第12話 笑顔のために

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 病院の廊下を、沙帆が花束を持って歩いてくる。沙帆は秀輝が入院してから、毎日病院に足を運んで看病していた。病院に向かう途中の花屋で、シンビジュームを見つけ購入した。陽の光に照らされ黄色の花が、より鮮やかに部屋を明るくするはずだった。

 沙帆は、ドアを開けて病室に入る。秀輝と同室の患者に軽い会釈をして、窓際の秀輝のベッドへ向かう。


「おはようございま~す。」


 仕切りのカーテンを開けると、ベッドに寝ているはずの秀輝がいなかった。


「あれ?トイレかな・・・。」


 沙帆はベッド脇の椅子に腰掛け、秀輝が戻って来るのを待った。秀輝の病室は窓からベイブリッジがよく見え景観は最高だった。

 窓からの景色を暫く見ていたが、秀輝はなかなか病室に戻ってこなかった。気になって秀輝の様子を見に廊下に出る。


「休憩室?」


 テレビのある休憩室にも秀輝の姿はなかった。辺りを見渡す沙帆に、秀輝を担当している看護師が声を掛けた。


「どうかされましたか?」

「篠塚さんはどこに?」

「えっ・・・いませんか?」

「はい。」


 沙帆は、看護師と病室に戻る。やはり、秀輝の姿はなかった。看護師が同室の患者に聞いてい回っている横で、沙帆は秀輝の私物が入っている引き出し等をチェックする。

 財布と上着が無くなっていた。


「・・・ない。」


 ベッドの下に置かれていた靴もなく、サンダルがベッドの横に綺麗に並べられている。

 イルリガートルスタンドに吊るされた点滴は、針がそのままになってベッドの下に放置されていた。看護師が血相を変えて病室を出てナースセンターに向かう。沙帆も看護師の後を追って病室を出て行く。


「どうしたんですか?他で検査でも・・・。」


 動揺している看護師に沙帆は尋ねる。


「いいえ。検査は、さっき終わったばかりですから・・・。」


 看護師は、ナースセンターの電話を取り担当医に連絡をする。


「805号室の篠塚さんがいないんです!」


 状況を伝えている看護師の顔が、見る見るうちに青ざめていき次第に慌て出す。


「はい、すぐ御家族に連絡します。」


 担当医から指示を受け、看護師はナースセンターから秀輝の実家に電話をかけている。


「いないってどういうことですか?」


 電話を掛け終えた看護師の肩を掴んで沙帆が訊ねる。


「そんなこと、私が知りたいですよ!」


沙帆の顔から一気に血の気が引く。


「大丈夫ですよね!」

「大丈夫なわけありませんよ。絶対安静なのよ。」


 看護師は沙帆にそう叫ぶと、非常階段の扉を勢いよく開けて駆け下りて行った。暫く事態を整理出来ずにいた沙帆だが、和明に連絡しながら看護師の後を追った。



※              ※             



 秀輝が病室からいなくなった事は、沙帆からの連絡で仲間たちに伝わった。秀輝の捜索に、和明たちが思い当たる場所へ向かっていた。 

 和明や眞江、尊や伸次郎は会社を早引きして秀輝の捜索に当たっていた。和明は秀輝の高校時代の親友/西條誠にも連絡していた。誠も、急遽会社を早退して秀輝の捜索に手を貸していた。

 山下公園の脇に車を路駐して、和明が携帯電話に向かって話をしている。山下公園全域を捜索したが、見つからず目撃者もいなかった。


「今、山下公園だけど、ここにはいないみたいだ・・・。」


 和明は辺りを見渡しながら話をしている。


「警察にも、一応連絡してあるんだろう?・・・うん、別のところを探してみるよ。田原のとこ?・・・いたら田原が連絡してくるだろ。違う違う、別のところだよ。」


 なかなか見つからない苛立ちが、徐々に焦りに変わっていく。


「あ、それから田原には黙っていろよ。」


 電話を切った和明は、辺りをもう一度見渡した。秀輝の姿はなく、変わらない日常の風景がそこにあった。


“ どこにいるんだよ。”


