辺境国の女王

ヒラ少尉

第一章 辺境国の女王

第1話 死にたがりの少女

 薄暗い部屋が連なっていた。

 光すら届かない真っ暗な部屋もある。

 大木のような柱、石造りの壁面、はるか上に見える天井、湿った空気と、厚いコケに覆われた祭祀の前に私はいた。


 私は笑う。

 

 こんな陰気な場所に好んで来る者がいるならば、よほどの変わり者かバカに違いないと、自分を棚に上げて妄想したからだ。

 四方石積に囲まれた部屋に、石を削り出して作られた人型の供物台がある。

 そこがこの祭祀の特等席だと考えている。

 私はいつものように供物台に寝そべり、ぼんやりと暗い天井を見つめていた。

 天井には人身御供を示す残忍な石版が並んでいる。


 一枚目は供物台に寝かされた人間が描かれている。


 二枚目には寝かされた人間の胸が裂かれている。


 三枚目には胸から何かを取り出している。


 あれは心臓なのだと私は考えていた。

 遠い昔、他国から多くの少女をさらい、神事の生贄として殺した場所があると聞いたことがある。

 多分ここがそうなのだろう、この石板はそれらの行為を証明しているのだ。

 さて、それが事実だとして、この人型の供物台はいったい何人の血肉をすすってきたのだろうか?

 いま私はその供物代に身を預けている。

 多くの娘が絶望と絶命を繰り返した石の上にである。


 「趣味深いことだ」


 私の壊れた意識はそう答えるのである。

 こんな私を不気味な石象が見下ろしていた。

 いさめているのだろうか? いや違う、あれは血肉を欲しているのだ。

 私はあえてそう考えるようにしている。

 なぜならば、その方が興奮するからだ。

 罰当たり? いまさら過去の惨事を気にしたところでどうなるというのだ。

 そんなこと私の知ったことではない。

 なら、お前はここで何をしているのだと問われれば、素直に暇をつぶしていると言うだろう。

 私は今を楽しもうと努力しているのだ。

 この煩わしい世界から逃げるために。重い責任を忘れるために。

 人を遠ざけ、忌み嫌われ、人の理から隔離された過去の世界に潜むように。

 ここが唯一私でいられる場所なのだ。




 供物台から見える祭祀は広く、石組みの壁から漏れる光が藻類を輝かせ美しいと思った。

 網目のように絡み合った根が壁面を押し出し、分厚い苔の敷物が奥まで続いていた。

 それらは風化の中で残った過去の記憶のようだと思えた。

 残忍な神事を後世の目から隠そうとしているのかとも思った。

 不気味な石象は変わらずまだ私を見下ろしている。

 

 私は帯をほどいた。

 

 帯は供物台の脇に落ちていく。

 袖に指をすべらせ、じらしながら胸元をめくった。

 自分の心臓の位置に人差し指をかざす。

 不気味な石象は何も答えなかった。

 私はまたしても笑う。

 何をやっているのだと我に返ったからだ。

 普段の私には考えられない。

 思考も行動も含め、こんな趣味があるとは驚きだ。

 普段から隠れているもう一人の自分が、解き放てと耳打ちしているのか?

 だからといって限度があるだろう。これはもう悪乗りである。

 何をやっているのかわかった上で、私は更に悪乗りを積み重ねていく。

 上半身を起こすと、着ていたローブがスルりと滑り落ちた。さらに頭に巻いていた絹織物を外し髪を振りほぐす。

 大きく息をすって、全身の力を抜くようにゆっくりと吐き出した。

 不思議なものである。たったこれだけで重い何かを払拭したような気がするのだ。

 今だけの解放感というやつである。

 だが、そうはいかないものも世の中にはありふれている。

 私は外した織物を両手で広げた。

 それは楔模様が刺しゅうされた織物だった。いつもの見慣れた柄である。

 私は口をとがらせた。

 うなるようなため息を吐き出し、織物を丸め供物台の下に落とした。

 ここからの私は、何かに突き動かされるような気分であった。

 着ていた衣服をすべて脱ぎ捨て、腰に装備していた不似合いな細剣も足元に転がした。

 束縛からの開放感が全身から湧き、声を漏らしながら大きく背伸びをした。

 私は勢いよく供物台に転がる。

 全身を何度もくねらせ、のけぞりながらゆっくりと力を抜いていった。

 出入り口から吹き込む風が森の匂いを運び、体をくすぐるように抜けていく。

 ほどよい眠気がこみあげる。

 こんな私を、ここで絶命した者達はどう見ているのだろうな。そんな無意味な事をふと思う。

 全裸となった私は、いけにえの姿そのものだからだ。

 神々は長年の飢えや渇きを私で満たそうとするのだろうか、それはそれでいいのかもしれない、どうせ生きていても地獄みたいなものだ。

 この命、あえて捧げるのも悪くない。ここで終わることに未練も無い。

 さあ神よ! 我が胸を裂き心臓を奪うがよい!

 私の考えは際限なく飛躍する。


「ありえない!」


 思わず口に出し、すべての妄想を否定した。

 神なんて存在しない、そんなものは幻だ。

 胸に手を当て目を閉じる。大きく息を吸って自分を落ち着かせた。

 また悪い癖が出てしまったと舌打ちする。現実逃避が行きすぎて、死ぬ理由や手段が私の中で消えては浮かびを繰り返すのだ。

 人を殺すのは人であって神ではない。信仰という理由があろうとも手を下すのは人間なのだ。


「知っているか? この石壇の上に人を乗せ、生きたまま心臓を取り出し神にささげたのだ。考えられるか? 生きたままだぞ」


 それは誰に語ったのかわからない独り言だった。 

 声は天井に触れ、壁に触れ、祭壇に反響音として広がり、その後風がかき消していく。

 いつも行きつく葛藤の答えが余韻だけを残し、私の中を通り過ぎていくのを感じた。

 私は力なくうなだれる。

 暗く霞む天井。

 視線が石像に触れる。

 ぐるりと見渡すと、部屋を囲むように不気味な石像が並んでいた。

 人身御供を描いた石板もいつもと同じである。

 私は一時の間を置き、供物台にころがった。

 いつもより暗く感じるが気のせいだろうか、そんなことを考えていた時、私はある異変に気付いた。

 虫の鳴き声がしないのだ。

 小動物の気配もない。

 それらが重なり違和感へと変わる。

 天井を覆う闇。光すら通さない漆黒の闇。暗く澱んだそれを、私は目を凝らして凝視していた。

 説明できない何かに覆われ、どこか吸い込まれそうになる自分がいた。


「だれかいるのか?」


 私は叫ばすにはいられなかった。

 闇からの返事は無い。

 私は考えがまとまらずにいた。

 神への妄想が行き過ぎ、ありえない存在を具現したのか?

 神とやらが私に気付き、血肉を喰らいに来たのか?

 いや、そもそも私は神という存在を否定しているのだ。

 無神論者の私が神の定義について興奮しているというのか? 

 私は噴き出して笑った。

 それとも時を越え、この場で解体された少女達の霊が私に抗議しにきたのか?

 いやいや、これもあり得ない。

 そもそも私はそれほどロマンチストではないのだ。

 私は首をひねる。

 ならばそれは人なのだ、人でなくてはならないのだ。しかし、私以外の人間がこんな趣味深い所に何の用があるというのだ。

 妙な興奮が沸き起こる。

 私はこの場で誰かの気配を悟り、さらに見られていると認識したのだ。

 

「一体だれが何のため……」


 私は思わず言葉を詰まらせていた。

 なぜなら私は全裸でここに居たからだ。

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