第2話「狼山咲のポジション」
男子のほぼ全員が、六歌に教えたがっていた。
女子のほぼ全員が、六歌のことを煙たがっていた。
声は聞こえなくても、視線でわかる。表情でわかる。そして太鼓を叩いている時の感触でわかる。六歌と一緒に叩いている時とそうでない時とで、明らかに音の質が異なるのだ。彼女のことを意識するあまり、腕の振りが乱れることがある。
和太鼓部は俺を入れて男子が六名、六歌を入れて女子が八名。基本的に音楽室で叩いている。都合のいい時は体育館の講壇で、他の生徒を観客として練習もしている。
ただ、全員に太鼓が割り当てられているわけじゃない。
そもそも太鼓は高額だ。高校生が背伸びして買えるような代物ではない。バチも衣装も足袋も揃えようと思ったら、半年以上バイトでもする必要がある。
そういうわけで俺たち和太鼓部は、寄付として頂いた少ない太鼓を使い合っている。
大太鼓が三つ、締め太鼓が二つ、そしてチャッパという金属製の楽器や笛。そして部費で購入した一人ひとりのバチ。
そして個々人の技量。これも武器。
ただ、俺にだけはもうひとつ武器があった。目という、単純ではあるが強力な武器が。
「相変わらず上手いもんだ」
丸々とした体形の顧問は感心してうなずいている。
「本当は聞こえているんじゃないかって思うぐらいだ。まあ、こんなことを言われていい気持ちするかはわからんが」
「はあ」
この顧問はあけすけにものを言うので、毎度微妙な気持ちになる。
「コツとかあるのか?」
「みんなの動きを見て合わせているので」
「前にも言っていたな。だが、みんなも同じようにできるわけじゃないんだよな。どうしてだかわからんな。不思議だな」
「はあ」と曖昧に相槌を打つ。
俺に言われても困る。
顧問から解放され、俺は壁際の席に戻った。今は休憩中で、部員たちはめいめいにお喋りを楽しんでいる。人の輪が二つ三つはできているが、その中で犬塚六歌はどこか浮いているように見える。一歩離れた場所で様子を窺っているような、曖昧な笑みを浮かべていた。
「——、——ま、狼山!」
強めに背中を叩かれ、俺は振り返った。南という男子が、にやにやとしていた。女受けの悪そうな顔だ。
「さっきのはよかったぞ。——、——、だな!」
「ああ、ありがとう」
後半は読み取れなかったが、南の表情から悪いことを言っているわけではないと判断して礼を言っておいた。
「ところで、——、——か?」
「えっと……」
「だから、——、——、——よ」
「…………」
「…………」
気まずさに耐えかねるように、南は「ごめんごめん」と言って他の男子グループに戻っていった。
いつもこうだ。相手の言っていることがわからない時と、そうでない時とがある。南は口形がぐちゃぐちゃで、お世辞にも話し方が綺麗とは言いがたい。筆談でもすればいいのだろうが、いつも紙とペンを持ち歩いているわけじゃない。
それに、相手が南だと積極的にコミュニケーションを取ろうという気もわかない。
「——、——」
全員が等しく部長の方に首を向けたので、俺もそれに倣った。
「みんな、——、——、——」
距離があるため、ここからでは口を読み取れない。かといって俺に合わせてゆっくりと話してもらうわけにもいかない。だから俺はいつも通り、部長の話を聞いているようなふりをして、部長の裏のホワイトボードを見ていた。
ボードには秋の学祭の公演について書かれていた。書いたのはイラスト好きな副部長で、簡素な猫の絵がある。
〈
表題の下には演目と、その下に(大)(締)(チャッパ)(笛)というように書かれている。これで太鼓を叩く順番を決めていくのだろう。一年前の学祭もそうだったから。
「——、——なので、————てくれ」
部長はまず、(大)の文字を指さした。トップバッターで大太鼓を叩きたいかどうか。率先して手を挙げたのは南で、他にはあまりやりたい人はいないらしい。副部長は(大)の下に(一、南)と書いた。あまり気の進まない表情で。
二番目も決まり、そろそろかなと目途をつける。
「——、——」
部長の指が三番目に叩く人を募集している。トリを務めるのは嫌だから、とりあえず適当に手を挙げてみた。
そして――犬塚六歌も手を挙げた。
すると残った男子がこぞって手を挙げた。わかりやすい。
部長は呆れたように腰に両手を当てた。
「お前たち、——、——」
すると男子たちが立ち上がったり、天井に向けてひらひらと手を振ったりした。じゃんけんで決めろ、ということか。
別に負けてもよかった。ただ結果的に、俺が勝ち残った。
なぜこんなところで、強運が発動するのか。
副部長が(大)の下に、こう書いた。
(三番、狼山咲 犬塚六歌)
男子からの嫉妬と羨望と怨嗟を一身に浴びる。
思わず天を仰ぎたくなった。
六歌はこちらを見ていた。嬉しそうなわけでも、嫌そうな顔でもない。そうなんだ、とでも言いたげだった。
でも、彼女は小さく手を振った。
俺も小さく手を上げて――なんだか気恥ずかしくなった。
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