 焦りと苛立ちを抱え込み、和明は車を発進させた。



※        ※        ※



 秀輝が病院を抜け出した事など知らない史美は、部屋で一人過去の写真を見ながら物思いにふけっていた。

 小学校の卒業アルバム。ガイドの説明を聞いている写真にも、距離は離れているが史美と秀輝が写っている。史美はカメラ目線だが、秀輝は史美の方を見て写っている。数百枚も撮ったであろう様々なカット、その殆どが史美を見つめて写っている。

 中学の修学旅行では、見学先がクラスごとに違っていた。しかし、そこでも史美と秀輝は場所が同じだった。この時の写真も、秀輝の視線の先には史美がいた。まるで史美を守っているかのような立ち位置に思わずほっこりしてしまう。


“ ボディガードじゃないんだから・・・。”


 史美は見ていたアルバムを閉じて、病室にいる秀輝を思った。


” 頑張って・・・。”


 インターホンが突然鳴る。史美は持っていたアルバムを棚に戻し玄関に向かった。ドアを開けると、そこには俊一が立っていた。


「俊ちゃん・・・。」

「異動になったんだ。係長として、しばらく大阪にいることになった。」

「おめでとう。」

「会わずに行こうとは思っていたんだけど、やっぱり最後に顔が見たくなって。ごめん。」

「ううん、そんなことないよ。」


 俊一は、すぐに目が腫れている史美に気付く。


「何か、あった?」

「・・・うん。」


 史美は俊一を外へ誘った。



※             ※             



 史美と俊一は、公園のベンチに座っている。

 公園には学校終わりの子供たちが、滑り台やブランコに興じている。公園の横には、俊一が乗ってきた車が駐車してあった。

 史美は、俊一に今まで起きたことを全て話した。真相は秀輝に口止めをされているが、せめて俊一だけには伝えておこうと思った。俊一は、秀輝の壮絶な行動に絶句している。


「凄いな。・・・篠塚君は。」

「うん。」

「でも・・・、ホントに大丈夫なのか?」

「うん、安静にしていれば大丈夫って医者も言ってたから・・・。」


 秀輝の話をすると、今にも泣き出しそうな顔になる。


「史美、こんなところで油売っている場合じゃないんじゃないか?何で篠塚君の側に居てあげないんだ?」


 沙帆との経緯いきさつを知らない俊一は、執拗に看病するべきだと史美に訴える。


「聞いてる?・・・なぁ、史美。」


 史美の目から大粒の涙が溢れる。


「・・・側に居たい!居たいよ!・・・でも・・・。」

「でも?」

「・・・アタシのせいで篠塚は。・・・それなのに、こんなアタシが篠塚の側にいられるわけないじゃない・・・。」

「篠塚君が、史美に側にいて欲しいって思っていても?」

「でも・・・。」


 既に秀輝の想いを知っている史美は、俊一の心遣いに対する返事に戸惑ってしまう。そんな史美の様子に気付いた俊一が目を丸くして言う。


「えっ?もしかして、もう知っているの?」

「うん・・・。」

「そりゃそうだよな・・・。」

「それに・・・。いろんな人が、教えてくれたの。」

「そうか。」

「うん。」 

「じゃあ、自分の気持ちにも気付いているんだな?。」


 史美は黙っている。


「俺に気を遣うなよ。」

「アタシ・・・。」


 史美は秀輝にしてきた様々なことを、思い出して口籠ってしまう。


「何だよ。どうした?」

「酷いこと辛いこと、たくさん篠塚にしてた・・・。」

「仕方ないじゃないか、気付かなかったんだから・・・。」

「それじゃ、済まされないよ!」

「そんなこと、篠塚君は何とも思ってないさ。彼の頭の中は、史美が幸せになることしか考えていないんだから。」


 史美の脳裏に、無邪気に笑う秀輝の顔が浮かぶ。


「早く病院に行って来いよ。」

「俊ちゃん・・・。」

「・・・苦しいとき、辛いとき、泣きたくなったら誰の顔が一番初めに浮かぶ?・・・。篠塚君なんだろ?」


 頷く代わりに史美の動きが一瞬止まる。


「それは、向こうも同じ。きっと、史美の顔が一番初めに浮かんでいるよ。」


