいことを言うために、筆談はかなり便利だ。


〈そんなことはないよ。俺は周りのみんなの動きを見て合わせてるから。周りに人がいないと、音がズレてしまうんだ〉

〈そうなんだ。でも、それができる狼山くんってすごいよね〉


 俺はぎこちなく首を横に振った。まったくの買いかぶりだ。


 ふと、太鼓の音が止んだ。そろそろ自分たちの番が来る。


 俺の視線に気づいた六歌が、後ろを振り向いた。


「そろそろだね。————、狼山くん、またね」


 手を振り、太鼓の方に移動していく。


 男子からの羨望の眼差しを肌で感じていたが、俺はいつものように気にしていないふりをした。


 本当は心臓がばくばくといっている。


 高校に入って以来、女子とここまで長く話したのはこれが初めてだ。

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