 そんな史美の仕草に気付いた俊一は、ベンチから立ち上がって背伸びをする。 


「あーあ、とんだ三枚目だよ。」


 寂し気な笑い声だったが、どこか気持ちをリセットしているようにも感じた。


「なぁ、史美。ひとつ聞きたいことがあるんだけど・・・。」

「なに?」

「今の史美なら、分かっていると思うからさ・・・。」

 俊一は、言い出しづらそうに頭を掻いている。

「うん。」

「篠塚君の前で、そんなに素直になれるのって、どうしてなのかなぁって思ってさ。」


 俊一に尋ねられた史美だが、本人を前にしては言いにくかった。


「教訓に出来たらって思ってさ。教えてくれよ。」

「多分・・・。あの人も、アタシの前で素直だからじゃないかな。」

「素直?」


 史美への想いを隠し続けた秀輝の、どこが素直なのかと俊一は言いたげである。


「あ、アタシ以外のことだよ・・・。」


 俊一は、今ひとつピンとこない感じで首を捻る。


「あの人は・・・。アタシに、自分の格好悪さを知られているから・・・。」

「格好悪さ?」

「良く見せようとか、これっぽっちも思ってないの。だから、アタシもすごく楽なんだ。」

「篠塚君も、史美の格好悪さを知っているってことか・・・。」

「そう、アタシの欠点を全部知っているもん。」


 確かに、史美の長所はよく分かっている。しかし、欠点となると自信がない。目をつむってきたというか、短所は気にしないように心掛けていたからだ。


「でも・・・。アタシの事を思うばっかりで、自分の事を良く見せようって余裕が、なかったかもね。」


 欠けていた何かを掴んだように俊一の表情が僅かに綻ぶ。


「なるほどね。・・・ありがとう。」

「ううん。」 


“ アタシの方こそ、ありがとうね。俊ちゃん・・・。”


 史美は、心の中で呟いた。


「さ、早く病院に行って自分の気持ちを伝えて来いよ。そうすれば篠塚君、怪我なんてすぐ治ってしまうさ。」


 一生懸命に励ます俊一の気持ちが、史美には堪らなく嬉しかった。


「じゃ、行くよ。」

「うん。」


 公園を出ようとする2人の前に車が停まり、眞江が青ざめた表情で降りてくる。


「ごめん、田原。今、大丈夫?」


 隣にいる俊一には、形式的な挨拶で軽く頭を下げる。眞江の様子からただならない事態だということが感じられた。


「どうしたの!」

「和明から田原には言うなって言われていたけど・・・。」

「言って!何があったの!」

「篠塚が病院を抜け出したのよ!安静にしていなきゃいけないのに、このままだと傷口がまた開くから危険な状態になるんだって。」


 史美は呆然として、言葉も出ない。


「警察にも捜索願いは出しているんだけど・・・和明がそれじゃ間に合わないかもって・・・。」


 眞江の声は次第に涙声になっていた。


「ねぇ田原、心当たりない?アタシたちだけじゃ、もう見当がつかないのよ!」


 隣で伸次郎が、時間がないと眞江を急かしている。


「おい、あまり時間ないぞ。次、行かないと・・・。行ってないガンショップがあるだろ。」

「田原、何か分ったら連絡頂戴!じゃ。」


 伸次郎は眞江を乗せ、車を急発進させた。


「俺も協力するよ。取り敢えず、この辺りを探してみるから。」


 隣で協力を買って出てくれる俊一の言葉は、思案中の史美には届いていなかった。


“ きっと、アタシのために・・・。”


 怪我を押してまで向かう場所など、史美に関係するところしかないのだ。

 呆然としている史美を残し、俊一は車に乗り込み走り出して行った。

 秀輝が行くところといえば、それは一つしかなかった。秀輝の向かった場所を確信した史美は、駐車場に向かって駆け出した。



※       ※        ※  



 史美は猛スピードで車を走らせる。

 ハンドルを右に左にと、次々に車を追い越し目的の場所へと向かう。


” あの人はきっと、アタシのために琢磨くんのところへ・・・。”


 琢磨の家は、史美の家から30分ほどの住宅街にあった。タクシーを使ったのだろうか、琢磨の家の前に秀輝の車はなかった。車を琢磨の家の前に停め、門を開けてインターホンを何度も鳴らす。

 ドアが開いて疲弊しきった哲郎が現れた。


「すみません、篠塚っていう人が来ませんでしたか?いえ、来ているはずなんです!」


 哲郎は謝罪に満ちた目で史美を見つめている。


「はい、数時間前に見えられて・・・。今、リビングで妻と・・・。」

「琢磨くんは?」


 大人の醜い事情を琢磨に見せたくはなかった。


「近所の友達のところに行かせました。」


 哲郎は呆然とそこに立っている。


「事情は全部、彼から聞かせていただきました。田原先生、本当に申し訳ありません。何も知らずに私たちは・・・。あなたに取り返しのつかない事を・・・。」


 謝罪の言葉を聞く余裕がない史美は、立っている哲郎を押しのけて家に上がり込んだ。リビングから微かに秀輝の声が聞こえる。リビングに入ると、ソファに腰掛けている秀輝がいた。

 史美を見て秀輝が優しく微笑む。


「よう!」

「アンタ、何考えてんのよ!」

「んぁ?」

「絶対安静なのよ。また傷口が開いたらどうすんのよ!」

「大したことね~よ。こんなもん。」

「馬鹿!何言ってんのよ!」


 怪我の事など二の次だという秀輝が、史美に怒鳴られて小さくなる。

 哲郎と和佳子は、史美の言葉に動揺して顔を見合わせる。


「みんな心配して探してるんだよ・・・。」


 秀輝の様子から傷口は、まだ開いていないように感じられる。


“ 良かった、間に合った。 ”


「でもよ、田原。危なかったんだぜ。後もう少し遅かったら、三咲さんたち警察に出頭してたんだぜ。」


 安心したように秀輝が笑う。


「間に合って良かったよ。」


 哲郎と和佳子が、史美と秀輝に深々と頭を下げる。


「それからな。お前への誤解は、もう解けたからな。」


 史美は言葉が出て来なかった。声もなく“ ウンウン ”と、ただ頷いている。


「良かったなぁ・・・。ホント、良かった。」


 史美の目から、大粒の涙が零れる。

 秀輝は、天を仰いで大きく溜息をついた。


「なに泣いてんだよ、お前は。これからは堂々と琢磨くんを応援できるんだぞ。もっと喜べよ。」


 秀輝はそう言いながら、立ち上がり史美のほうへ歩き出す。

 史美も秀輝の側へ歩み寄った。


「そういや、お前。学校はどうした。」

「えっ?」

「休んだのか?」


 どこまで人の心配をするのか、呆れるほど秀輝の頭の中は史美の事だけだった。


「ホント・・・救いようのない馬鹿だね。」 


 秀輝は、母親に叱られている子供のように肩を竦める。


「アタシなんかのために・・・こんな。」


 痛みのためか秀輝は、時折傷口を押さえて顔を歪める。痛みを堪えて立っている秀輝を、史美は優しく静かに抱き締めた。


「面倒くせぇ~な。何度も言わせんな。俺は、お前の親友だろ・・・。」


 自分の気持ちが知られていないと思っている秀輝は、この期に及んでもなお、シラを切り通している。

 秀輝を抱き締めている腕に、突然抱えきれない重みが加わり史美の体勢が崩れる。


「篠塚?・・・。」


 見ると秀輝の背中は、傷口が開いて真っ赤に染まっていた。秀輝が座っていたソファの背もたれにも血が付いている。秀輝は史美の腕の中で、次第に意識を失っていく。史美は秀輝の体を抱えたまま、崩れるように床に座り込んでしまう。


「ダメだよ、篠塚。起きて!目を開けて!」


 薄れていく意識の中で、秀輝はうっすらと微笑む。


「救急車を早く!早くお願いします!」


 和佳子は傷の手当てを、哲郎は受話器に向かって住所を告げていた。



※             ※             



 病院に担ぎ込まれた秀輝は、辛うじて一命を取り留める。しかし、意識は戻らず昏睡状態が続いていた。数日中に意識が回復しない場合、植物状態になる可能性もあると医師から説明される。

 史美は眠っている秀輝の側で、その手を握り締め看病していた。傍らには、伊久子と厚史が2人を見つめている。病室の外には、和明たちと沙帆の姿もあった。

 伊久子は、音を立てないように静かに病室から出て行く。病室から出てきた伊久子に、和明たちにが駆け寄って来る。

 伊久子は全員の顔を見ながら深々と頭を下げた。


「皆さん、本当にお騒がせいたしました。」

「あ、あの・・・篠塚は。」


 和明が心配そうに尋ねる。

 伊久子の顔は、暗く沈んだままである。


「まだ、意識が戻らないの。」


 舞台の幕が下りるように、絶望感が全員を襲う。


「取り敢えず、今日はお帰り頂いて・・・。」

「分かりました、意識が戻ったら連絡して下さい・・・。」


 不安を残したままだったが、和明たちは病院を後にした。

 伊久子は肩を落とし項垂れている沙帆を、優しく抱きしめる。


「ごめんね、沙帆ちゃん。」

「ううん。」


 沙帆は伊久子の胸の中で泣いた。堪えていたものが一気に涙となって溢れる。


「おばさん、大丈夫よね?ヒデ君、必ず意識が戻るでしょ?」

「ええ・・・。」

「そうよね。」

「あなたは、大丈夫なの?」


 声もなく沙帆は頷いた。


「田原さんは?」

「中で秀輝の手を、ずっと握ってくれてるわ。」

「そう・・・。」


 沙帆の声に力がない。


「アタシは、ヒデ君を見つけられなかった。・・・まさか自分の命よりも、田原さんのことが大事だったなんて。」

「沙帆ちゃん・・・。」


 伊久子は沙帆の背中を慰めるようにさすった。


「大丈夫よ。アタシ立ち直り早いから・・・。」


 沙帆は伊久子に、精一杯の笑顔を見せて立ち去って行った。

 伊久子が病室に目を向けると、丁度厚史が出てくるところだった。


「どうしたの?」

「いや、俺たちもちょっと席をはずそう。」


 厚史の気持ちを察した伊久子は、ウンウンと大きく頷く。


「でも、ちょっと待って。これを田原さんに渡してくるわ。」


 伊久子はバッグから一冊の書類を出して、再び病室に入っていった。 



※       ※        ※



 病室では史美がずっと、秀輝の手を握り続けている。

 史美は伊久子が入室してきたことも気付いていない。伊久子は史美の健気さに胸が詰まる。


「田原さん。」


 伊久子は小さな史美の肩にそっと手を置いた。

 振り向いた史美の頬には涙の痕が残っていた。


「ごめんね。迷惑ばっかりかけて。なりばっかりでかくても頭の方は、いつまでも子供だから・・・。」


 史美は無言で首を振る。


「大丈夫よ。必ず目を覚ますから・・・。」


 史美も秀輝の意識が回復すると信じていた。


“ この人はアタシのために、必ず目を覚ましてくれる。”


「ちょっと田原さんに、見てもらいたいものがあって・・・。」


 伊久子が手にしていたものを受取る。


「これは?・・・。」

「秀輝が書いた脚本。コンクールに応募するとか言ってたけど・・・。」


 史美に読ませるのを渋っていた脚本だった。


「今回のことでアタシも慌てちゃって・・・。」


 疲れ切った表情の伊久子は溜息をついて病室の壁にもたれた。そして目を閉じて更に大きな溜息をついた後、静かにゆっくりと話し始めた。


「何か秀輝が立ち寄りそうな場所が分かると思って、あの子の部屋を漁ったらね。それがカバンの中にあって・・・。」


 ページをめくると、登場人物の名前や台詞とト書きが書いてある。


「立ち寄りそうな場所のヒントでもあるのかと思って読んだんだけどね。ま、案の定そんなヒント、全然書いてなかったけど。」


 そうした自分の行動に気が滅入ってしまったのか、伊久子は肩をすぼめて小さくなっていた。


「でも、これ・・・。あなたのことがたくさん書いてあったわ。あの子の気持ちがたくさん詰まっているの。回復するのを待つ間、サラッとでいいから読んでみてくれない?」


 伊久子は、史美を残して病室を出て行った。史美は伊久子から渡された脚本のページを秀輝の温もりを感じながら捲っていった。

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